2008年5月 3日 (土)

小グループについて(5月4日)

  「アパ・ルーム」を用いている人は気づかれたと思うが、最近のアパ・ルームには最後の所に「小グループのためのスタディ・ガイド」がついており、毎水曜日の短文について五つほどの質問を設け、小グループの話し合いの参考にしている。
 私たちがこの教会に招かれてからずっと願ってきたのは、この教会でも小グループを作って、共に語り合い、祈り合っていきたいということだった。もちろん、すでに毎週の祈祷会や毎月の地区会がある。そこでは語り合い、祈り合っている。しかし、祈祷会は皆で語り合うには人数が多すぎるし、地区会はそれぞれのやり方があって、語り合いが難しい場合もある。
 そこで、私の今の段階での提案は、祈祷会の司会者がこの「スタディ・ガイド」を参考にして、自分はこう思うということをアパ・ルームの短文を素材にして話して頂く。それを聞いて話し合う所までは行かなくても、誰かの参考になるのではないか。また、祈祷会の持ち方を少し変えて、聖書の学びを終えたら3グループくらいに分けて、話し合い、祈り合うのも良いかと考えている(その場合は、15分程度の時間延長になろう)。

 一例として4月30日(水)のスタディ・ガイドには、「教会員の中で誰が厳しい仕事をしていますか?梯子を支えているのは誰ですか?」とか、「あなたは教会の中で、リーダーの役割ではなく、梯子を支えるように求められたことがありますか?あればその経験を話してください」とか「あなたの賜物は何ですか?それを教会の強化のために、どのように用いることができるでしょうか?」というような設問がある。これを語り合う中で、教会についての理解を深めることが出来る。
 小グループの語り合いは、いまや全世界で注目されている。教会はもともと小グループ(家の教会)から始まったのだ。だから、それは原点に帰ることでもある。そこで、お互いが成長する機会になる。

2008年4月28日 (月)

役員選挙について(4月27日)

 このところ、面白くない短文で恐縮です。昨日のNHK深夜便「こころの時代」の五木寛之さんの話を聞いていたら、書くことは厳しい、身を削るようにして書いているとのお話でした。プロともなると、そういうものかと感じ入りました。生意気を言えば、説教には我々も身を削るように、苦労しています。
しかし、週報短文は、私の趣味のようなものですから、どうぞお許し下さい。以下、昨日の短文の一部をアップします。

 教会総会が終わった。すでに2008年度は始まっているが、総会が終わらないと、新年度がスタートしたという気持にならない。今回の、大きな改革は役員選挙のやり方だった。二月に懇談会を開いて、話し合いもしてきたから、特に驚きはなかったと思うが、このやり方に慣れるまで少し時間がかかりそうだ。
 投票用紙に沢山の名前があるので、選ぶときに迷われたかも知れないが、開票の結果は当選の上位4名まで20票以上が入っているから、有効投票(52)の過半数には達しないが、三分の一以上には達している。これは従来の選挙結果と比べてもそんなに違わない。今回のやり方の妥当性を裏付けてくれたと受け止めている。

 役員を務めると教会の全体が見えてくる。これは役員を経験した人の率直な感想であろう。それは大事なことである。牧師だけではなく、少なくとも教会の主だった人々は教会の全体像を把握していなければならない。また、先輩の役員から教会の伝統を学び、それをまた次の世代に伝えていく責任もある。私たちがこの教会に招かれた4年前から75歳を越えて役員を降りた方は二人、さらにその先輩たちもかつては何年も役員を務めて下さった。そういう先輩たちの信仰をしっかり受け継いでいくことも役員の大事な務めである。これからも、現在の役員から次の世代の兄姉に次第に代わって行くであろう。その交替が無理なくなされていくような役員選挙でなければならない。

2008年4月21日 (月)

讃美歌、聖歌について(4月20日)

 ホーリネス教会は、昔は「リバイバル聖歌」という小さな聖歌集一冊を用いていました。礼拝、祈祷会、伝道会、聖会でも、すべてそれ一冊でした。しかし、1941年に日本キリスト教団に統合されて、教団の集会では讃美歌が用いられるので、次第に讃美歌も歌われるようになりました。
 リバイバル聖歌は、曲数も少なく如何にも不十分なものでしたから、1958年に中田羽後師が編纂して発行されたのが現在私たちが使用している聖歌です。
 ところが、2001年に聖歌が廃刊になりました。それは日本福音連盟から新しく「新聖歌」が発刊されたからです。新聖歌は聖歌の改訂版ではなく、新しい聖歌集と言うべきです。そこで、従来の聖歌に慣れてきた教会としては、新聖歌に変更すべきか否かで迷いました。当教会も変更しないで今まで従来の聖歌を使用してきました。しかし、これはすでに廃刊したものですから、いつまでも使うことには問題があります。
 新聖歌とは別に、日本教会音楽研究会・聖歌の友社から「聖歌」(総合版)という新しい聖歌が2002年に発行されました。これは従来の聖歌を殆ど網羅して、さらに新しい曲を取り入れたものです。従来の聖歌を歌い続けるならば、これに切り換えるのが自然であろうと思います。
 他に、讃美歌のことがあります。従来の讃美歌もなお多くの教会で歌われていますが、教団の教会では、次第に讃美歌21に切り替わってきました。この讃美歌にも実は、問題があります。特に、我々が讃美歌の中で歌い続けてきた聖歌に類する曲は、ほとんど讃美歌21には採用されていません。しかし、従来の讃美歌の歌詞も古く感じられ、若い人々は理解も難しいでしょう。それでも、従来の讃美歌に固執するかどうか(歌詞を替えたくないならそうする他ない)、皆さんのご意見も伺いたいと思います。

2008年4月14日 (月)

新年度の計画(4月13日)

 教会総会が来週に迫り、その準備に追われています。この短文もそれに関連して、一般には面白くないですが、お許しを頂いて掲載することにします。  
 
 教会全体のことを言えば、組織を見直して再編する予定です。各委員会は、全員参加の教会形成を目指して皆さんが自主的に希望の委員会に所属して奉仕していますが、うまく機能していない委員会もあり、委員会の奉仕内容も再確認、再検討する必要があるでしょう。一人で何役もとなると、無理が生じるので、できるだけ重点的に奉仕部門を絞るのがよいと思います。
 昨年度はイベントが多く、恵まれた反面、疲れたという声もあるので、今年度は控え目にします。来年度は創立百周年の記念のイベントが多くなりますので、今年は準備の年として位置づけます。
 特伝は十月に絞り、他に特別礼拝が何度か行われる予定です。また、新しい試みとして、夏に応援伝道を計画しています。酒田暁星教会(山本博之師)を予定しています。
 建物設備関係では、冷暖房が大きな課題になっています。暖房は床暖房とパネルヒーター式で行っていますが、肝心のボイラーが時々不調になります。冷房は部分的に冷やすことは不可能との意見もありますが、業者の説明では、礼拝堂の真ん中付近の数列を冷やすことも不可能ではないとのことです。夏の気温が徐々に上がっているように見受けられるので、部分的にでも冷やすことも検討の余地はあると思います。
 これらのことは、礼拝を少しでもよい環境で捧げたいという願いですが、もちろん重要なのは礼拝の中味です。み言葉と賛美と祈りのなかで、生ける主に出会う礼拝となるように祈りましょう。 

2008年4月 5日 (土)

ホ群年会のひとこま(4月6日)

  ホーリネスの群の年会は、今年は越谷の新しい会場で行われた。初日は強風で武蔵野線が止まり、年会に先立って毎年開かれるセミナーに出席しようとした方々は足止めを食ってしまった。聖書学校も武蔵野線吉川にあるが、同線は風や雨に弱いのが弱点である。
 セミナーは渡辺正男師の礼拝についての講演で、有益であった。

 今年の年会の主題は「ホ群教会の連帯」―福音にふさわしく歩むーで、フィリピ書1、2章から語られた。八束委員長は、「ただ福音にふさわしく歩む」という一事に集中することを奨められたが、翌日の派遣式の聖会で私は、ここ30年余りのホ群の歩み、特に分裂に至った経緯を少し取り上げた。これは私たち五人に託されたホ群の歴史編纂で最大の課題になっているところで、まだ歴史が定まったとは言い難い部分だが、タブーのように誰も触れようとしないことに疑問を感じ、敢えて語らせて頂いた。説教後に幾人かの方から感謝されたが、しかし、説教で取り上げることが適当であったかどうか、特に「それはあなたの主観的な判断ではないか」と率直に言って下さった方もあり、難しさを感じた。自分では客観的に語ったつもりでも、聴く側では、特にその困難な場面を通ってきた者には様々な思いがあり、判断の違いもある。未だに癒やされていないところもある。また、触れて欲しくない所もある。懇談会やセミナーならば、率直な意見交換も出来るが、説教では一方的に語られるので反論できない。それだけに、慎重を要すると改めて思った。
 しかし、困難を承知で、あえて一石を投じたつもりである。あれだけの痛みを経験しながら、何事もなかったように蓋をしておくことは出来ないし、そのために歴史編纂をしてきたといっても過言ではないのだから、他の方々にもまた違った観点から取り上げて欲しいと思っている。特に若い方々はどのように感じたか、聞いてみたい気がする。  

2008年3月30日 (日)

出会い

 週報短文を忘れていて、30分でキンロー先生の一文を借りて書き上げたたので、ここには月報の巻頭言を載せることにします。
  
 春は別れと出会いの季節です。今春も若い兄姉たちがこの地を離れて新しい地に旅立っていきました。その地には新しい出会いが待っていることでしょう。私たちもまた、ここで新しい友を迎えることを期待しています。
 「人生は出会いで決まる」という言葉がありますが、実際、誰と出会うか、何に出会うかによって私たちの人生が大きく左右されることは間違いありません。皆さんの人生における最大の出会いは何だったでしょうか。
 ヨハネ一章には主イエスに出会った最初の弟子達のことが興味深く記されています。彼らにとってそれは決定的な出会いでした。私たちはどうでしょうか。主イエスとの出会いが生涯を決めたと言い得るでしょうか。私たちクリスチャンホームに育った者は、主イエスに出会ったという意識が持ちにくいのですが、多くの場合、まず誰かとの出会いがあって、それが契機となり主イエスとの出会いに至るのが普通であると思います。自分で聖書を読んで主に出会ったという人は少ないでしょう。

 「主イエスとの出会い」という場合、それは深められていくものではないでしょうか。例えば、み言葉との出会いと言うことがあります。東京聖書学校の入学試験の面接では、必ず召命感が問われますが、それはみ言葉を握っているか否かが鍵になるでしょう。そのみ言葉の背後に、実は生ける主ご自身がおられるのです。それはみ言葉ばかりではなく、人や出来事との出会いにおいても同様です。背後におられる主ご自身に気づくかどうかということです。いつまでも人を見ているのではなく、その背後に生きて働かれる主イエスご自身を見ることができるようになったとき、それは自立した信仰と言うことが出来るでしょう。
 特に若いときならば、本との出会いが大きいはずです。今、ホーリネス誌では「一冊の本」という連載が続いていますが、興味深く読んでいます。私が原稿を依頼されたら何を選ぼうか、パスカルにするか内村鑑三にするか、とにかくその本を手にしなかったら、自分の人生はかなり違っていたという本があるはずです。皆さんの人生の様々な出会いをお聞きしてみたいと思います。

2008年3月22日 (土)

東京聖書学校の寮生活(3月23日)

  4月から東京聖書学校で賄いをしてくださる方を求めているのですが、もう1週間しかないのに未だに見つかりません。この短文をみて、応募してくださる方、心当たりを紹介してくださる方が現れることを期待します。

 学生の食事は朝昼夜と三食あるが、昼は弁当を取り、夜は学生が交替で作る。従って賄いさんには朝食のみの準備となるが、朝は早い。7時15分から朝食だが、準備は5時半頃から始まる。今は通いで準備してくださっている方があるが、まだ暗いうちに家を出るのだろう。
 昨春までの4年間は、学校に入学した兄弟の奥様が、「主人が献身して入学したのですから、私もそのつもりで賄いをいたしましょう」と申し出てくださって、兄弟が卒業するまで4年間、学生の朝食を準備してくださった。ところが、姉妹は学ぶことに大変意欲的で、殆ど全科聴講生になり、夫君も顔負けするほど、賄いよりも学びに一生懸命だった。今は、夫君と共に遣わされた教会に仕えておられる。
 賄いさんは学校の職員になるので、給与はあるが、低い。それだけで生活が出来るほどではない。しかし、部屋は寮に準備されているから、例えば幾らかでも年金が下りる人ならば、十分生活は出来るであろう。そして、学習意欲があるなら、学生と同じように勉強することも出来る。
 百聞一見に如かず、一ヶ月でも二ヶ月でも学生と共に生活してみたら、学校生活が良く分かるであろう。そして、学校にも献身者にも親しみが増して、神学生と戦友の意識が生まれるであろう。私も昔、聖書学校の寮に半年間、修養生として置いてもらった。あの経験がなければ、果たして伝道者が務まったかどうか。私のようにCコースで補教師になった人は、短期間でも寮生活をして訓練を受けることは大きなプラスになると信じる。賄いから話が発展したが、拙文を読んでくださった皆さんにも考えて頂きたいし、祈って頂きたい。

2008年3月15日 (土)

歴史の教訓に学ぶ(3月16日)

  今年も受難週を迎え、来週はいよいよイースターですが、私は教会の暦よりも年度末の仕事に追われています。本来の姿ではないですが、やむを得ないと思っています。というのは、今年はイースターが早く3月中に来ることと、4月の冒頭にホ群の年会があり、それまでにやらなければならないことが重なったためです。
 特に今週は、ホ群の歴史編集に追われました。月曜から学校に一泊して4人の委員で膝つき合わせて作業をしましたが、委員の間でも必ずしも意見が一致しません。戦前の部分は、すでにまとまりました。問題は戦後の歴史ですが、特にいわゆる教団紛争が始まってから、ホ群の分裂に至る約20年間が一番大変です。群の分裂がどんなに大きな痛手であったかは、今になってもその傷が癒えていないことでも分かります。
「神さま、どうしてですか」「どうしてこんなことになるのですか」と、どんなに涙をもって祈られたでしょうか。
しかし、どんなに祈っても知恵を絞って協議をしても、どうしても意見が一つにまとまらず、どんどん分裂の方向に進んでしまったことが、今振り返ると痛いほど分かります。その時は、皆夢中ですから気づかなかったことも多かったでしょうが、今冷静に考えればもっと別な道があったのではと皆思うでしょう。
 ホーリネス教会は、分裂を重ねてきたと言われます。宗教改革も分裂でしたから、分裂がみな悪いとは言いませんが、分裂による痛手を思うときに、極力避けなければならないことであることは間違いありません。人間の悲しさは、自分が正しいと信じることを主張しているうちに、サタンに足をすくわれてしまうことです。サタンは内輪もめが大好きだから、教会をそこに追い込んだらしめたものだとほくそ笑んでいるのです。パウロは「サタンのやり口は心得ている」と言っていますが、しかし、そのパウロもサタンの誘惑からいつも守られていたわけではありません。ともあれ、歴史の教訓から学ばなければならないと改めて思わされています。   

2008年3月 9日 (日)

新年度に向けて(3月9日)

 これも私たちの教会の内部の問題なのですが、何かの参考になるかもしれないと期待して載せることにします。 
  
 新年度の教会総会に向けて準備を進めていますが、一年を振り返って今年度一番大きな事は、森田聖子先生を迎えたことでしょう。教職三人体制でチームを組んで進むことになりました。まず半年は助走のようなもので、これからが本番と思っています。
 次に、創立100周年を来年に控えて、今年はまず記念誌の編集に精力的に取り組まねばなりません。委員会の作業も着実に進んでいますが、来年の出版の目処が立ってきたように思います。皆さんの証も、出来るだけ早くまとめてくださるようにお願いいたします。

 建物・設備関係ですが、現在話が出ているのは礼拝堂の冷房設備です。天井が高く広いので、全体を冷やすのは簡単ではありませんが、例えば礼拝堂の前方または後方だけを冷やすということも考えられるでしょう。クーラーは嫌いだとか体質に合わないという方もいますので、かえってその方が良いかも知れません。一部だけを冷やすことが出来るかどうか、専門家によく訊かねばなりませんが、皆さんのご意見、ご希望をお聞かせください。
 100周年記念事業の一つとしてのエレベーター設置はすでに完成して役立っていますが、同時に協議された和室の改造(応接室と伝道師の執務室に分割する)は役員会で否決され、そのままになっています。取り敢えず和室には籐椅子を入れて、応接室にも兼用していますが、何か良いアイデアがあればこの際改修しても良いのではないでしょうか。皆さんのご意見を期待します。

 教会学校と青年会は目下の最大の課題と言ってよいでしょう。もっと子どもたちと教師が欲しい、そして、青年会が自主的に活動して欲しいということは、元青年、元教会学校教師たちの共通の願いです。新年度に期待しましょう。         

2008年3月 6日 (木)

伝道者たる者

 短文を更新していないことに気づきました。今週の週報短文は、私たちの教会内部の問題ですので、違うことをちょっと書かせて頂きます。

 聖書学校の卒業式が終わりました。卒業式は学校の最大イベントと言ってよいでしょう。今年も感激の卒業式でした。聖書学校の使命は、伝道者を教会に送り出すことです。卒業にまつわるいろいろな話が出ましたが、ある人が「オアシス運動」ということを言ったそうです。伝道者は、オアシス運動が出来る人でなければならない、というのです。私は、オアシスと言うから、てっきり人を慰め、休ませ、潤いを与える人のことかと思ったのですが、そうではなかったのです。オは、お早うございます、アは、ありがとう、シは失礼します(だったと思う)、スは済みません、と、誰にでも言える人でなければならない、ということでした。これが言える人を教会に派遣してくださいという、信徒の切なる願いであるというのです。私は、唖然としました。学校を卒業して伝道者になって来る人に、そういうことが言えない人がある、というのです。
 これはまさに信仰以前の問題です。社会人としての常識の問題です。しかし、そういう初歩的常識をわきまえない人が学校から遣わされてくるという現実がある、それに対する強い抗議と受け止めました。それは聖書学校に来る前に、当然家庭や学校で、身につけてくるべき人としてのマナーでしょう。それが身につかないままで学校に来て、そのまま卒業していくということのようです。驚きました。私たちも、注意しなければならないことです。ありがとうも言えない人が、ギリシャ語やヘブル語を勉強するというのも、考えてみると滑稽なことですね。これは聖書学校だけではなく、世の中全体がおかしくなっているということですが、教会やクリスチャンホームも例外ではないということを考えると、これは安閑としておれないと思います。如何でしょうか。

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