宗教改革記念日を迎えて+10月31日付+
十月三十一日は宗教改革の記念日に当たる。世界のプロテスタント約三億五千万人が、自分の教会のルーツとして記念すべき日である。
どうして宗教改革が起こったのか。世界史の教科書等では、当時のカトリック教会がひどく堕落していたからと書かれるが、いつの時代でも教会は堕落しやすいものである。サタンも生きているからだ。だから、キリスト教の歴史は改革の歴史であると言っても過言ではない。ただ、一六世紀の宗教改革は、それが世界の歴史を大きく変える大規模なスケールとなったが故に、固有の「宗教改革」と呼ばれるようになった。その大きな改革も、初めは修道士マルチン・ルターが一枚の紙を修道院教会の扉に貼りだしたことが契機であった。ルター自身は、そんな大事件になるとは思っていなかったのではないか。なぜなら、公開質問状を教会の扉に張り出すことは、特別目新しいことではなく、ルターはただ信仰的、学問的対話を求めたのである。ところが、これが大きな反響を呼んだ。ルターに共鳴する者が大勢いたからである。ことは単なる教会の組織や儀式という外面的な問題ではなく、信仰の本質に関わることだった。ルターは一時の思いつきでこれを張り出したのではない。この公開質問状(「九五箇条の提題」と言われる)を張り出すに至るまでに、彼自身の内的な激しい格闘があった。ついに信仰の確信に到達した彼は、臆することなく自分の信ずるところを世に問うたのである。
つまり、宗教改革は、教会の改革より先に、ルター自身の内的な改革が必要であった。「教会は堕落しやすいものだ」と先に記したが、教会とは、外ならぬ私たち自身である。だから、私たち自身が絶えずみ言葉によって改革されていかねばならないと思う。それが、宗教改革を今に記念する最大の意義ではないか。私はどうなのかと自問しつつ、この日を意義深く過ごしたい。

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