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2005年2月26日 (土)

卒 業 式

 今週は東京聖書学校の卒業式である。今年の卒業生は唯一人である。学年によって多いときと少ないときといろいろある。それにしても、もう少し献身者が起こされることを祈っている。
 数年前の卒業式で、こんなことがあった。式の開始時間が迫ったが説教者が到着しない。時間が来たので式は始めたが、なかなか到着しない。待つ方は気が気でない。しかし、待ち人来たらず、とうとう説教の時間が来てしまった。
 メモが回って来て、家に連絡したがとうに家は出られたという。携帯電話を持っていたら連絡があるだろうが、そういうものを持っておられないのだろう。司式の先生も必死で引き延ばしてくださったが限度がある。普通は説教がなされてから証書授与となるが、順序を逆にして先に証書の授与も行った。私の後列に座っておられたY委員長は、私の背中を押して「校長が代わって説教せよ」という。そんな芸当は出来ない。進退窮まるとはこういうことである。とにかく講壇に上り、事情を説明して、卒業式後の感謝会で卒業生に送る予定で準備した聖書の言葉を読み、簡単な奨励をした。続いて、教区議長や2、3の来賓の祝辞があって、どうやら卒業式の格好がついてヤレヤレの思いで式を終えた。今思い出しても冷や汗ものである。記念写真を撮って、食堂で感謝会が始まる頃に、ようやく説教者が到着した。車を運転したご子息が、高速道路の出口を間違ってそんなことになってしまったようだ。人間だからミスはつきものだ。やむを得ない。
 それにしても、ときどき夢みるのは、どうしても説教が出来ない夢、説教ノートを忘れた夢などである。夢に見る説教はたいてい苦しいものばかりだ。ルターはまれに見る説教者だったが、ずいぶん説教で苦労して、後輩に遺した言葉は、「説教で苦労せよ」だった。苦労する中で、少しは人の心に響く説教が生まれてくるのだという教訓と受け止めている。卒業式から最後は説教の話になったがお許しを。

2005年2月18日 (金)

恵まれたクリスチャン(完)+2月20日付+

 前号にメソジストの組織における信徒の交わりが「恵みの手段」であったことを記しました。その組織とは、ソサエティー、組会、班の3つです。メソジストは皆、このグループに所属したのです。1番大きなグループがソサエティーです。このグループは週毎に聖書の講解、賛美、証し、祈りのために集まりました。これは私たちで言えば「礼拝」です。メソジストは国教会の中の「小教会運動」でしたから、礼拝は国教会の礼拝に出席し、それとは別に毎週自分たちの集会(ソサエティー)を守ったのです。
 次が組会です。これは12人ほどの集まりで、メソジストの信徒は原則として必ずどこかの組会に属しました。これはいわば信仰の家族のようなものです。親の務めをする人(組長)が組会に属する全員の魂のために責任を持ちます。ソサエティーや組会を欠席した人は組長が必ず訪問しました。また、週毎の組会の集いを導くのも組長の責任でした。メソジスト運動があのように力強く進展したのは、この組会によるところが大きかったと言われています。
 これは私たちに当てはめると何でしょうか。それは地区会に1番近いと思います。地区会は、組会のようであって欲しいというのが牧師の願いです。しかし、これは簡単ではありません。今日も、組会を続けている教会がありますから、そういう教会に学びたいと思っています。
 最後は班です。これは4人から8人ほどの同性のグループで、信仰や生活の関心が似たような人々がグループを作って親しい信仰の交わりをしました。これも大きな力になりました。私たちの教会では、壮年会、婦人会、オリーブ会、学生会、ぶどうの会などがありますが、それに近いでしょう。しかし、婦人会などは人数が多すぎて当てはまりません。自発的な小さなグループができることを期待します。

2005年2月11日 (金)

恵まれたクリスチャン(Ⅲ)+2月13日付+

 「恵みの手段」の第3と第4は「聖餐式」と「断食」です。これは後日機会を見て取り上げることにして、最後にメソジスト運動の鍵とも言われる恵みの手段である「仲間との交わり」について記します。再びハーバーの本から引用します。
「この手段は初期メソジストの霊的刷新の主要な方法となりました。説教がなされたときにはいつでも、信仰をもった者をその後の養いのために班、組会、ソサエティーに組み入れていきました。・・・班は、4人から8人の同性で、キリストにおける成熟さも同じような人々の集まりでした。すべてのクリスチャンは、生活の関心事、共通的な経験や生活の辛さを分かち合える小さな親しい交わりが必要だとウェスレーは信じていました。組会は、性別や経験のレベルの違う人々からなる12人ほどの集まりでした。やがて、この組会は、メソジストの霊的養いの中核となり、しばしば信徒の男性や女性によって導かれました。組会のリーダーは『小牧者』として機能し、そのグループに属する人々の霊的、物質的福利に責任を持っていました。ソサエティーはメソジズムの中の最も大きい集まりで、普通40人以上によって構成されます。このグループは週毎に、聖書の講解、賛美、証し、祈りのために集まります。牧師がいるときには牧師がこの会を指導しますが、しばしば信徒によっても導かれました。それぞれの構成員に期待されていることのレベルは違いますが、全体としてクリスチャンがあずかるべき霊的養いと弟子訓練を提供したのです。」
 メソジスト運動は、ウェスレーとその仲間の説教から始まりましたが、それだけなら歴史を変えるような大きな変革にはならなかったでしょう。ここに記されてあるメソジスト特有の組織が、信徒の信仰を確かなものとし、力強く伝道が進み、ひいては社会へインパクトを与えたのです。
(次号に、私たちへの適用について記します。)

2005年2月 4日 (金)

恵まれたクリスチャン(Ⅱ)+2月6日付+

 前号に恵まれたクリスチャンになるために「恵みの手段」が大事だと記しました。その第1は祈りであると、ウェスレーのリストを紹介しました。では、第2はなんでしょうか。(再び前記ハーバーの本より)
「第2の制定された恵みの手段は、ウェスレーが『みことばを探求する』と呼んだことです。彼は聖書の力を知っていました。自らを『一書の人』と呼び、メソジストたちにも聖書的クリスチャンであることを願いました。メソジストの聖書の学びを助けるために、旧約、新約双方の注釈書を編集し、安値で買えるように工夫しました。・・彼は、みことばの知識に成長し、最大の結果をもたらす確かな原則を作りました。それはまず、聖書の一部ではなく、全体を読むことです。旧約、新約の両方を読む必要があります。第2に、聖書を規則的に読むことが霊的な成長に最も有益であると彼は信じていました。『共通祈祷書』(英国国教会が定めたもの)に載っている聖書日課に従いながら、みことばに親しんでいくというのがウェスレー自身のやり方でした。しかしながら、彼は神が導いておられると感じたところを読む内的な自由も持っていました。第3に、人は読んだことを注意深く適用すべきであり、すぐに実行すべきであると彼は確信していました。冷淡に聖書を読んでも、ほとんど意味はありません。読者たちが、『これは私にとって何を意味するのか』そして『わたしは聖書の真理をどのようにして、他の人の益とできるか』と尋ねることを彼は期待したのです。このように、聖書は恵みの手段として用いられます。」
 初代メソジストは、キリスト教の何たるかを最もよく理解して信じた人々であると言われていますが、それはこのように聖書をよく読み、活用したからでしょう。国教会の聖職者たちは、メソジストの信徒伝道者が説教するのを止めさせようとしました。それに対するウェスレーの答えは、「もし彼らの中に、あなたたちよりも聖書の知識で劣っている者があれば、すぐにも止めさせよう」というものでした。

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