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2005年5月30日 (月)

三浦光世さん、綾子さん

 三浦光世さんの講演会を聴きに行った。「妻三浦綾子と生きた40年」という題だった。三浦光世さんにお会いしたのは25年ほど前で、旭川のご自宅に三浦綾子さんをお訪ねしたときだった。その時、光世さんは風邪で休んでおられたのに、丹前を着て起きてこられて、綾子さんと共にしばし私たちのために時間を割いて下さり、お別れする前に、懇ろなお祈りをして下さったことが忘れられない。四半世紀振りに再会して、81歳になられたとのことだが、お顔は以前とさほど変わらず、1時間半の講演を疲れも見せず立派にこなされた。以前にもテープで綾子さんとのことをお聴きしたことがあるが、直接伺っていっそう感銘深かった。 
 「氷点」からはじめて、「道ありき」や「塩狩峠」、「泥流地帯」、「母」、そして最後の長編となった「銃口」まで、かいつまんで本の主題と、それを書くに至った動機やいきさつなどをお話しされた。たんたんと語られる中に、お人柄が滲み出て、温かい気持ちを与えられた。講演会が終わって会場から出てくる皆さんのお顔が和やかだったのは、講演とは無関係ではなかったろう。心を和やかに、また、豊かにするお話しは、真に貴重なものである。
 三浦綾子さんの著作94冊の中に、ミリオンセラーが8冊あるという。また、綾子さんの本を読んで自殺を思いとどまった人が何人もあり、教会に導かれた人はおびただしい数にのぼる。私たちの身近にも何人もいる。ある人々は、それを「護教的」として文学的に低く評価するが、綾子さんはそんなことには全く無頓着に、「伝道」を使命として書き続けられた。「病気の問屋」と言われるほどに次々に重い病に苦しみながら、しかし、それがあったが故に本を書き続けることができると感謝された。講演の随所で、綾子さんの物事の受け止め方、人を見る温かい視点などが紹介されたが、私たちにも多くのことを示唆していると思った。神によく用いられたご夫妻の故に感謝の念は尽きない。

2005年5月21日 (土)

役員任職式+5月22日付+

 きょうは礼拝で役員任職式がある。この式を行うたびに思うのは、「任職の辞」の厳しさである。司式をしながら身の震える思いがする。
 「あなたがたは牧師および同職の役員と共にこの群を守らなければなりません。もしも、真理から迷い出る者があるならば、愛と徳とをもってその誤りを正し、彼らをよく導くのはあなたがたの任務であります。」
 役員に選ばれたら、あのことこのことをしなければといろいろな仕事を思い浮かべるかも知れないが、仕事よりも大事なことは信望愛というような信仰者としての内実である。
 「あなたがたは人に接するときいつも柔和であって、みだりに争ってはなりません。たえず言動を慎み、信仰と行いにおいて、会員の模範になってください。」ああ、誰かこの任に耐え得んやである。だから、どうしても必要なことは次のことである。
「常に聖書を研究し、朝夕恵みの座に近づいて下さい。」これを現代風に言えば、「絶えずみことばに聴き、日々、ディボーションに励んで下さい。」
 これらの役員への勧めを見るとき、古くから受け継がれてきた健全な教会の教えに接する思いがする。この頃は、式文の見直しが主張されて、結婚式の式文なども全面的に改められようとしている。聖書においても、差別用語などはできるだけ避けようとする傾向にある。しかし、現代的に、誰にでも受け入れられるような内容に改訂することと、信仰的なレベルをしっかり保つこととは別のことである。私は、現行の式文を評価する者の一人である。
ともあれ役員の務めは重いが、同時に、それはまたすばらしい務めでもある。
「だれでももし監督の職を求めるなら、それはすばらしい役目をねがうことだ」という言葉はほんとうです。(テモテ第一 3・1詳訳)の「監督」を「役員」と置き換えて読むことも出来る。教会員が一度は役員を経験できたらすばらしい。

2005年5月14日 (土)

さんびとの出会い+5月15日付+

 札幌の母教会は、礼拝をはじめどの集会も聖歌しか歌わなかった。初めは「リヴァイヴァル聖歌」だったが、私の学生時代に今の「聖歌」が出来た。この中に口語の聖歌がいくつかあり、初めて口語の聖歌を賛美したとき、なんだかおかしく感じたのを今もよく覚えている。
 高校1年のクリスマスに洗礼を受けた。そして、友達に誘われて2年の春頃から、学校の聖書研究会というクラブに入ったが、そこで初めて讃美歌を歌った。これもとても印象深かった。クリスマスにはクラブの友人たちと、雪の降る中をキャロリングに行ったことも忘れられない。
 大学では学生YMCAに所属したが、ここでも専ら讃美歌を歌った。そこでも、1曲2曲と讃美歌を覚えていった。だから、教会では聖歌、学校では讃美歌というパターンだった。
 四十年前に仙台青葉荘教会に来て、教会でも讃美歌を歌うようになった。あの懐かしい旧会堂で、礼拝後にオルガンを囲んで青年会で讃美歌や聖歌を練習したことが昨日のことのように思い出される(お互いに歳を取りました!)。
 東京に出てからは、いろいろな集会で、讃美歌、聖歌以外の賛美にも触れるようになった。特に、ギター伴奏で「友よ、うたおう」はよく歌った。  
 いわゆるワーシップソングを歌うようになったのはいつ頃からだったろうか。若い人の集会でよく歌った。香港でも多くの人々との出会いがあり、いろいろな賛美を歌った。福音系の教会の人々のほうが賛美が豊かなように感じた。インドネシアの教会を訪問したときは、賛美の力強さに目を見張った。リバイバルは賛美運動でもあると感じた。その後、機会を得てアメリカや韓国の教会の礼拝にもいくつか出席したが、やはり、賛美は豊かで力強かった。(私たちも賛美しよう!)
「詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。」アーメン

2005年5月 7日 (土)

ゴールデンウィーク+5月8日付+

 ゴールデンウィークは天候にも恵まれたが、皆さんはどのように過ごされたであろうか。
 私のゴールデンウィークは、まず、アパルームの聖書通読の遅れを挽回しようと努力した。5年前のゴールデンウィークに教会の兄姉たちと聖書通読をしたことを思い出し、全巻通読を思えば遅れを取り戻すくらいは何でもないと思ったが、意外に手間取った。旧約がどうしても遅れがちだ。今は列王記のはずなのに、私はまだサムエル記を読んでいる。しかし、サムエル記は文学的で面白いと改めて思った。
 2日は静江牧師と一緒に松本文助兄をシンフォニー楽々に訪ねて、3人で聖歌を歌った。文助兄もよく覚えておられるのに感心する。お部屋も環境もすばらしいが、入居者がお一人では淋しい。どなたか入居希望者はおられないだろうか。
 3日は朝から快晴で、思いついて七つ森へ新緑を見に行った。昔、青年会で泉が岳に登った記憶がある。あれから40年!。教会から30分も車を走らせると田んぼや畑が広がり、のどかなものである。桜はほとんど散ったが、八重が満開だ。1本だけ白の八重桜があった。仙台でも数本しかない珍しい木だという。
 4日、5日は祈祷会、委員会で、どこにも出なかったが、教会のピアノを弾いてみた。
 6日は朝から静江牧師と2人で、宮城学院中高の母の日礼拝に招かれて行った。2人で一緒に行けるのは心強い。静江牧師は礼拝堂で中学生に、私は講堂で高校生に、こんなに大勢の生徒さんにお話ができることは大きな特権だが、時間が短い。全体で15分、説教は10分以内にと言われた。小鳥の話をして時計を見ると、もう2、3分しかない。急いで結論とお祈り。しかし、皆が静かに聴いてくれるので感心した。何人かの生徒がはっきりアーメンと和してくれてうれしかった。神さまが若い魂の中に働いて下さることを祈る。

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