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2005年8月31日 (水)

神の憐れみとご計画

 正月からアパルームの聖書通読の日課に従って、新約は黙示録まで来たが、3章の「サルデスにある教会への手紙」を読んで記憶を新たにした。3年前の6月、教会の皆さんとパウロの伝道の跡を訪ねるトルコ・ギリシャの旅に行き、サルデスの遺跡に転落したことである。シャツやズボンもすり切れて血が滲み、満身創痍といえば少し大げさだが、幸いに頭を打たなかった。「君はラッキーだ」と、トルコの医者に言われ、帰国してから精密検査を受けたが、頭の骨には異常なく、頬骨の骨折だけとわかった。これは単なる幸運ではなく、ただ神の憐れみであり、自分の傲慢を痛切に思い知らされたことだった。
「あなたが生きているとは名ばかりで、実は死んでいる。目を覚ませ。死にかけている残りの者たちを強めよ。わたしは、あなたの行いが、わたしの神の前に完全なものとは認めない。」(3章1、2節)
この最後のところを、新改訳は「わたしの神の御前に全うされたとは見ていない」と訳している。この訳が心に留まって、やや勝手な解釈かも知れないが、「お前のなすべきことがまだ残っているから、わたしはお前を生かしてやったのだ」という神の声が聞こえてくるようであった。
「だから、どのように受け、また聞いたかを思い起こして、それを守り抜き、かつ悔い改めよ。」(3節)あの出来事を通して、悔い改めに導かれた。私たちは、すぐ傲慢になりやすい。だから、神さまは時々、私たちをごつんと叩かれる。ハッとしてもう一度、主のもとに立ち帰る。そんなことを繰り返している愚かな者である。ルターは、「私たちの一生は悔い改めの絶えざる連続であるべきだ」と教えている。
 それにしても、私のなすべくして残っていることが、第2の母教会であるこの青葉荘教会に来ることだったとは、当時は夢にも思わなかった。前任の教会では、大体自分の使命は終わったと考えて、開拓伝道に出ることを考えていたのである。「神の憐れみに満ちたご計画」にただ驚いている。

2005年8月21日 (日)

地震の報告

 去る16日の太平洋宮城県沖地震に際しては、多くの方々から電話やメールでお見舞いやら問い合わせをいただき、ありがとうございました。感謝と共に、ここに、私なりの簡単な報告を書かせて頂きます。
まず、我が家では被害は殆どなかったのですが、同じ仙台市内でも、テレビや電子レンジが床に落ちて大変だった家もあったようです。
これはまず地盤の違いによります。田んぼの埋め立て地などは揺れが大きかったようです。高層マンションの上階も同様です。
特に今回の地震は、震源が近かったにもかかわらず横揺れでした。我が家では南北の方向にかなり長時間揺れました。しかし、人によっては東西の方向に揺れたという人もいるので、確かなことは分かりません。しかし、皆さんもお分かりのように、横揺れは方向によって、落ちやすい向きにあるものと、落ちにくい向きにあるものとがあります。そういう色々な要素が絡んで、被害の程度が異なります。単純に震度だけでは測れないことがおわかりでしょう。地震とは微妙なものだと改めて思いました。
いずれにせよ、多くの方々にご心配いただき、お祈り頂いたことを深く感謝します。21日の礼拝の週報に書いた一文を下に添付します。

「16日昼前、突然グラッと来ました。皆さんも驚かれたと思います。牧師館は本棚から不安定な本や写真が落ちたくらいでした。会堂も守られました。パイプオルガンが心配でしたが、祈祷会の後、松本芳哉兄が点検して下さり、何本かのパイプを調整する程度で済みました。今回は横揺れだったのがよかったようです(パイプは縦揺れに弱いとのこと)。多くの方々から(海外からも)安否を問う電話等をいただき感謝しました。地震は突然来ます。地震への備え、そして、主の再臨への備えが必要でしょう。」

2005年8月16日 (火)

40年ぶりの出会い

 戦後60年の記念の年を迎え、カトリック教会で「合同祈祷集会」が8月14日に開かれました。今年は特別の講師を立てず、仲間内でやろう、みんなで話し合おうということになって、開会礼拝は私が奨励を担当することになりました。カトリック教会で話すのは初めてで、いささか緊張しました。
礼拝が終わって分団に移ろうとしたら、「島 さん、しばらく」と声をかけられ、誰だろうと訝ったが思い出せない。当惑していると、先方から名乗って下さいましたが、全く思いがけない人でした。
「あなたが牧師になろうとしたとき、N教授が心配して先輩として忠告してやるように言われて、あなたのところへ話に行ったことがある」というのです。母校の研究室のSという先輩で、遠い記憶の底に沈んでいたことが少しずつ甦ってきました。そういえば、Sという先輩がいたことを思い出しました。帰ってから早速同窓会名簿を開いてみたら、確かにありました。私よりも10年も先輩で、現在は東北大学の名誉教授となっていましたが、とても10年も先輩には見えない若々しさです。
「きょうのあなたの話を聞いて、牧師になりたいと思ったのも無理がないと思った」と言って下さり、「ポスターにあなたの名前を見て、楽しみにしていましたよ」とも言われたのには感激しました。当日の会場のカトリック教会の信者とのことで、東京の教会で幼児洗礼を受けたとのことですから、カトリックの家庭に生まれた方なのでしょう。10年も後輩の私のことをよく今日まで忘れないでいてくださったものです。仙台に、こういう先輩がいることを知って、心強く思いました。機会を見て、もっといろいろお話しを伺いたいと思いました。
仙台に来て、朝祷会でもカトリックの神父さんたちのお話を聞いたり、信徒の方とのお交わりも出来、本当にうれしく思います。カトリックの方々は平和運動にも熱心です。私たちも大いに学ばねばならないと思っています。

2005年8月 9日 (火)

吉仲 將先生と松江+8月7日付+

 吉仲先生から「松江に来ないか」とお声をかけて頂き、初めて松江を訪ねたのは10年余り前のことであった。松江には一度行きたいと思っていた。その理由は、敬愛するバックストン先生ゆかりの地であることと、母教会の恩師、伊藤馨先生が札幌に来る前20数年の古戦場であったからだ。
松江は宍道湖のほとりにある古い城下町で、松江城を中心に落ち着いた街並みが拡がり、松江教会は城のお濠のすぐ近くにある。松江城はそう大きくはないが風格があり、城の上から眺める城内や街のたたずまいはすばらしい。
お堀のそばに古い聖公会の教会があり、その一室にバックストン先生の温顔が額にかかっていた。しかし、先生はここにおられたのではなく、近くの赤山に大邸宅を構えておられた。なにしろ、先生は英国の貴族の出で何人もお手伝いさんを連れて日本に伝道に来られたのだ。しかも、先生のもとには絶えず多くの青年たちが出入りしたり逗留したりしていたのだから、大家族であったに違いない。赤山にも案内して頂いたが、今は残念ながら新興宗教の建物になっていた。赤山には関係者の墓もある。
松江でもう一人有名な人はラフカディオ・ハーン(小泉八雲)である。バックストンとほぼ同時代に松江で中学の英語の教師をしていたが、二人の親交はなかったようである。ハーンがバックストンを敬遠したのではなかろうか。今、バックストンは教会でこそ知られているが、赤山を訪ねる人はなく、ハーンが住んでいたという小さな家は記念館になって、毎日観光バスが押しかけている。何か、考えさせられるものがあった。
吉仲先生には、当時兼牧されていた愛鹿教会にもご案内頂き、また、翌日には出雲大社も見せていただいた。その後、東京聖書学校のキャラバン伝道で山陰の諸教会を回ったり、山陰アシュラムにお招きを戴いたりして、宍道湖の風景もなじみになったが、吉仲先生には最も懐かしい処であろう。

2005年8月 1日 (月)

岸 義紘先生のこと(2)

 岸義紘先生を迎えての特別伝道集会は終わった。土曜日夜がチャペルコンサート、日曜午前が伝道礼拝で、新来者も多く、礼拝堂はほぼ一杯であった。暑さもほどほどで守られたが、白Y一枚でサックスを熱演し、力一杯メッセージを語られる先生は汗びっしょりであった。チャペルコンサートもサックス演奏だけでなく、ショートメッセージに思わず力が入って時間が足りなくなり、プログラム全曲を演奏できないほどであったが、先生の子どもの頃の挫折の体験は聴くものに共感を覚えさせ、神に愛されているという自覚こそ我らの力の源であるというメッセージはストンと胸に落ちるものがあった。
先生は如何にも若々しい。水泳で鍛えている体は、長時間のサックス演奏にも耐え、時間が進むほど演奏にも油が乗ってくる感じであった。お話しの中で、昔落ちこぼれた中学、高校の同窓会に行くと、自分が一番若く青年のようだと自慢しておられたが、さもありなんと思う。それは岸先生だけではない。教会の人たちは大体若々しく、特に牧師は若いと言われる。力の根源であるお方に親しくつながっている者の特権と言いうるであろうか。
先生の主張の一つは、日本の教会は律法主義に傾いてはいないかということである。これは先生だけではなく、ミッション2001の伝道者たちの共通の主張ではないかと思う。他の教師たちからも聞いた覚えがある。これは実は私の心にあった課題でもあった。
しかし、私の場合は自分なりにウェスレーに学び、「律法と福音」の問題を考える中で、岸先生とは少し違う方向に落ち着きつつある。「律法主義」は間違っているが、「律法」はあくまでも教会にとって福音と共に欠くことの出来ない根幹とも言うべきものだ。これなしにキリストの福音はあり得ない。だから、福音と律法の説き方が問題だと思う。今回は先生と論ずる時間はなかったが、いつか良いときが与えられることを期待したい。

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