「きよめ」とは何か
9月19日に第17回「宮城聖化大会」が私たちの教会で開かれ、宮城県内を中心に遠く青森や岩手、山形からも出席者があった。今回は、インマヌエル綜合伝道団の前総理である河村襄師を講師に迎えて、日常の生活に密着した「きよめ」が語られた。
以下は、ここに出席した1姉妹の感想である。
「聖化大会は『きよめ』がテーマで、はじめは抵抗がありましたが、自分の思いと御心が衝突したときには、一歩も二歩も譲って御心がなされますようにと祈ることが『きよめ』なんだと知ることができました。そのためには日常の生活の中で『ゆだねます。御心のままに』と繰り返し祈ることが大切なんですね。大きな戦いはあるけれど・・・」
「きよめ」とは何かということは、いろいろな表現があるが、この感想もメッセージの中から大切な点をつかんでいると思う。
ジョン・ウェスレーは「キリスト者の完全」を説いて、これが「きよめ」の教えの根幹をなしているが、彼は結論的に次のように述べている。
「(キリスト者の完全とは)一面から見れば動機の純潔、全生涯を神に献げることである。神に私たちの心を全く献げることである。一つの願いと計画が私たちの全気質を支配することである。それは一部だけではなく、私たちの全霊、全身、全実質を神に献げることである。
他の面から見れば、それはキリストの心を心とし、キリストの歩みたもうたように歩ませることである。それは神の像に心が更新されること、心を創造したもうた神に完全に似ることである。
また別の面から見れば、それは心を尽くして神を愛し、自分のように隣り人を愛することである。
さて、あなたがこのうちどの見解を取るにしても(これらの内容には違いがないのだが)、これこそ私が40年間、信じ教え続けてきた『完全』の全部であり、それだけであることは、私の一連の著作が示す通りである。」(「キリスト者の完全」より)

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