松永希久夫牧師の葬儀
先週は5日間ほど東京と吉川でした。関東聖化大会出席と葬儀に参列すること、そして主たる目的はホ群の歴史編纂委員会の作業でしたが、ここには、松永希久夫先生の葬儀に参列した印象を記します。
松永先生は東京神学大学の学長をながく務められましたが、ここ数年体調悪く、この度72歳で召されました。神学校連絡会で何度かお会いした程度ですが、いかにも温厚な紳士でした。感心したことは、ほとんど最後まで意識も信仰もはっきりしていて、地上でなすべきこと一つ一つにけじめをつけて、ご自分の葬儀に関しても、前夜式と告別式に読む聖書と讃美歌を指示し、また、前夜式の説教は最後にご家族と共に出席していた国立教会の牧師に、また、告別式の説教は教え子のひとりで家族のように親しい信仰の交わりがあった牧師にお願いして逝かれたということです。そして、葬儀は礼拝であるから、自分を誉めるようなことは一切言わず、イエス・キリストの十字架と復活の福音が明確になるように、弔辞は要らない、もし、弔電を紹介するならこの人と、そこまで指示して逝かれたとのこと。ずぼらな性格の私などには考えられないことです。
ちょうどお孫さんが生まれて数日後に召されたとのことで、孫の誕生を心待ちにしていて、無事に生まれた孫の写真を見て満足そうであった由。また、子どもたちへの信仰の継承は先生の篤き祈りであったようですが、確かな手応えを感じて感謝し、後は主に委ねて天に帰られました。
弔辞はありませんでしたが、説教は1時間以上、全体で2時間はかかりました(献花に30分以上かかった)。しかし、参列者の皆さんが満たされた明るい顔で帰って行かれたのは「福音が語られた」ことと、「彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている」(ヘブライ11章)ということでしょう。
会場の国立教会は階上まで立錐の余地なく、全国各地から駆けつけた教え子たちが師との別れを惜しんでいました。雨の日の印象深い葬儀でした。

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