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2005年12月31日 (土)

1年の目標は?(1月1日)

 新年を迎えました。私たちの前に拡がる白紙に、今年はどんな文字が書き込まれていくでしょうか。それにしても、どうしてこんな悲惨な事件が次々と起こるのかという昨年の出来事が思い起こされます。今年は何とか平和な穏やかな1年であって欲しいと、誰しも願うことでしょう。
 しかし、聖書からすると(神さまから見ると)これらの事件は意外でも何でもないと思います。神から離れた人間とその社会は根本の所で狂っていると聖書にハッキリ記されているからです。
 スイスの有名な心理学者ユングが、「幸せになるための条件はなにか」と訊かれて次のように答えています。(最近の日経のメールから)
「1番目に健康、2番目に自分がこれでいいと思うぐらいのお金、3番目は人間関係、4番目に美しいものが分かる能力、5番目に朝起きた時、しなくてはいけないことを持っていること、6番目は人生の障害にぶつかった時、それを解決できる能力」。
 健康とお金は、常識的に人々が願うものですが、3番目以下は、人間の精神性を考えた心理学者らしい答えと言い得ると思います。しかし、これだけで本当に人間は幸福でしょうか。
 聖書は人間を「霊、魂、体」の3つからなるものと見ています(テサロニケⅠ 5・23)。「霊」は人間の心の最も深いところを意味し、「神は霊である」というその神の霊に結びついているところです。ですから、アウグスチヌスも言ったように、私たちの霊が神の霊に結びついて、その命に与らなければ、本当の平安も幸せも感じられず、何か「空虚感」が残るのです。有名なパスカルも同様のことを言い、また私が尊敬するウェスレーも「私たちが神によってきよめられることこそ、最も幸福なことだ」と言いました。逆に言えば、仮に健康でなくても、またお金がなくても、私たちの霊が神に結びついているとき、金や健康等では得られない幸福感に満たされます。これを確認する1年とさせていただきましょう。 

2005年12月27日 (火)

受洗満50年

 今年は11年ぶりに12月25日が日曜日です。
 ところで、私が受洗したのはちょうど50年前の今日、やはり25日が日曜日のクリスマス礼拝でした。私はクリスチャンホームの8人兄弟の末っ子に生まれて、上から順に受洗すると「お前も、そろそろ洗礼を受けたらどうか」と言われないまでも、そんなプレッシャーを感じました。しかし、私は小さい頃から教会には通っていましたが、子どもなりに疑問も感じていました。そこで、クリスマスも近づいたある日、思い切って牧師を訪ねることにしました。母教会の伊藤馨牧師は、「札幌に伊藤馨あり」と言われるほどの人でしたが、子どもの頃の私は、そんなことは全く知りませんでした。私の素朴な疑問の一つは、聖書では神が天地を創り、人間も造られたと言うけれど、学校では進化論を教えられた。創世記の記述と進化論とどちらが正しいのか、ということでした。先生はていねいに答えて下さいましたが、必ずしも私を満足させる答えではありませんでした。先生は最後に「なお、分からなかったら、N君にも訊いてみなさい」と言われました。N君というのは私の義兄で、母教会の理論派の筆頭でした。しかし、私はそれ以上誰にも訊かず、自分で考えることにしました。牧師の答えで疑問が解けたというのではないのですが、結局受洗を決意したのです。それは、先生の話を聞くうちに、神さまは大きな大きな存在で、自分の考えることや疑問などはちっぽけなものだと感じたのです。また、先生の話を聞いて、自分なりにぼんやり分かったこともありました。それは、聖書が言っていることと科学が言うことは次元が違うことで、科学は一つの真理、聖書はもう一つの真理を語っているということでした。これは50年後の今も間違っていないと思います。
受洗したのは高校1年のクリスマスでした。日曜学校から一緒だった仲間たち5人が受洗しましたが、今も各地でそれぞれの教会の中心的存在となって活躍していることをうれしく思います。   

2005年12月22日 (木)

チャリティコンサート

 チャレンジはしてみるものですね。果たして本番はどうなるかと心配していたチャリティコンサートは思いに優る恵みの時になりました。昨年度からスタートした宮城中地区ですが、今春は宮城野愛泉教会に若い國津師夫妻を迎え、それで今回のコンサートが実現の運びになったのです。しかし決定が遅れたので、練習期間は1ヶ月半ほどです。全員揃って10数名ですが、多忙な牧師たちですから皆が揃うことはまず期待できません。集まった者で練習していこうということでした。また、牧師たちですから女性が少ないのはやむを得ません。3名のうち國津里咲師は指揮者でソプラノは二人だけ、それで10名ほどの男声に対抗するのは困難です。初めからアンバランスは覚悟の上でした。アルトは早坂先生(男声)が1人で非凡な声でがんばってくれました。
 練習では間違えてばかりでしたが(自分のこと)、最後の合い言葉は「とにかく精一杯元気に歌おう」というものでした。
 さて、いよいよ本番です。当日は天候も懸念されましたが、早朝の雪も止み、午後は薄日も差して、中地区の諸教会はもちろん、他の地区からも駆けつけて下さり、会場は一杯になりました。可愛い子どもたちの声も聞こえます。彼らも賛助出演してくれるのです。お隣りの青年学生センターの賛美グループも何人かで若人らしい賛美をしてくれました。また、地区長の長尾先生はすばらしいメッセージで会を盛り上げてくれました。
 しかし、コンサートですから問題は私たちの合唱です。杉本和生師の祈りをもって講壇に立ちましたが、指揮の里咲先生の笑顔がすばらしかった。その笑顔に力づけられて、彼女の指揮通りに皆が歌ったということに尽きると思います。
 さて、評価は聴衆の皆さんにお任せしますが、一言だけ「さすが信仰を持って歌う牧師たちの声は、一味違いますね」と。募金も思いに優る額となり、所期の目的を達成できたことを感謝します。 

2005年12月14日 (水)

按手礼式に思う

 新庄新生教会の中村英之師の按手礼式に参列し、教区諸教会の牧師達と共に祈りをもって若い教師に按手し、感動の一時を与えられた。式に臨みながら、30余年前の私たちの按手礼を思い起こしていた。
私たちが按手礼を受けたのは1972年2月20日、ホ群委員長・東京聖書学校長であった小原十三司師が召天して一ヶ月も経たないときだ。あの頃は教団紛争がエスカレートしており、造反青年達が教師試験の粉砕を叫んでいた。教師試験は正常に行い得ず、試験をレポートに替え、按手礼式も東京教区総会が開けない状況下で、個々の教会で行われた。それでも近隣の先生たちが何人か来て下さり、司式はホーリネスの群を代表して小出忍師が当たって下さった。その頃立教大学院で学んでいた親友の小林浩師と一緒に受按したが、小林牧師は高崎の教会に赴任し、その後、私の母教会である札幌の教会へ転任された。肉親たちが先生にお世話になった。
教師試験の混乱は長く続き、試験が再開されてからも「こんな曖昧な基準では試験は受けられない」と、ホ群から多くの受験拒否者が出た。それが直接の契機となってホ群の一部(母教会と小林牧師も)が教団を離脱することになり、東京聖書学校も二つに割れて危機に瀕した。私たちが香港から帰国したのはその頃である。思い返すと、教団とホ群にとって多難な30年であった。
 このところようやく落ち着きを取り戻してきたが、教団とホ群はどこに向かって進もうとしているのか。「幻なき民は滅びる」のみ言葉の通り、21世紀を迎えて教会はどのような幻を神から与えられているのか。ホ群と東京聖書学校はどうか。今、ホ群の歴史を編纂しながら、戦後の私たちの歩みはどうだったのか、特に、教団紛争に対するホ群の対応は適切であったのか、考えさせられるところは多い。これからの若い人々には、余計なことにエネルギーを費やさず、伝道と教会形成にまっしぐらに前進して頂きたいと切に願っている。        

2005年12月 9日 (金)

教会復興60周年

 きょうはこの教会が先の世界大戦中、国家による弾圧を受けて牧師が投獄され、教会も解散させられ公の礼拝が許されないまま敗戦を迎え、戦後ようやく礼拝が再開できるようになって1945年12月2日に第一回の礼拝が捧げられたことを覚えて「復興60周年記念礼拝」を捧げます。
 戦前からの会堂はすでに1945年7月10日の大空襲で焼失していたので、復興して数年間は信徒の家庭で礼拝、祈祷会、教会学校等が行われました。礼拝は松下家で行われましたが、最初の礼拝に出席したのは中島代作師、同ヤス師、同喜久代、同恵、松下孝三、同しん、同頼子、伊藤たきえ、平間よしみ、内ヶ崎たまきの方々でした。今もご健在なのは松下しん姉、鶴谷頼子姉、内ヶ崎たまき姉の3姉だけでしょうか。
 中島代作先生は、獄中でも教会復興を確信して祈り続け、その時がきたら「1人でも2人でも良い、理想の教会を」という願いを強く持っておられました。従ってホーリネス信仰に立ち、信徒訓練は極めて厳しいものであったと先輩達から聞いています。
 次第に旧教会員も復帰し、日曜学校も松下家、内ヶ崎家、中島家、斉藤家で開かれるようになり、この分校方式は会堂が再建されてからも続き、ますます盛んになりました。これが当教会の特色となり、その後種々の事情で分校は困難になりましたが、かつてこれらの分校の教師や生徒であった方々が、今日の教会の中心になっていることは皆様ご承知の通りです。(短期間ながら)私もその末席の1人に加えられたことを感謝し誇りに思います。
 もし、中島代作先生がお元気でこの講壇に立たれたら何を語られるだろうかとフト考えさせられました。そして、モーセが苦節40年、出エジプトの偉業を果たし、いよいよ約束の地に入るに際してイスラエルの民に懇ろに語った申命記の1節を取り次がせて頂こうと心に決めました。過去の恵みを深く感謝し、将来に向かって共に前進しましょう。 

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