「皆やっている」(1月29日)
皆さんもご承知のとおり、最近はライブドアショックとか、建築やホテル業界の不祥事が相次いで発覚して、新聞、テレビその他のマスコミを賑わせている。ところが、不正を行ったと見られる責任者がその責任を問われても、まるで他人事のように、大したことではないと言わんばかりの応対が目立つ。これは、責任を問われることを怖れて、表面的にごまかしているのだろうか。それとも、そんなことは皆やっていることで、自分ばかりが責められるのは不当だと本心から思っているのだろうか。
戦後間もなく、ルース・ベネディクト女史の「菊と刀」という本が出て、ベストセラーのように広く読まれたと聞く。欧米のキリスト教を土壌とした思想や倫理と比較して、それがない日本人の考え方の特徴をみごとに描き出した本として注目された。その本に指摘された、「罪の文化」(欧米)と「恥の文化」(日本)ということが盛んに言われた。神を知らない日本人は、人の目しか気にしないから、そこには「罪意識」は希薄で、他人と比べて恥ずかしいという「恥の意識」しか生まれないという。これは、日本人の意識の一面に過ぎないかも知れないが、重要な指摘だと思った。
ところが、最近の風潮を見ていると、その「恥の意識」も希薄になってきたのではないか。それくらいのことは皆やっているという居直りは、罪意識はおろか、恥ずかしいとも思わないという感覚ではないか。まだ分別のない若者なら、分からないでもないが、年齢からも社会的な立場からも、相当な人物と思われる人が平気でそういうことを言う。
世の中はどうなってきたのだろうか。善悪の判断も怪しくなってきたのか、学校でも教師たちはどのように子どもたちを指導するのか、家庭ではどうなのか。とにかく、根本的なところで日本はおかしくなってきたのではないかと心配している。こういう世の中で、少数者であるキリスト者の存在が貴重になってきていると思うがどうだろうか。

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