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2006年4月29日 (土)

新刊「キリスト者の完全」(4月30日)

主にあって敬愛する藤本満牧師から、新刊の訳書を寄贈して頂きました。ジョン・ウェスレーの「キリスト者の完全」です。ウェスレーの主著ともいうべき本で、日本でも多くの人に読まれてきましたが、この度、イムマヌエル綜合伝道団創立60周年の記念事業の一つとして発刊されたもので、一読して、これこそ長く求められてきた本だと思いました。
「キリスト者の完全」はお読みになった方もあるでしょうが、小著ながら教会史において大きな問題提起をしてきた本です。邦訳もメソジスト教会の監督であった赤沢元造訳をはじめ、私の知る限りでも数種ありますが、この度の藤本訳は丁寧な解説と注が付いたところが従来のものとは全く違うところで、今までなかなかなじめなかったこの本が、ぐっと身近になった感じです。
藤本満師は、日本のウェスレー研究の第一人者で、若くして「ウェスレーの神学」を出版され、私も聖書学校のテキストとして用いさせて頂いており、この種の本が少ない日本では貴重なものであります。また、先頃、ウェスレーの標準説教53が三巻でイムマヌエルから出版されましたが、この説教集にも藤本師の解説が付いて、ずいぶん分かりやすくなりました。定評ある説教とはいえ、18世紀の英国ですから、我々が読んでもぴんと来ないところがあります。ですから解説が必要なのですが、これはウェスレーによく通じている人でなければ書けないものです。以前から願われてはいても、なかなかそれが出来なかった事情がお分かりになるでしょう。
 「キリスト者の完全」についても同様のことが言えますが、ついに人と時を得てこの度出版されたという「待望の書」であります。
 今、イムマヌエル出版局では、創立60周年記念に同出版局の本を割引で販売しています。「キリスト者の完全」も定価から15%引き、1700円で買うことができます。この際、この本によってウェスレーの神髄に触れて欲しいと思います。「読む人は成長する人」(ウェスレー)です。        

2006年4月24日 (月)

教会総会を迎えて(4月23日)

 きょうは教会総会である。役員の兄姉が中心になって総会議案書をまとめて下さり、感謝である。これを見ると、一年間の教会の動きや教勢等がよくわかる。礼拝をはじめ諸集会も守られて感謝であるが、大きな反省もある。その一番に、受洗者が少ないことが挙げられる。もちろんこのことも主のみ手にあることであって、このことを通して主は私たちに語っておられるのだから、それをしっかり聞かなければならない。
私の手もとに東京の更生教会時代の月報があるが、教会員のS兄が受洗した20数年前のクリスマスの写真がある。そこに小学生、中高生、青年、婦人など9名の受洗者が並んでいる。その前年のクリスマスにも同じくらいの受洗者が与えられている。その頃と今を比較して、何が変わり、どこが違うのだろうか。まず私たちが歳を取ったということである。これはやむを得ない。そして教会学校の生徒が激減したことである。先の9名の受洗者のうち5名は教会学校の生徒である。しかも、彼らは教会付属幼児園の卒園生であるが、その幼児園も数年前に閉園して、今はない。

 今日は、日本の教会全体が高齢化して、子どもたちや若い人々が大きく減少している。私たちの教会も例外ではない。
 教会は、揺れ動く社会に影響される面もあるから、現象面に一喜一憂するのも考え物だが、将来を見据えて、今の段階で我々は何をすべきか、子どもたちや若者の減少に対して打つ手はないのかを考えねばならない。そのためにも、新年度「伝道委員会」を新設することにした。教会の伝道全体について考え、提案し、実践していく委員会である。すでにある「こころの友伝道委員会」「文書伝道委員会」また教会学校やその他の委員会ともタイアップして、教会の伝道の課題に取り組んでいきたいと考えている。関心のある方々にぜひ加わって頂きたいと思う。           

2006年4月17日 (月)

受難週(4月16日)

 今年の受難週は、吉川(東京聖書学校)で過ごしたという印象だ。火曜日早朝に家を出て、午前は学校の入学式、大きな期待と祈りをもって3名の女子、1名の男子を新入生として迎えた。私はイザヤ書6章から「私を遣わしてください」と題してメッセージ。記念撮影の後、茶話会、教師会、教授会と続き、夜は高校時代の友人が訪ねてきてくれた。原彬久君だ。国際政治学者で、時々新聞にも記事が載るのでご存じの方もあるかと思う。昨秋、岩波新書で「吉田茂」を出版して評判になった。20年ぶりの再会だったが、会ってみるとすぐ高校時代に帰って、話が弾んだ。
 水曜は学校のガイダンスと午後教授会の続き、学生の個人面談、夜は静かに聖書を読む。
 木曜は洗足の日に当たるが、午後はウェスレー神学の授業、そして、近所の不動産屋に多目的の建物を探しに行く。土地代は若干値上がり気味とのこと、適当な物件が出たらすぐ連絡して欲しいと頼んできた。夜は祈祷会。特別に洗足祈祷会で、学生の新鮮な奨励の後、聖餐式があった。静かに聖餐の恵に与り大きな感動を与えられた。
 金曜は受難日。早天祈祷会では「十字架」について短く奨励し、共に祈る。午前午後、授業。今年度から原登師に代わり「ホーリネス特講」を担当する。テキストのトマス・クック「新約のきよめ」を共に読んでいくことにしたが、新入生の初めての授業で、序論を読む程度で終わった。 
 午後は説教演習、3年のI姉が明快な説教をして、学生たちが一言ずつ批評を述べる。それが、なかなか的確で面白かった。授業を終えて学校を飛び出し、大宮から新幹線で順調に帰仙した。
 4日も留守にすると、手紙やメールが溜まっている。週報の仕上げ、この短文書き、礼拝のメッセージの準備など、あっという間に主の御受難日も終わる。土曜日はイースターへの備えである。留守の間に立派な教会総会議案書を作成して頂き感謝。

2006年4月10日 (月)

ホ群年会報告(4月9日)

「ホーリネスの群」の年会が終わりました。今年の主題は「ホ群教会の積極的形成」で、主題聖句はコリント第一3・9が選ばれました。プログラムの主なものとして三回の聖会と事務会、全体協議会、そして三月に召天された池田なおみ師の追悼式が行われました。聖会Ⅱに先立つ「派遣式」では、9名の教師たちが新たな教会へ派遣されましたが、内4名は3月に東京聖書学校を卒業した新任の教師たちです。初めて伝道の第一線に立つ不安はあるでしょうが、それよりも前途への期待がそれぞれの一言ずつの抱負に溢れていました。送り出す私たちとしては、「主と恵みの言葉とに委ねる」(使徒20章)という以外にありません。
 70歳になると、そろそろ隠退の声も聞こえてきますが、中山忍・倫子師ご夫妻は、山梨の郷里伝道を後輩に託して新たに三重県の紀伊長島教会に派遣されていきました。その若々しい伝道の情熱に敬服致しました。聖会Ⅲでは現役最長老となった横山義孝師が力強くメッセージをされましたが、「今年は80歳になるが、18歳くらいの気持だ」との言葉に、アブラハムやモーセの召命を思わされました。ウェスレーも80代で同様のことを言っています。
 事務会では、委員長選挙を始め選挙の多い年でした。山岡委員長三期6年の後を受けて、若い八束潤一師が選ばれ、副委員長には深谷春男師、書記には山田称子師が選任され、三役がぐっと若返りました。続いてホ群委員の選挙でも、比較的若手が選ばれて、私は職責上委員会に陪席しますが、教職では最年長になりました。責任の重さを痛感します。しかし、いつまでも委員会に陪席することが適当かどうかも考えねばなりません。
 特に年会で取り上げられたことの一つは、聖書学校の寮の補充も兼ねて、なるべく早く近隣に多目的の建物を購入したいという学校サイドからの提案でした。この実現のために、覚えてお祈りください。    

2006年4月 1日 (土)

逆境のときに(4月2日)

4月を迎えた。入学とか就職とか、変動の時だが、必ずしも希望通りに行かないのが人生である。私も今までの生涯を振り返って、うまくいかなかったとき、まあまあ順調だったとき、いろいろあったが、挫折感で苦しんだときが、自分にとって一番必要な時だったのだということがよくわかる。
 「逆境の日には考えよ」と旧約聖書にあるが、順境の時はどうしても考えが浅くなる。じっくり考えることが出来るのは、逆境の時である。ヨセフが若くしてエジプトの宰相の務めを果たし得たのは、神が共にあったことを別にして言えば、濡れ衣を着せられて投獄された、あの獄中でじっくりと祈り考えたからであったに違いない。モーセが出エジプトの指導者になったのも、ミデアンの荒野で羊を飼った40年の生活こそが、その基礎を作ったと信じる。
 「充電の時」などと言われるが、携帯電話でも電気カミソリでも、充電しなければすぐ使えなくなる。人間は機械ではないので、夢中で働いているときには気づかないが、神のストップが掛かってみて初めて分かる。こんな事を続けていたら、身も心も破滅しますよ、という神さまの警告なのだ。
 使徒パウロという人は、がむしゃらに突き進む人だった。クリスチャンを迫害していた頃の生き方が、彼の本性をよく表している。そういう性格は簡単には直らない。キリストを信じて伝道者になってからも、方向は180度変わったが、神のためにがむしゃらに生きた。しかし、神はときどきストップをかけて、「静まって、わたしこそ神であることを知れ」と、彼に声をかけられた。パウロの場合は、留められることが必要でもあったし、恵みでもあった。それは、使徒言行録や彼の手紙によく現れている。
 祈祷会で一年間「コリントの信徒への手紙二」を共に学んで、「逆説の恵み」ということがよくわかったのではないか。「わたしは弱いときにこそ強いからです」と、手紙に書いてあるとおりである。それでも、逆境の時はつらい。泣かざるを得ないのが人間である。

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