« 2006年4月 | トップページ | 2006年6月 »

2006年5月27日 (土)

巷の話題に一言(5月28日)

 「ダ・ヴィンチ・コード」という小説か映画を耳にした方も多いと思う。テレビでも放映されている。アメリカでは600万部を超える空前のベストセラーと聞いた。早速、映画にもなって、これまた評判を呼んでいる。静江牧師が文庫本を買ってきたので、そんなに面白い本なのかと上巻を読んでみたが、ミステリーないしサスペンス小説としては(私はよく分からないが)結構読ませる本ではなかろうか。 
 ただ困るのは、イエス・キリストはマグダラのマリヤと結婚して子どもも生まれていたというような荒唐無稽な話とか、それがあたかも歴史的な資料によって裏付けられるのに、教会はそれを恐れてひたすら隠し通してきたなどと尤もらしく書かれてあることだ。聖書やキリスト教について基本的なことが分かっていない人は、それを軽信してしまうおそれがある。事実、アメリカでは若者たちに大きな影響を与え、聖書を読むことも止めてしまったという人も出てきている。こうなると看過できないから、カトリック教会は広く一般に警告を発し、プロテスタントの学者たちも反論のために、本や論文まで書いているようだ。
 しかし、アメリカではともかく、キリスト者が少数の日本において、この本や映画がこんなに騒がれるのはちょっと意外な感じがする。
 最近、「いのちのことば社」から「ダ・ヴィンチ・コード、その真実性を問う」という小さな本が出版されたので、お隣りのキリスト教書店で買ってきた。アメリカの歴史学者とラジオ伝道者の共著になっている。例の本の、聖書やキリスト教に関する記述がいかにでたらめかを暴いていくが、あまり意義も感じられなかったので飛ばし読みしてしまった。
 主イエスは、「木は、その実でわかる」と言われた。いたずらに議論する必要もないが、大事なことは、自分たちはどのような実を結んでいるかを反省してみることではないだろうか。よき実を結ぶ証しこそ、キリストの福音の真理性を力強く証明する。 

2006年5月20日 (土)

 伝 道 元 年(5月21日)

 去る15日、当教会で仙台圏福音主義牧師会が開かれ、初めて参加しました。当日は、東京から首都圏キリスト教大会を終えたばかりのクリストファーサン、姫井雅夫両師も見えて首都圏の様子や、サン師に与えられている伝道のビジョンなども伺いました。当教会の信徒の兄姉数名も出席しました。
 サン師は、台湾出身のエバンジェリストですが、日本の伝道に使命感を持っておられ、手弁当で伝道応援しようという情熱を吐露されました。しかし、伝道するのはあくまでも私たちですから、これから仙台圏の教会がどれだけ一致して伝道会を開こうという願いと祈りを持つことができるかにかかっていると思います。私たちの教会も、仙台市の中心に位置するのですから、今までもそうであったように今後はいっそう協力伝道の輪の中心になっていくでしょう。その覚悟が必要だと感じました。
 今年を伝道元年と位置づけ、迫ってきた創立百周年も睨みながら、教会の伝道体制を整えていきましょう。今年は「伝道委員会」も発足しますが、進んでこの委員会に参加して頂きたいと願います。
 現在は、主の導きを祈っている段階ですが、八月まではチャペルコンサートやファミリーキャンプ、東北夏期聖会などが予定されております。そこで、九月から伝道委員会を始動させて、九月24日に横山義孝師を講師に迎える秋の特伝と「こころの友伝道講習会」、十月は引き続いて信徒伝道月間として伝道礼拝を行い、皆さんにも積極的に賛美や証しのご奉仕をお願いしたいと考えております。
 イムマヌエル教会の田中敬康師によれば、仙台人気質は堅実でねばり強く、一旦信仰を握ったら、簡単に信仰を失うことはせず、師が授洗した兄姉の8割は、忠実に信仰生活を守っており、これは他所では見られなかったことであると語られました。そのような長所を大切にして、私たちにどのような伝道が求められているか、知恵を絞って参りましょう。 

2006年5月13日 (土)

 朝の時間をどう使う?

 朝はゴールデンタイムです。もっとも、夜型の人は、朝は眠たいだけだという人もあるでしょう。私も学生時代は完全に夜型でした。それが、献身して聖書学校の寮に入ったときから全く変わりました。聖書学校では毎朝5時半から、早天祈祷会がありました。そこで訓練されて、中野の教会に遣わされてからは、当然のように早天祈祷会(ひとりの時もあったが)を続けました。この習慣が緩んだのは我が家に愛犬ラビ一世が来てからです。犬は早朝から散歩に連れていけとせがみます。そこで祈りが中断したり、散歩の後になったり、いろいろありました。香港では、朝は妻とふたりで家庭礼拝を守るのが習慣になり、これも貴重な経験でした。
 西川口教会では、早天祈祷会を再開しましたが、ラビ二世が来て、またまた祈りを妨げられました。夏の間は早天の前に犬の散歩を終えていましたが、冬はどうだったかよく覚えていません。
当地、仙台に来て、散歩が先か祈りが先か、これも微妙な問題です。榎本保郎師は「人は何とか祈れない理由を探して祈らない」と言いましたが、本当だと思います。しかし、幸か不幸か昨年6月にラビが死んで、犬の散歩からは解放されました。
 ところが、朝ラビを散歩させているうちに、近くの上杉公園で体操をしている方々と知り合いになり、仲間に加えてもらって、今は毎朝6時から30分ほど体操をしています。呼吸法を取り入れた、ちょっと太極拳に似ている体操です。これを毎日するようになって、運動をほとんどしなかった私としては体調が良く、気分も爽快になりました。しかし、その分、祈りの時間が短くなります。ここが難しいところで、聖書は「体の鍛練も多少は役に立ちますが、信心は、この世と来るべき世での命を約束するので、すべての点で益となるからです」と教えています。
 さて、朝の時間をどのように使うか、何を優先順位の上位に置くか、分かってはいても実際は難しいところです。皆さんは如何ですか?

2006年5月 8日 (月)

「新しい人に」(5月7日)

 先日の礼拝で、大江健三郎さんの「新しい人に」を紹介しましたが、礼拝に見えているK姉が、大江さんの「新しい人に」という詩を持ってきて下さいました。これは実は合唱曲になっていて、一昨年のNHK全国学校音楽コンクール高等学校の部の課題曲になったものです。この曲の作曲者は信長貴富という方でK姉のご友人とのことです。曲を見ると素敵な合唱曲だと思いますが、残念ながら聴くことが出来ないので、ここには大江さんの詩だけを紹介します。

 「新しい人」に     大江健三郎

私は好きだった、
信じることの できる自分が。
人を、生きている世界を、
その未来を 信じると、
私がいう時、
星ほどの数の 子供たちが、
信じる、といっているのを感じた。
     
ある日、信じるといえなくなった。
私が生まれる四十年前の夏、
一瞬の光が、
子供たちを、
ガスにしてしまった、と知って。
それから、
信じるといおうとすると、
ガスになった子供たちが、こちらを向く。
ガスになった目で、私を見ている。

いま、私は、
古い 古い 手紙を、教えられた。
争う者らを 和解させる、
「新しい人」が来た、という手紙。
私は、胸のなかでたずねる、
もう一度、「新しい人」は来るだろうか?
世界中の子供たちが、
それぞれの 言葉で、答える。
――きっと来てくれる、心から信じるなら。
「新しい人」に、私は祈っている、
来て下さい、あなたと働きたい私らの、
いま、ここへ!

 注:「古い古い手紙」エフェソの信徒への手紙

« 2006年4月 | トップページ | 2006年6月 »

2008年5月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

最近のトラックバック

ブログ:ココログ