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2006年6月29日 (木)

驚異の一麦教会(7月2日)

 名古屋における東海聖会は恵みのうちに終った。不十分なご用ながら、責任を果たし得てホッとしている。お祈りを心から感謝する。今回、一番印象深かったのは会場教会となった一麦教会で、丸一日の短い逗留だったが、そのことを記してみたい。

 一麦教会は、名古屋東部の住宅街の中にあり、コの字型の真ん中が玄関へのアプローチになっており、左側に礼拝堂、右側に牧師館があって、全体が一つの建物になっている。かなり広い会堂で、住宅街にマッチして景観賞を受賞したとのこと(会堂建設では定評のあるヴォーリズ建築事務所の設計)。

 何よりも驚いたのは、この大きな教会を牧会しているのは松原向(さき)というおばあちゃん牧師で93歳とのこと。ご主人の和人師が独立で伝道を始めて「活けるキリスト一麦教会」の基礎を築かれ、40年前に60歳で召天された。その後を、英語教師であった向師が引き受けて、93歳の今日まで伝道牧会に励まれ、礼拝が常時250名という群に成長した。その秘密はどこにあるのだろう。短い滞在では十分に知ることはできなかったが、松原師が祈りの器であることは間違いない。信徒の方々も、松原先生に祈られているということが心の大きな支えになっていると語られた。毎朝五時半からの早天祈祷会には数名の信徒が出席して先生と共に熱心に祈っておられる。

 日曜日、朝8時45分から教会学校が始まり、かなりの子どもたちと教師たちが元気に賛美していた。礼拝は10時から始まり、ほぼ満堂の会衆で、活気がある。パイプオルガンとピアノの伴奏で、賛美も力強い。聴覚障害の方が10名ほど手話で賛美していた。外国人も何人か見え、同時通訳がなされている。若い人から高齢者まで偏りなく集まっているようだ。礼拝の途中でお揃いのTシャツを着た子どもたちが20名ほど入ってきて、手を叩きながらワーシップソングを賛美したのがすばらしかった。説教も語りやすい雰囲気で、全体で一時間半ほどと短かすぎず長すぎず、礼拝を捧げたという充実感が残った。日本にもこんな教会がある。  

2006年6月22日 (木)

隠退教師の挨拶(6月25日)

  きょうは地区の講壇交換で、ジェフリー・メンセンディーク師からメッセージを頂けることを感謝します。今エマオ館では、父上・ウィリアム先生のコレクション展が行われており、貴重な写真等が展示されています。生涯を日本宣教、特に東北学院のために捧げられ、隠退して帰国され、先頃帰天されました。ジェフリー師は父上の写真のお顔にそっくりです。

 私は最近、ある福音系の教団の機関紙で、今春隠退された6人の牧師たちの紙上挨拶を読み感銘を受けました。皆、40~50年の伝道牧会を終えて隠退された方々ばかりですが、「ただ神の憐れみによって献身生涯を全うできた」と語っておられます。

 「この頃しみじみ思い、反省させられることは、聖書をどれ程味わい、知り、生活したかということである。聖書を喜び知っているか、どれ程精読、熟読、味読、自らの血となし肉となし、聖書に生きたかと思うと、ただ平伏するのみである。聖書を深く読み味わい知り、聖書に沈潜し、生きたみ言葉の証人であったかと厳しく反省する。上滑りに、無味乾燥に、表面的な生煮えのままで思い込んで生活してきたのではないか。・・・特に牧師として、聖書を半煮えのままで、よくも厚顔無恥に生活してきたのではないかと痛く恐れ、平伏の他はない。・・・」とは、尊敬するS牧師の一文です。

 「妻の末期癌、召天、隠退、引っ越し、心身共に疲れ切った三ヶ月でした。先日、土曜日遅くまで整理しながら、ふと明日の週報は? そして我に返り『もういいんだ。これが隠退だ』と心中叫びました。・・・一年365日、週報とメッセージに追いかけられ通しでした。3月26日、現役最後の祝祷を終え、講壇を降りる際に『これで全部終わりましたー』と、思わずガッツポーズをしました。不謹慎この上なしです。でもそれが精一杯生きてきた私の偽りない気持でした。・・・」とはY牧師の一文。ありのままで滲み出てくる福音の恵み、それこそ本物と言うべきではないでしょうか。     

2006年6月16日 (金)

祝されたチャペルコンサート(6月18日)

 先週の菅英三子姉をお迎えしたチャペルコンサートは、大勢の来客を迎えて会堂は満席だった(約250名)。皆さんが「感動しました」「良い企画をありがとうございました」等の感想を残してくださった。アンケートを提出して下さった方も132名にのぼり、その内23名は無記名だったが、教会員の名前は一人なので、他はほとんどお客様とみて、教会員を除いたアンケートの回収率も六割以上と見ることができる。

 コンサートを何によって知ったかとの問には、「家族、友人に誘われて」が63、「新聞の案内を見て」が33、「チラシを見て」が22、「看板を見て」その他が11、不明が3だった。チラシは4000枚を河北の折り込みで配り、近隣のマンションに数百枚を手配りしたが、新聞の案内の方が多くの人の目に止まるということであろう(新聞は、河北、朝日、読売の三社)。実際、かなりの方から電話の問い合わせがあった。

 興味深いのは年齢構成で、不明の20を別にして、20代以下4,30代6,40代10,50代24,60代33,70代29,80代以上8である。つまり、聴衆の八割強が、50代以上ということで、30歳以下の若い人々はほとんどいなかったということである。それは会場を見回しても明らかであった。これは、菅さんのファンが高齢の方が多いのか、若い人はクラシックにあまり関心がないということか、今後の検討課題である。

 地域は、仙台市内の各所、近郊や石巻にまで及ぶかなり広範囲にわたっている。逆に、近隣の方々がどのくらいおられるか、細かく調べれば、新聞折り込みの効果などもある程度は判断できるであろう。
 以上は、数字に表れたチャペルコンサートの一面である。もちろん、数々の感動や感謝の言葉が残された。また、演奏が始まっても、後方がざわついたのが気になったというご注意もあった。これらを今後の企画にいかしたいと思う。      

2006年6月 9日 (金)

チャペルコンサート(6月11日)

 きょうは菅英三子姉をお迎えして、楽しみにしてきたチャペルコンサートである。今年は「賛美と交わり」の年なので、きょうは記憶に残る日になるであろう。4000枚のチラシを新聞折り込みで配布し、また、河北や朝日にも広告を載せて頂いたので、今回ほど問い合わせの電話が多かったことも珍しい。会堂に入りきらない人々が集まるかも知れない。電話では、早めにお出でくださいと案内したが、実際、200名を越えると座ることが難しくなる。その場合は、教会員の元気な方々は、二階のギャラリーで聴いて頂きたい。

 チャペルコンサートといえば、忘れられないのは、香港の聖公会の会堂での「メサイア」演奏を聴きに行ったときのこと、広い会堂だったがすでに満席で、空いているのは最前列しかなかった。仕方なく最前列まで進み、空いていた一つに座ったら、その席は実はソリストの隣の席だった。開演時間になって、指揮者やソリストたちが入ってきて、立派な燕尾服のソリストが私の隣りに座った。歌うときには前に立って歌ったが、私も緊張してしまって音楽を楽しむまではいかなかった。

 ドイツのバッハコンクールで第一位になったという今仲幸雄兄をお招きしたことがあるが、熱心にお嬢さんのことや、ご自分の証しを語って下さったのが心に残っている。音楽のよく分かる方が、声楽家があんなに語っては演奏のためによくないと言っていたが、主から受けた恵みを語らざるを得ない気持だったのだろう。 

 今はテレビなどでも有名になった沖縄出身の新垣勉牧師(盲人)も、軽妙なトークでピアノの弾き語りをされたが、体調が今ひとつでお気の毒であった。他に盲目の牧師で忘れられないのは影山範文師(テナー)で、ご夫人も盲目であったが、一粒種が当時三歳ほどのぱっちりと目の大きい女の子であった。その後、立派に成人して活躍しているとの消息を、最近、たまたま耳にしてうれしかった。  

2006年6月 3日 (土)

新しい宣教の取り組み(6月4日)

 教区総会が終わった。今年の総会の目玉は、夜の協議会で新しい宣教の試案が取り上げられた事である。それは、常置委員会から宣教研究所に託されたことで、過疎化の地域、特に教会が高齢化して経済的に牧師を迎えることが出来ない教会が増えてくる中で、従来の考え方では宣教が成り立たなくなってきたという危機感からの取り組みであった。
 今回、宣教研究所は、教区内の2地域(福島県原町近辺、山形県新庄市)をモデルケースに取り上げ、既存の教会を生かしながら、新しい取り組みができないかという可能性が探られた。宣教研究所の試案はかなり大胆なもので、当該教会の方々には衝撃的であったかも知れない。例えば、3つの教会が合同して新しい教会・集会所を生み出し、また、幼稚園・保育園その他の付属事業を地域の必要に合致するものに整えて、そこに必要な働き人を送り込んでいくというような考え方である。
 それぞれの教派的伝統を受け継いで、必死に教会を守ってきた信徒の方々にとっては、教会の合同や、ネットワーク宣教と言われても、そう簡単には受け入れられないという気持はよく分かる。しかし、そのような抜本的な対策を考えなければ、乗り越えられないところまで来ているということも事実ではあるまいか。

 このことに関連して、香港JCFや海外のクリスチャングループの存在は、日本の教会にも参考になると思う。私たちが香港にいた頃は、日本語の教会は一つだけで、いろいろな教派の信徒の方々が一つになって礼拝を捧げ、伝道に励んでいた。そこに諸教派の伝統が豊かに生かされていたと思う。教派の伝統をなくしてしまうのではなく、それを大事にしながら、主にあって一つになる可能性を追求していく事である。海外ではそうせざるを得ない状況があった。しかし今や、国内においても、別の意味でそういう状況になってきている。この危機を神のチャンスと考えることはできないか。      

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