さわやかな晩年(10月1日)
最近、ある方から次のようなお手紙を頂きました。
「・・はかり知れない神さまの愛と恵みによって、今日八十歳の誕生日を迎えることが出来まして感謝いたします。不思議なように試練の中にも御心にそった判断が与えられ、ひとり暮らしではありましても、平安な日々を過ごしております。
『労苦によって得た何物も、
その手に携えていくことは出来ない』
執着していた物を手から離していく年代になりました。どうぞ主の働きのために、み業が進められるためお用い頂きたいと思います。私も体調を整えつつ主に仕え、備えつつ励んで参りたいと存じます。」
このお手紙と共に、多額の献金を東京聖書学校のためにお献げくださいました。お手紙を何度も読み、特に「執着していた物を手から離していく年代になりました」という一文が心に残りました。私はまだ八十歳までしばらくありますが、その歳になったときに、この方のような心境になることが出来るかどうか、これは貧富に関わりなく、神さまから問われることではないでしょうか。
歳をとると、いよいよ物に執着する心が強くなるとも言われます。子どもの頃に、そんな哀れなおばあさんの話を聞いたように思います。そんな浅ましい晩年を過ごすか、または、このお手紙をくださった老姉妹のようなさわやかな晩年になるか、それは今の私たちの価値観と生きざま、そして日々の祈りによるのではないでしょうか。
主イエスは「受けるよりも与える方が幸いだ」と言われ、また、「与えることによって、ますます豊かに与えられる」と約束して下さいました。それは、与えることによって、まず心豊かに生きることが出来、さらに現実に必要が豊かに与えられるということです。これは今日まで多くの人々が経験してきたことです。「右の手のしたことを左の手に知らせるな」のみ言葉の通り、密かに与え、献げている方々も多くありますが、神さまはすべてをご存じですから、神の祝福もまた豊かであると信じます。

最近のコメント