聖書研究はどのように(11月26日)
26日の日曜日は朝から忙しい一日でした。早朝から、会堂正面の樅の木(?)に兄弟たちがクリスマスの電飾をつけてくれました。これで来週からのアドベントに備えていつでも点火OKです。また、礼拝後は役員会とクリスマス委員会が同時平行して行われ、また午後2時からは中地区牧師会によるチャリティコンサート。昨年ほどではなかったですが、まあまあの出来だったのではないでしょうか。K牧師への献金も献げて頂き感謝でした。
今週の週報短文は、教会員へのメッセージで、ちょっと堅いのですがお許し下さい。
皆さんは、聖書研究がお好きですか?私が伝道者になろうと決意したとき、中島代作師の親友であった荒谷健市師から「君は、聖書研究が好きか?」と問われました。嫌いなら、伝道者になるのは止めなさいという忠告だったでしょう。しかし、これは伝道者、牧師に限らず、キリスト者はみな聖書研究(以下、聖研)が好きであって欲しいと思います。
私たちの教会では、各例会や地区会で聖研がなされているようですが、どのようにされているでしょうか。担当者が注解書その他で調べてきたことを発表するのが普通のやり方ではないかと思います。しかしそれが、担当者本人やそれを聞く者に、本当に益になっているでしょうか、信仰が成長しているでしょうか、そこが問題だと思います。
そこで、私の希望をここに書かせて頂くならば、まず聖研の担当者は、聖書の当該個所を繰り返し読むことから始めて欲しい。新共同訳だけでなく、他の聖書が手もとにあれば、それらを読み比べてみることも有益です。そして、何度か読む内に、書かれている事柄が大体分かってきます。それを自分の言葉で書いてみることもよいでしょう。また、分からないところはどこかをピックアップします。それを注解書で調べてみることも結構ですが、なるべく注解書は見ないで、「ここが分からないが、皆さんはどうですか?」と、尋ねる方がよいでしょう。さらに、自分の心に響いてきた言葉、特に印象深い言葉をピックアップします。また、自分の罪が示されたら、それも書きます。そして、それらに関わる神の約束は何か、自分はどう受け止めるか、また、示されたことをどのように自分の生活に活かしていくか、そこがとても大事なことです。つまり、単なる聖書の勉強ではなく、自分との関わりを語るのです。それが、聞いている者に、大きな示唆を与えます。そういう聖研こそ楽しいのです。参考書は、今度教会で買った旧新約の「スタディバイブル」1冊でも十分ではないでしょうか。如何ですか?

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