初めての説教(4月1日)
棕櫚の主日を迎えて、礼拝では主イエスに高価なナルドの香油を注いだ女のことを学びますが、実は、このところは私にとって忘れられない個所です。というのは、私の説教ノートⅠの①に「ナルドの香油」という説教が記されています。これは私の補教師検定試験の説教課題が、この所であったのです。ですから、説教なるものを初めて書き、中島代作先生に見て頂いて提出したのがこれでした。先生から「これを夕拝で説教しなさい」と言われて、この教会で初めてさせていただいた説教でもあります。ざっと40年も前のことです。しかし、あの時私の拙い説教を聞いて下さった方が何人もご健在なのはうれしいことです。
これを読み返してみると、今の説教とあまり変わっていないと思います。40年間ほとんど進歩がなかったと言えば寂しい感じもしますが、説教の主体は聖書であるはずですから、そんなに変わってはおかしいとも言えます。ただ、語る人間は40も歳を取ったのですから、説教そのものは多少は変わっているでしょう。
しかし、説教というものは不思議なもので、その歳でなければ語れないものがあります。若いときは、いろいろな面で未熟ですが、若いからこそ語ることが出来ることがあり、それを神さまは用いて下さるでしょう。また、熟年にならなければ、語れないこともあります。若い頃から、私の牧師はみな熟年の方々でしたから、若い牧師の説教を殆ど聞いたことがありません。わずかに、この教会に来て、当時伝道師であった中島豊先生の説教を夕拝で聴き続けたことと、西川口教会で、金田佐久子牧師の説教を聴くことができたくらいです。中島豊先生はその頃、旧約のナホム書から連続講解説教をしておられました。今、中島豊先生はすでに隠退され、私も歳を取りました。そして、私の説教ノートも60冊を超えています。ここにいくつの説教が書かれてあるか数えることも出来ませんが、きょうはその第一の説教を読み直し、初心に返ってみ言葉を取り次がせて頂きたいと願っています。

最近のコメント