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2007年4月28日 (土)

東京聖書学校新年度始まる(4月29日)

 東京聖書学校も新年度が始まりました。入院する教師や海外に出張する教師もあり、なかなか軌道に乗らないのですが、私もようやく第一回目の授業に行くことができました。そのことを書きました。
 
 去る入学式を前にして青木惇子姉が天に召され、続いて三浦誠兄が召されたので、年度の初頭から授業を休講にしてしまいましたが、いよいよ27日から私の担当する授業が始まりました。今年度は基本的には金曜日を日帰りでと考えています。
 朝6時の新幹線に乗ると、9時からの授業に悠々間に合います。4時間半の授業を終えて急いで帰れば3時20分頃大宮発の「はやて」に間に合いますから、5時には帰宅できます。ちょっと余裕を見ても6時には帰れます。昔、中島代作先生が月一度上京されて、しばしば私たちの所に一泊され、集中講義をしておられた頃とは隔世の感があります。
 昨年度までは、隔週で木、金と授業をしていました。それで3年間やってみたのですが、隔週というのも難しいものです。今年度は以前のように毎週に戻して頂き、とにかく1年間やってみようと思います。学校に泊まらないので、荷物が教科書だけですから、駅の移動も身軽でとても楽です。学校には立派なゲストルームがありますが、やはり我が家に寝るのとは違います。まだ、一回だけですが体が楽だなと感じています。ただ、交通費がかかります。「大人の休日倶楽部」の会員になり3割引はありがたいですが、それでも一回1万5千円ほどかかります。それだけの交通費をかけるに値する授業をしているかと自問すると、内心忸怩たるものがありますが、一年間はお許しを願って、青葉荘教会としても個人としても精一杯学校に献げたいと願っています。ご支援をよろしくお願いいたします。
 学生たちは半減して寂しくなりましたが、それぞれに張り切って授業に臨んでいます。説教演習ではトップバッターで4年生のI兄が説教しましたが、昨年度とは見違えるような成長ぶりに驚きました。聞いてみると、昨年度は日曜の派遣教会で、毎月一度礼拝説教を担当させられたとのことです。これは例外的なことですが、顕著な成長も肯けます。どうぞ、学生たちのためにもお祈り下さい。     

2007年4月23日 (月)

三浦 誠兄の召天(4月22日)

 またまた、短文の更新を忘れるところでした。このところ、色々なことが続いて、普段のペースを取り戻せない感じです。きょうは私たちの敬愛する三浦誠あにのことについて一筆しましたので、ご紹介します。
   
  三浦誠兄は寡黙な方でしたから、お話しをお聞きした記憶がほとんどありません。ところが、この度のご召天と葬儀を通して、故人のことをいろいろ新しく知ることができました。特に、1997年に自費出版された「南十字星を偲んで」という立派な本があることも今回初めて知りました。これは、「南十字星の下、トラック島で散った戦友に捧ぐ」という内扉の言葉に分かるように、故人が生涯心に抱き続けてきた前大戦の記憶、特に、戦死した戦友や部下たちのことがあり、遺骨収集や墓参にも努めてこられましたが、喜寿を迎えた年に記念出版して後世にしっかり書き残しておきたいという意図がありました。
「まえがき」に、
一、大東亜戦争が終わって既に半世紀も過ぎ、今ここに回顧し「南十字星を偲んで」を書くことは、小生喜寿の記念でもあり、誠に意義深いものがある。
二、本書の目的は、この戦争が何故起きたのか、その原因と戦闘経緯、そして敗戦の理由、及び戦争を防止する方法は何かを主眼に記録した。
三、本書は更に、自分の戦争体験として、朝鮮の羅南師団から、南方のトラック島における戦闘の経験も記入した。
四、この「南十字星を偲んで」は、後世の子孫のため参考になればその念願は達成され、更に少しでも世界の恒久の平和が維持できれば本懐とするところである。

 これは前大戦の生き残りの一人の貴重な記録です。実際に経験した人とそうでない人とでは、言葉の重みが全く違います。皆さんもぜひ手にとってご覧になることをお奨めします(教会図書にある)。また、皆さんも「自分史」を書くなり、何か家族や教会の兄姉に書き残すことがあるのではないでしょうか?

2007年4月14日 (土)

めまぐるしい一週

多忙に追われて、短文を更新するのを忘れていました。
4月8日は、もう過ぎてしまったので、15日のをアップしましょう。
   
 めまぐるしい一週間でした。月曜から水曜まで市川においてホ群の年会が開かれ、全国から教職、信徒が集まり、聖会・事務会その他が行われました。年会のハイライトは、二日目夜の派遣式ですが、今年は九名の教師達が新たに教会に遣わされました。その中七名は東京聖書学校の卒業生です。他に二人の教師の異動がありました。
 ところが派遣式を前にして、教会の青木惇子姉が召天されたとの連絡が入り驚きました。仙台と連絡をとりながら、静江牧師が急遽帰ることにいたしました。本来なら葬儀のために両牧師がすぐ戻るところですが、年会での責任に加えて木曜の聖書学校入学式の説教があり、これは誰かに替わってもらうことも難しく、ご遺族に願って入学式が終わるまで待って頂くことにいたしました。
 青木姉の病状については、かねてT姉から伺ってはいましたが、3月18日まではお元気に礼拝、祈祷会に出席しておられましたから、もう少し先と思っていました。しかし、すべてのことに時ありで、神さまの最善の時だったのでしょう。青木姉は、以前に葬儀のために全員にお願いしたアンケートにきちんと答えて下さり、また、八五周年記念誌にも一文を寄せておられますから、葬儀の折には大いに助けられました。前夜式、葬式共に大勢の参列者がありました。特に、孫達から慕われておられたことがよくわかり、また、葬儀において語られた故人の思い出、弔辞は心に沁みるものでした。「青木さん、最後までご苦労さまでした」と感謝を申し上げます。
 金曜日は、火葬場から戻ってすぐに青年文化センターに駆けつけました。教職たちの準備祈祷会と会食、宮城中地区牧師会聖歌隊の練習と続き、本番は7時からでしたが、私が司会を命ぜられ、風邪声でご迷惑でしたが何とか責任を果たすことができました。クリストファー・サンの説教は力強かったが、長かった。それでも、数名の決心者も起こされ、9時を少し回りましたが、共に祈って秋の伝道会に期待したことでした。

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