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2007年5月26日 (土)

聖霊が降るときに(5月27日)

 今年もペンテコステを迎えました。教会を生かす聖霊よ、我らを満たし、支配して下さいと祈ろう。
   
 ペンテコステの主日を迎え、祈る弟子達に聖霊が降って彼らが新しくされ、ペトロの説教を聞いて多くの人々が悔い改めて主を信じ、その日に三千人ほどが洗礼を受けてエルサレム教会が誕生したということを新たに思い起こしている(使徒言行録2章)。これは遠い昔の夢物語に過ぎないのであろうか。
 主イエスの文字通り命を賭けた伝道も、三年間心血を注いで弟子達を育てようとした訓練も、もし聖霊の降臨がなければ実を結ばなかったと言える。使徒言行録に見る教会は、聖霊が生き生きと働く教会の本来の姿であり、以後二千年の教会の歴史は、そのような聖霊の働きのリバイバルを祈りつつ、浮きつ沈みつして今日に至ったと言える。
 ペンテコステの日に何が起こったのか。まず聖霊が注がれて弟子達が変えられた。それはペテロにおいて顕著だが、ペトロだけではなく、一人ひとりが変えられた。聖霊は十把一絡げでなく個人個人に働いて、一人ひとりを主の器に変えて下さる。
 今、聖書学校で学生たちと読んでいる「新約のきよめ」(トマス・クック)に、ムーディーの証が出ている。
「私は新しい油注ぎを得たいと、どれ程願ったことでしょう。私は、数名に毎週金曜日の4時に来て、一緒に祈ってくれるようにお願いしました。ああ、神がこの空虚な器を満たして下さるように、私は何と哀れに祈ったことでしょう。…そのとき、私はあたかも不思議な大きな力が私にのしかかってくるように感じました。私はホテルに戻ると、自分の部屋に入り『おお、わが神よ、あなたの手を止めて下さい』と、神の前に泣いて叫びました。神は、私が耐えられないほどに思われる満たしを私に与えて下さったからです。……」
 靴屋の職人だった彼が、驚くべき主の器に変えられたのは、この聖霊の注ぎが与えられたからである。この原則は昔も今も変わらないと信じる。「ただ、聖霊が降るとき」という約束が新しく信じられ、祈りが始まるときに、新しい神の業がなされることを信じる。「主よ、我らにリバイバルを」と祈ろう!

2007年5月22日 (火)

歴代の牧師たち(5月20日)

 アップが遅れました。
 当地は、新緑がきれいです。街路樹もすっかり新緑に包まれました。
   
 前号に、山口幸子、錦織博義共著「ホーリネスの流れ」(続編)から、当教会の初代牧師、野辺地天馬と五代目の山崎亭治について紹介した。そこで改めて「八五周年記念誌」を繙いてみると、両師も含めて歴代の牧師たちについて、資料に基づいて良く書かれてあることに感心した。これを読み直してみて思ったことは、当教会の牧師たちは、まず勉強家であったと言うことである。野辺地、山崎両師もそうだが、その外の先生方も皆そうだ。「神学がない」と批判されたホーリネス教会において、野辺地師をはじめ歴代の牧師たちは、その時代にホーリネスの伝道者、牧師としての(神学と言わなければ)高い見識を持っておられた方々だ。これは杜の都仙台の気風にふさわしいというべきだろう。
 二代目の綿貫満弥については資料がなく不明だが、三代目、菅野鋭、四代目、森五郎も勤勉な努力家だ。昭和八年のホーリネス教会の分離の時は、菅野は委員側でいわゆる五教授の一人、森は監督側につき、後に中田監督の後継者とみなされた人である。ホーリネス教会の貴重な資料となった「中田重治伝」出版のため、大きな貢献をしている。
 六代目の植松英雄もこつこつと勉強される方で、昭和15年に聖教会を離れて日本一致教団に所属し、日本一致神学校の教授兼生徒監として迎えられている。戦後も神学校の教師を務めながら、病床伝道、電波伝道に力を注いだという。
 七代目の中島代作師は多くの兄姉がご存じだが、戦後のホ群を代表する筆の人であり、各地の聖会に頻繁に招かれてホーリネスメッセージを語り続け、東京聖書学校ではなくてならない存在であった。
 また、我らのホ群の委員長・東京聖書学校長として中心的存在であった小原十三司師も、菅野鋭時代の補助者であった。
 このように見てくると、私たちの教会の歴代の牧師、福音使は所属したホーリネス系の団体を代表する人々になったとみてさしつかえない。 

2007年5月13日 (日)

二人の先達(5月13日)

 私はこの教会の9代目の牧師ですが、先輩の牧師たちは素晴らしい方々でした。そのことを思っても、この教会に招かれたのは、身に余る光栄と言わねばなりません。同時に、教会と先輩たちの名を辱めてはならないという責任感も覚えます。きょうは、お二人の先達を紹介します。
   
 東京聖書学校に行く車中で、山口幸子、錦織博義共著「ホーリネスの流れ」(続編)を読んだ。山口幸子師のライフワークともいうべき著書だが、この続編は車田秋次から始まる数人のホーリネス教会の先達の評伝である。山口幸子師は執筆の途中で病に倒れ、錦織師がその遺志を継いで完成された。この中に、当教会の初代牧師、野辺地天馬と五代目の山崎亭治が取り上げられている。「八五周年記念誌」にも幾分か記されているが、両師のひととなりと信仰が良く描かれていると思った。
 私は野辺地師にはお会いするチャンスがなかったが、山崎師には何度かお会いした。特に、いつかの箱根のケズィック・コンベンションでは、親しくお話しを伺い、祈りもしていただいた。その時、すでに90歳に近かったと思うが、かくしゃくとして、聖書学院教会の協力牧師のようなお立場ではなかったかと思う。「学院教会のことは小林和夫師に委せて何の心配もない。教会も祝されて成長している。しかし、日本はこれでよいのかといつも思っている。リバイバルを見ずして天国に行くのは忍びない」と言われて、切々と日本のリバイバルのために祈られたのが忘れられない。この評伝を読むと、いかにも地味な努力家で、大変なご苦労をされたことが良く分かる。野辺地師の口癖であった「人生すべからく田舎伝道者たれ」とは、山崎師にこそぴったりの言葉ではないか。
 野辺地天馬師は子ども伝道に撤した方で、子どもたちへの話は天下一品だったというが、教会の牧会よりペンでご用した方であった。子どもたちに師のファンが大勢いると思う。お名前から「天馬、空を行く」という言葉を連想するが、そのように颯爽と天翔る姿を彷彿とするような洒脱な紳士ではなかったか(間違っていたらお許しを)。前掲の言葉と共に、「伝道は人なり」と、「雲の上は常に晴天なり」が師の愛唱の言葉であった。これらの二人の先達がこの教会の牧師であったことを覚えたいと思う。 

2007年5月 7日 (月)

ゴールデンウィーク(5月6日)

 ゴールデンウィークが終わってしまって、こんなタイトルではピンぼけですが、お許し下さい。今年はのんびりと休日を過ごしました。皆さんは、如何でしたか?
 
 ゴールデンウィークも終わりですが、今年はのんびり休日を楽しみました。たまたま祭日が一週間ほどの中に重なったのでゴールデンウィークと呼ばれるようになったわけですが、一つひとつの祭日には意味があります。特に、今年はその意味を思わせられました。
 4月29日は今年は日曜でしたが、昭和天皇の誕生日でした。この日が「昭和の日」に変わり5月4日が「みどりの日」になったのですね。戦後60年が過ぎて、戦争を全く知らない世代が圧倒的に増えてきた今日、昭和時代に何があったのか、歴史の検証が大事だと思います。
 5月3日は「憲法記念日」です。今、憲法改正の動きが顕著になってきました。憲法は絶対に変えてはならないというものではありませんが、何のために変えようとしているか、その意図が問題だと思います。安倍首相の普段の発言から考えて、この人の下で憲法を改正するのは危険だと感じます。日本がどれほど大きな過ちを犯したか、ただ戦争に負けたということだけでなく、アジアや世界に大きな負債を残しました。その代償として得ることが出来たのが現在の平和憲法です。これは世界に誇り得るものと信じます。まずこのことを私たちの共通の認識にして出発することが大事だと思います。最近のイラクや北朝鮮の問題を論ずる人々の口に、時には戦争も辞さないという発言を耳にすることがありますが、とても危険な考えと思います。それだけに、平和憲法の存在が大きな意味を持つでしょう。
 「みどりの日」「子供の日」もそれぞれ今日的な意義があると思います。地球の環境破壊が進む今、地球の緑を守ろうという意識は経済の発展と同様に重視しなければならないでしょう。そうでないと、地球は今のままでは破滅に向かうという危機感がつのります。また、少子化対策が言われていますが、子どもの人権を守り、弱い者が大切にされる社会を作ることが先ではないでしょうか。いろいろ考えさせられることの多い今年のゴールデンウィークでした。 

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