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2007年8月25日 (土)

ゆったり夏休み(8月26日)

   夏休みを頂いて、21日から古川・栗駒方面へ出掛けました。主目的は40年ぶりの栗駒登山です。古川には静江牧師の甥の伴侶の実家があり、以前から訪ねてみたいと思っていました。今、細君が子供を連れて実家に戻っているので、今を逃してはと思って訪ねました。すっかり歓待されて恐縮。
午後は栗駒に向かいましたが、駒ノ湯に直行するのは早過ぎるので、世界谷地という那須の湿地帯に似た所を歩きましたが、お花は殆ど咲いておらず、もう薄の季節を迎えていました。

 翌日は栗駒登山を予定しましたが、あいにくの雨、いわかがみ平まで車で行ってみましたがやはり無理、近くをドライブしても雨の中ではどうにもならず、宿に戻って高校野球の決勝戦をテレビ観戦することにしました(テレビはどうにか映る程度の山あいです)。劇的な逆転劇に、高校野球ならではのスリルを味わいました。後はのんびり温泉に浸り休養。

 翌朝は雨も上がり、天気予報でも登れそうです。またいわかがみ平まで車で上って、そこから二人で石畳の登山道を登りました。最後が少しきつかったが2時間かからず順調なペース。山頂は快晴とは言えないまでも、お目当ての360度の展望を楽しみました。降りは登りよりも時間がかかったが、何とか無事に下山できて感謝。そのまま厳美渓経由で猊鼻渓まで車を走らせ、のんびりした川下りを楽しみました。少し遅くなったので、その日は一関の「かんぽの宿」に一泊。夏休み最後の家族連れで賑わっていました。ここで東北夏期聖会はどうか?

 最終日は北上川にそって南下するドライブを楽しみました。川は濁っていたが滔々と流れ、啄木の歌や宮沢賢治のことも思い出される。そのまま行くと石巻まで下ってしまうので川と別れ伊豆沼で蓮の花を見て、後は高速で戻りました。4日間ラビをお世話くださった斉藤基家に寄り、二人と一匹で帰宅。旅行中も毎朝二人で教会の無事を祈りましたが、私たちも皆さんの祈りに支えられ、感謝、感謝。

2007年8月18日 (土)

祈りは必ず聴かれるか?(8月19日)

  母教会の日曜学校・青年会時代の友人M兄が、一年ぶりに奥様と来仙された。昨年は私たちの夏休みに来仙し、一緒に遠刈田にI師を訪ねて楽しい時を持ったのも記憶に新しい。しかし、彼はその後癌が判明して手術を受け、今はすっかり回復して日常の生活に特に支障はないという。今回もM夫妻と私たち二人と四人で楽しく語り合ったが、最近彼がエッセイ風にまとめた「聴かれた祈り、聴かれない祈り」という小冊子を持参してくれた。一読して彼が深く考えておられることに感銘を受けた。
 その直接の契機は、母上(九四歳)が自宅で転んで頭を打ち、意識をなくされたことである。医者からは、怪我の状態から意識を回復することは難しいと言われたそうだが、教会の皆さんに祈って頂いたら、その日に奇跡的に一時的ながら意識を回復したとのこと、M夫妻が母上のところに駆けつけた日にも、二人を認めた母上は顔を輝かせて何度も「ありがとう」と言い、手を握ると握り返すのがはっきり分かった。しかし、その日からまた意識がなくなって、肉親が見舞っても反応はない。このことに関して、M兄はこう書いておられる。

「私たちの願い、望みは際限がありません。一時でも母が意識を回復してくれたことを主の憐れみと心から感謝して受け止めましたが、更にまたもう一度と願い求めてしまいます。しかし、その祈りはまだ聞き入れられません。祈りとはそもそも何でしょう?祈りは必ず聴かれるでしょうか?……」

 こういう問題意識を持って遠藤周作の「沈黙」や内村鑑三の「ヨブ記」、伊藤馨牧師の「獄中記」その他を手がかりに祈りについての考察を進めていく。
 母上が転倒して二ヶ月が過ぎ、今また意識が回復して「医者もびっくりの奇蹟の回復」の途上にあるという。神に不可能なしと、聖書は繰り返して教えているが、それはすべての祈りが聴かれるということではない。どんなに考えても、信仰の世界には、私たちには分からない部分が残る。    

2007年8月13日 (月)

第34回東北夏期聖会(8月12日)

  今年の東北夏期聖会は昨年に引き続いて八幡平ハイツで開かれた。今年は東京聖書学校のキャラバン伝道隊4名を迎えた。聖書学校は地方教会とは比較的交わりが薄いので、学生たちにとっても教会にとっても貴重な交わりの時になったと思う。
 4名のうち2名は4年生で、実は彼らが1年生の時にも東北キャラバンのメンバーとして私たちの教会でも奉仕してもらった。しかし、今回の聖会での彼らのあかしを聴いて、3年間の成長ぶりをうれしく思った。聖会に参加された兄姉も異口同音に彼らのあかしが良かったと評価して下さった。
 早天聖会も入れて5回の聖会と閉会礼拝、さらに分団と閉会礼拝が今回の聖会の内容だが、一泊二日(正味24時間余り)の短い日程では聖会が休みなく続くのもやむを得ない。今回は「テモテの手紙Ⅰ」を地元の牧師たちが分担してメッセージした。この手紙は一読すれば良く分かるように、極めて実践的な教えに満ちている。その中からどこに焦点を絞るかに説教者は苦労したであろう。いつもの聖会のように「きよめ」があまり語られなかったと言う声も聞こえたが、見方を変えればこの手紙全体がきよめられた生活の勧めなのである。これを私は「実践的きよめ」と呼んだが、早天聖会の短い説教だったので、その意図が愛兄姉に伝わったかどうかは疑わしい。私自身は、田中寛也師の「祈り」(2章)のメッセージに教えられるところが多かった。他の方々は如何であったろうか。その一部は、次号の「いこい」にも報告されると伺っているので、それを待つことにしたい。
 来年の聖会についても牧師たちで相談したが、次回は講師を他から招きたいと話し合った。日程は今年と同じ頃になるはずなので、今から楽しみにして、この教会からももっと多くの兄姉で参加して恵まれたいと思う。聖会はホーリネス教会の始めからの伝統である。私たちもこれを大事にして、確実に次世代にバトンタッチしていきたいものである。 

2007年8月 8日 (水)

楽しかったファミリーキャンプ(8月5日)

 夏の諸行事が続いていますが、どうやら終わりに近づきました。
 先週の金曜日から出掛けて、週報短文のアップが遅れました。おゆるし下さい。

 今年第2回となったファミリーキャンプは恵みのうちに終わった。天候がはっきりせず、夜に予定したキャンプファイアーも出来なかった。その代わりに、室内でろうそくを沢山灯して静かな礼拝の時と楽しいゲームや交わりの時を持つことが出来た。
 二日目の子どもたちの沢遊びもできるかどうか心配したが、みんな元気一杯で出掛けて川で泳いだり遊んだり、子どもたちは大いに楽しんだようだ。
 老人組は車で近くの温湯(ぬるゆ)温泉にでかけ、ゆっくり温泉に浸り、また、休憩室では話に花が咲いた。
 大人の語り合いは、今回は「青年伝道」と「老人の牧会」の二つに絞って、初めに発題をして頂き、それをもとに二グループに分かれて話し合った。時間が足りなかったが、それなりの良い語り合いができたと思う。私の出た青年伝道のグループは、それぞれ一言ずつ全員が発言して大変有益であった。

 改めてファミリーキャンプの目的は何だろうかと考えてみると、子供と大人が一緒になって神の家族であることを確認することではなかろうか。大人だけの修養会ならば、もう少し突っ込んだ話し合いや学びの時が持てるだろう。それはそれでもちろん意味がある。しかし、ファミリーキャンプには、そこにはない良さがある。みんなが童心に返って子どもたちと遊び、交わりを持つことによって、忘れかけていた家族の味を思い出したのではないだろうか。最後の発表と報告の時も、大人も子供も一緒になってそれぞれが何をしたかを聞き合い、とても良かったと思う。子どもたちの司会もなかなかしっかりしていて感心させられた。
 朝の礼拝では、M兄からノアの虹の話を聴いた。開会礼拝では、静江牧師のチャーリーオレンジに思わず「可愛い!」という声も挙がった。他の団体の子どもたちと一緒の食堂は賑やかだったが、みんなで一緒に頂く食事は特別においしかった。夜もぐっすり休めて快適だった。来年がまた楽しみだ!  

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