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2007年8月18日 (土)

祈りは必ず聴かれるか?(8月19日)

  母教会の日曜学校・青年会時代の友人M兄が、一年ぶりに奥様と来仙された。昨年は私たちの夏休みに来仙し、一緒に遠刈田にI師を訪ねて楽しい時を持ったのも記憶に新しい。しかし、彼はその後癌が判明して手術を受け、今はすっかり回復して日常の生活に特に支障はないという。今回もM夫妻と私たち二人と四人で楽しく語り合ったが、最近彼がエッセイ風にまとめた「聴かれた祈り、聴かれない祈り」という小冊子を持参してくれた。一読して彼が深く考えておられることに感銘を受けた。
 その直接の契機は、母上(九四歳)が自宅で転んで頭を打ち、意識をなくされたことである。医者からは、怪我の状態から意識を回復することは難しいと言われたそうだが、教会の皆さんに祈って頂いたら、その日に奇跡的に一時的ながら意識を回復したとのこと、M夫妻が母上のところに駆けつけた日にも、二人を認めた母上は顔を輝かせて何度も「ありがとう」と言い、手を握ると握り返すのがはっきり分かった。しかし、その日からまた意識がなくなって、肉親が見舞っても反応はない。このことに関して、M兄はこう書いておられる。

「私たちの願い、望みは際限がありません。一時でも母が意識を回復してくれたことを主の憐れみと心から感謝して受け止めましたが、更にまたもう一度と願い求めてしまいます。しかし、その祈りはまだ聞き入れられません。祈りとはそもそも何でしょう?祈りは必ず聴かれるでしょうか?……」

 こういう問題意識を持って遠藤周作の「沈黙」や内村鑑三の「ヨブ記」、伊藤馨牧師の「獄中記」その他を手がかりに祈りについての考察を進めていく。
 母上が転倒して二ヶ月が過ぎ、今また意識が回復して「医者もびっくりの奇蹟の回復」の途上にあるという。神に不可能なしと、聖書は繰り返して教えているが、それはすべての祈りが聴かれるということではない。どんなに考えても、信仰の世界には、私たちには分からない部分が残る。    

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