ハ・ヨンジョ師に学ぶ(11月25日)
韓国オンヌリ教会のハ・ヨンジョ先生のお話を3回聞く機会に恵まれた。週3回の人工透析を続け、その外にも体のあちこちに故障を抱えながら、一日3回もメッセージをすること自体が驚きである。私は10年ほど前に先生のメッセージを聞いたことがあるが、その時とはかなり違う印象を受けた。それは、説教が自然体で身近になったことである。
先生の著書も少し読んでみたが、まさに身を削るようにして説教をしてこられたことがよく分かった。「説教は礼拝の心臓である」と先生は言われる。説教により、教会は立ちもし倒れもする。説教の足りないところを他の何かで補うことはできないのである。
説教のために、先生は黙想を大事にしておられる。説教は黙想から生まれてくると言う。朝毎の黙想から与えられたメッセージを講壇から語る。注解書は妨害になると大胆なことを言う。固定観念を植え付けられるからだという。中島代作先生もかつて同様のことを言っておられた。注解書は説教を書き上げた後で、自分の解釈をチェックするために読む程度でよいと言っておられた。それはベテランの牧師の言い得ることかもしれない。
ハ牧師は牧会の姿勢についても語っておられたが、柔軟で自由な発想に教えられるところが多かった。心に残った言葉をいくつか紹介しよう。
「教会を骨董品にしてはならない。」
「長老は失敗を嫌う。だから、長老の考えが支配的になると、教会は面白くなくなる。」
「牧師は、オーケストラで言えば指揮者、スポーツで言えば監督である。戦うのは信徒である。」
「教会は、信徒が興奮するビジョンを持つべきだ。そして大人から子どもまで、そのビジョンを共有するのだ。」
「神に出会うときに、人間は変わる。礼拝は、神に出会うところである。」
五万人の信徒、四万五千人の礼拝出席の教会を牧会する中で語られた言葉である。

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