« 2007年10月 | トップページ | 2007年12月 »

2007年11月24日 (土)

ハ・ヨンジョ師に学ぶ(11月25日)

  韓国オンヌリ教会のハ・ヨンジョ先生のお話を3回聞く機会に恵まれた。週3回の人工透析を続け、その外にも体のあちこちに故障を抱えながら、一日3回もメッセージをすること自体が驚きである。私は10年ほど前に先生のメッセージを聞いたことがあるが、その時とはかなり違う印象を受けた。それは、説教が自然体で身近になったことである。
 先生の著書も少し読んでみたが、まさに身を削るようにして説教をしてこられたことがよく分かった。「説教は礼拝の心臓である」と先生は言われる。説教により、教会は立ちもし倒れもする。説教の足りないところを他の何かで補うことはできないのである。
 説教のために、先生は黙想を大事にしておられる。説教は黙想から生まれてくると言う。朝毎の黙想から与えられたメッセージを講壇から語る。注解書は妨害になると大胆なことを言う。固定観念を植え付けられるからだという。中島代作先生もかつて同様のことを言っておられた。注解書は説教を書き上げた後で、自分の解釈をチェックするために読む程度でよいと言っておられた。それはベテランの牧師の言い得ることかもしれない。

 ハ牧師は牧会の姿勢についても語っておられたが、柔軟で自由な発想に教えられるところが多かった。心に残った言葉をいくつか紹介しよう。
「教会を骨董品にしてはならない。」
「長老は失敗を嫌う。だから、長老の考えが支配的になると、教会は面白くなくなる。」
「牧師は、オーケストラで言えば指揮者、スポーツで言えば監督である。戦うのは信徒である。」
「教会は、信徒が興奮するビジョンを持つべきだ。そして大人から子どもまで、そのビジョンを共有するのだ。」
「神に出会うときに、人間は変わる。礼拝は、神に出会うところである。」

五万人の信徒、四万五千人の礼拝出席の教会を牧会する中で語られた言葉である。     

2007年11月21日 (水)

祈りは聞かれる(11月18日)

 ジョージミューラーのことをご存じだろうか。ただ神様だけを当てにして、万を数える孤児たちを育てた。しかも、ミューラーの場合、孤児院の経営はいわゆる福祉の働きではなく、子供たちに神の愛を伝え、神の愛を身をもって実践する伝道の働きであった。彼が祈りをもって蒔いた種がどれほどの豊かな実を結んだかを思うときに、神の御名を崇める。
 晩年は、娘夫婦に孤児院を託して世界伝道に出発し、九十歳近くまで何度もアメリカをはじめオーストラリアやアジアにも足を延ばし、日本を訪れたときにも彼の証は人々に大きな感動を与え、若き石井十次が孤児の救済に立ち上がる直接の契機となった。
 1859年に英国にリバイバルが起こったが、その発端はひとりのアイルランドの青年がミューラーの本を読んで感動し「私も祈ることにしよう」と祈り始めた。まず主にある祈りの友を求めて祈るうちに、信仰を持ったばかりの青年が与えられて、ふたりは心を合わせて祈った。「さらに祈りの友を与えたまえ」と祈って、二人の青年が加えられた。四人は金曜日の夜に村の小学校の一室を借りて祈り続けた。その年、ひとりの農家の青年が救われて祈祷会のメンバーは五人になり、さらに徐々に人数は増えていった。彼らは、集会ごとに聖書を読み、祈り、みことばについて感想を述べ合った。そのメンバーのひとりが以前住んでいた町へ行って、その祈祷会のことを友人たちに話すと、彼らはその人たちに会ってみたいというので、数人が町を訪ねて教会で集会を開くことになった。集まった者たちの中には彼らを嘲る者もあったが、多くの者はぜひもう一度来てほしいと頼み、二週間後に同じ顔ぶれで町を訪問して二度目の集会を開いた。この時、聖霊が力強く働き、多くの人々が救われた。このリバイバルの火がアイルランドからイングランド、スコットランド、ヨーロッパ全土にも広がっていったのだ。
 去るラブソナタの全体祈祷会で、この話をして共に祈った。               

2007年11月11日 (日)

「ラブソナタ」近づく(11月11日)

 今年は二月の東北ケズィック・コンベンションから始まって、超教派の集会が続きました。そのための委員会が当教会で何度も開かれ、仙台市の超教派センターの観を呈したほどです。何と言っても場所がよいことと、駐車場があることが当教会の強みです。ですから、他の教会でなく、ここでと言われるとノーとは言いにくいですし、また、このような立派な会堂を与えられた教会の地域教会に対する責任でもあると思っております。

 目下、今年最後の大きな超教派集会であるラブソナタのために、最後の準備がなされています。初め、このことを耳にしたときは半信半疑でした。初めから関心を持たない教会は別にして、協力を要請されてもはっきり拒否する福音的教会もありました。しかし準備が進む中で、今まで各地で開かれたラブソナタの報告を聞き、また、準備のために来仙された韓国の先生方に接する中で、これは特に反対すべき集会ではないと判断しました。七月に上京した時に、ある韓国人牧師にも意見を求めたら、彼も相当に祈り考えて協力を決断したと話してくれました。

 伝道は戦いですから、良い集会でも反対や批判は必ずあります。ビリーグラハム国際大会でもそうでした。また、集会によっては、注意しないと本当に脱線していくこともあります。ですから、注意は必要です。しかし、怖れてばかりいては、何も始まりません。思い切って挑戦してみることも必要です。そして、批判の声にも耳を傾けながら、必要ならば軌道修正していくことです。

 とにかく、今のままでは日本伝道は現状維持が精一杯で、とても飛躍は望み得ません(人間的な言い方ですが)。私は、全体で人口のわずか1パーセントのキリスト教会が教派の壁に閉じこもっているのは違うのではないかという根本的な考えを持っています。ラブソナタの集会も初めから反対するのではなく、出来る範囲で協力し、出席してから判断しても遅くはないと思います。如何でしょうか。       

2007年11月 3日 (土)

「ウェスレーに学ぶ」(11月4日)

  今年の東北教区教職研修会は福島地区の担当で、磐梯高原リゾート・イン「ぼなり」で開かれました。地元の方々にはよく知られた保養地(温泉)とのこと。福島から国道115号線で土湯を通り抜け、ひと山越えたところにあります。途中の紅葉が見事でした。いつか見た山形の紅葉は赤が目に染みましたが、福島の紅葉は黄色がきれいです。
 研修会は26日午後から始まり、今年のテーマは「説教と牧会―ウェスレーに学ぶ」で、実は私が講師になりました。本当は別の講師が予定されていたのですが都合がつかなくなり、ピンチヒッターで誰か教区内にいないかということで私に回ってきたのです。宣教部委員長のS師から電話があったとき、もし私がS師の立場なら困るだろうと思って引き受けました。テーマは自由でよいというので、聖書学校で普段学生たちと学んでいるウェスレーにさせてもらいました。
 しかし、牧師たちの前で話すのは勇気を要します。以前に西東京教区の研修会で「祈り」について話したことがありますが、この時も大いに緊張しました。
 今回は2回の講演で、1回目はウェスレーの生涯をざっと話してから説教を取り上げ、2回目は教会観と牧会を話す予定でした。ところが、略年譜に従って生涯を話すのに時間を費やし、説教についてはわずか30分になってしまいました。でも、2回の講演とも質疑応答の時間が十分ありましたので、講演で話せなかったことを補うことが出来ました。質問も多くあり、先生方が真剣に聴いて下さったことがよく分かり感謝でした。後で、若い牧師から「神学校では宗教改革者の話は沢山聞いたが、ウェスレーのことは初めて聞いたように思う」と言われ、幾分でも役立ったかとうれしく思いました。もちろん研修会は、ウェスレーのことが問題なのではなく、我々の説教や牧会にどう活かすかということです。今回はそのために、ウェスレーを通して一石を投じたということです。今後も、このような学びが共に出来たらうれしいと思います。    

« 2007年10月 | トップページ | 2007年12月 »

2008年5月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

最近のトラックバック

ブログ:ココログ