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2008年1月26日 (土)

「聖歌」「讃美歌」について

 27日の週報短文は、公開するのを遠慮して書きかえてみたが、これも誰かから「意義あり」と言われそうな文章になってしまった。一つの私見としてお許しを願うことにしよう。

  先日、東京聖書学校に和田健治師が訪ねて見えた。同師は聖歌の指導者として著名な方だが、お会いするのは久しぶりである。私たちが現在用いている「聖歌」は、中田羽後師によって編纂されたが、それ以前には「リバイバル聖歌」という小さな歌集を用いていた。羽後師は生涯をかけて宗教音楽を研究し、「聖歌」の発刊に努められた。これは今日まで「讃美歌」と同じくらいに日本の教会で広く愛用されてきた。
 ところが、2001年に「新聖歌」が発刊され、これまでの「聖歌」は廃刊されることになった。今日は、書店で求めることは出来ない。ところが、和田健治師は「聖歌」の重要性を以前から主張され、御自分が主催する聖歌の友社から新しい「聖歌」(総合版)を出版された。従って、今日は「新聖歌」を用いる教会があり、また、従来の「聖歌」または新しい「聖歌(総合版)」を用いる教会があり、ちょっとややこしいことになってきた。聖歌ばかりでなく、讃美歌も讃美歌ⅠとⅡに加えて、新しく「讃美歌21」が出版されたので、教会はどの讃美歌を用いるか迷うところがあり、教会の讃美歌、聖歌は混乱しているといっても過言ではない。今は過渡期だからと簡単に片づけられない点がある。
 聖書の翻訳もいろいろあるのだから、讃美歌、聖歌も種々あってもよいという意見もあるが、讃美歌、聖歌は皆で声を合わせて歌うものだから、静かに目を通す聖書とはわけが違うのだ。
 和田師は、讃美歌、聖歌の混乱で、教会が分裂することを危惧しておられた。しかし、「新聖歌」に対しては、どうしても言わなければならないお考え(批判)を持って居られる。しかし、なぜ中田羽後師からも「後をよろしく」と言われたという和田健治師が「新聖歌」の編纂委員に入らなかったのであろうか。編纂委員の方にもお訊きしてみたいものだ。それが今日の混乱の原因の一つになっている。事情を知らない者が、外野席からこんな事を言うのは軽率かも知れないが、我々日本人の島国根性というか、考えの狭さが残念でならない。

2008年1月19日 (土)

人の気質と地域性(1月20日)

  かれこれ40年近く前になろうか、イザヤ・ベンダサンという人が「日本人とユダヤ人」という本を出版して、ベストセラーになった。一体、この著者は何者だろうと、ミステリーのように騒がれた。ユダヤ人という一般の日本人から見ると遠く隔たっていると感じられる宗教的民族と日本人を対照させることにより、日本人の国民性を際だたせようという試みだったように思う。また、土居健郎の「甘えの構造」も日本人の精神性を「甘え」という角度から捉えて、この本もずいぶん読まれた。
 日本人とはいかなる人種か、これを統治するにはどうしたらよいかという問に答えたのが、ルース・ベネディクト女史の「菊と刀」で、これも戦後の一時期ベストセラーになったと聞いている。これらはいずれもキリスト教と深い関係があり、我々の信仰を反省する上で参考になると思う。
 その他、特にキリスト教とは関わりなく、日本人とは何者かという自らのアイデンティティー(自己意識)を問う本は巷に沢山ある。こういう問題に関心を持っている方も居られるに違いない。
 さて、どうしてこんなことを書くかというと、最近あることを感じさせられたからだ。一口に日本人と言っても、かなり地域性、県民性がある。何故そういう地域性や県民性が生まれるのか興味があるが、最近とんぼ返りながら旭川に行って、改めて道産子(北海道で生まれ育った人)気質を思い出した。人が好く楽天的で、開放的、開拓精神に富む等が挙げられよう。
 同じ北国でも、東北人はかなり違う。堅実でねばり強いが、容易に他人に心を開かない。だから、なかなか友達ができない。キリスト教信仰に対しても慎重だが、一旦信仰に入ったら滅多なことでは信仰を捨てないとT牧師から聞いた。これは大方の日本人とはかなり違い、東北人気質の一つと言えるだろう。まだ仙台気質がわかったとは言えないが、保守的で変化を嫌うのは東北人一般の特性ではないか。皆さんのお考えもお聞きしてみたいものだ。 

2008年1月12日 (土)

冬の旭川へ(1月13日)

  先週はお許しを願って、静江牧師と二人で北海道の義兄の病気見舞いに行って参りました。義兄は今、旭川の病院に入院しております。仙台空港から旭川への直行便がないことと、出来るだけ安い費用で行きたいと考え、羽田からのツアーに申し込みました。一泊二日で通常の航空券の半額以下です。但し、航空便は指定されるので、早朝羽田発、帰路は夜10時過ぎ羽田着で、往復とも東京に一泊せねばなりません。幸い、静江の姉が世田谷におりますので、二晩世話になりました。
 八日の委員会を終えて、夕方の新幹線で東京へ、姉の家に直行しました。久しぶりに甥の子どもたちにも会いましたが、幼子の成長には目を見張るものがあります。
 翌早朝、妹が車で羽田まで送ってくれるというので五時半過ぎに家を出て、羽田まで小一時間です。旭川まで一飛びですが、旭川は小雪がちらつき、羽田との温度差が20度近くあります。病院に直行、兄の病状が心配でしたが、思ったより元気そうで安心しました。姉がつききりで看病し、気を張って疲れている様子でしたが、病人のアレコレの注文に応じています。余り長居も出来ないので適当に座をはずし、また、姉から詳しい病状を聞き、個室でしたので共に祈り賛美して午後早めに辞去しました。
 ホテルはJR旭川駅から少し離れたところで、外の寒さに比べて室内は暖かく快適でした。夜、久しぶりに「しばれる」寒さの中を歩きましたが、冷気が身に染みました。
 翌日は夕まで時間が空いたので、ツアーについている旭山動物園を見に行くことにしました。五年ほど前から全国的に有名になり、特に寒さを吹き飛ばすペンギンの可愛らしい散歩やアザラシ、北極熊のダイナミックな泳ぎを身近に見ることができます。
 次に、動物園からタクシーで三浦綾子文学記念館を見に行きました。これも以前からの念願が果たせて感謝でした。そして、予定どおりの最終便で羽田に戻り、世田谷に一泊、翌日は東京聖書学校の授業を終えて無事帰仙しました。お祈りを感謝します。

2008年1月 7日 (月)

一年のみ言葉、目標(1月6日)

  去る二日の初週祈祷会で、今年与えられたみ言葉その他を分かち合いました。私は、自分の計画として、ディボーションに「エマオの道で」(365日の霊想、デニス・キンロー著)を用いることに決めたことを話し、早速元旦の霊想の中から次の文章をご紹介しました。
 「神はすべてを新しくしたいと願っておられます。ですから私たちがもっと深く神と交わるなら、実現不可能に思えるほど大きな約束がひとつひとつ示されて、神がご臨在なさっておられることがわかるのです。」
 今年一年、キンロー博士の霊想に助けられながら、み言葉をより深く味わい、親しく神と交わることを目標として、そのなかで大きな神の約束と、そこに神が共におられることを体験して行きたいと願っています。どうぞ、牧会者たちのためにお祈りください。

 午後の司会のK姉は、昨年一年間の御自分の体験から「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」(ロマ12・15)を示されたと証しされ、静江牧師も同じみ言葉を与えられたとのこと。また、複数の方から「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」(テサロニケ第一 5・16~18)が選ばれました。
 夜の司会のI姉は「喜び祝い、主に仕え、喜び歌って御前に進み出よ」(詩編100・2)を目標にしたいと、また、森田聖子師は「希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです」(ロマ5・5)を挙げられました。
 その他、フィリピ4・6~7、ロマ8・28、また、マタイ8・14以下より、主イエスによる癒しの信仰に立つことを証しされた姉妹もありました。
 以上、出席者全員ではなかったですが、与えられたみ言葉や目標を共に分かち合って、励まし合い祈り合って行くことは大切なことだと思います。  

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