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2008年2月24日 (日)

若い兄姉へ(2月24日)

  祈祷会でも卒業や進学、就職を控えた若い兄姉のために心を合わせて祈っています。若いことは未来の可能性に富むことですが、また、人知れず悩むときでもあります。
 先週の週報に小助川先生のことを「ケズィックの恵み」の中で書かせて頂いたが、出店された本屋で同師の書かれた「ひたすら人間らしさを求めて」~牧師の体験による人生論~を買い求めて読んだ。この本の中で師が繰り返し語っておられるのは、若い日に何のために生きるのか、また、人生をどう生きれば良いのかと思い悩んで、高校時代には肺結核に倒れ、大学でまた結核を再発するなど、健康面でもずいぶん試みられたこと、しかし、振り返って、あの若き日の悩みがあったからこそ牧師となって奉仕できたことを感謝しておられる。
「苦しみにあったことは、わたしに良いことです。
これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」(詩編119・71、口語訳)
また、哀歌には、
「若いときに軛を負った人は、幸いを得る。
軛を負わされたなら、黙して独り座っているがよい。塵に口をつけよ、望みを見いだせるかも知れない。」(哀歌3・27、28)
 小助川先生の本は、若い人たちばかりでなく、中年の者にも熟年の者にも、その年齢に応じて味わい深く読むことが出来る。師は、心理学やカウンセリングの勉強もしてこられ、それらの学びからも人の生き方を語っておられるが、余り学問に深入りせず、人間の生き方を問う範囲に留めて、自分で分からないことは分からないと書いておられることも、信頼をもって安心して読むことが出来る。随所に、先生の謙虚なお人柄が滲み出ている。
 若い兄姉には、人生の目標をしっかりと思い定めて、信仰と祈りをもってまっしぐらに突き進んでいただきたい。そのためにも、先輩に謙虚に学ぶ努力をしていただきたいと思う。      

2008年2月17日 (日)

「ケズィック」の恵み(2月17日)

  第二回東北ケズィック・コンベンションが恵みのうちに終わりました。主講師のレンドル先生と黒木安信先生のバイブルリーディングは充実したものでした。出席できなかった兄姉もテープをじっくりと味わってみてくださるようお奨めします。
 2日目の夜、レンドル師は2回目の「神の宮」についてのお話しを終えて、「恵みの座」に私たちを招かれました。しかし、その招き方がやや明確でなかったように感じられました。牧師には、信徒の方を導くために、という招きであったように受け取れました(誤解かも知れない)。結局、前に進んだ人は少なく、私も出そびれました。
 集会が終わってから、会長の小助川先生が牧師達を集めて言われるのに、このままこの聖会が終わって良いだろうか。ケズィックでは「いかなる身分も立場もなく」(ケズィックの主旨)等しく神に取り扱われるところであるはずだ。恵みの座にも牧師が率先して進み出て、信徒がそれに続くというのが本来の姿ではないか。もう一度、最後の聖会でレンドル師にお招きを願おうではないか、とのお話しでした。牧師達も皆、それに同意しました。
 最後の聖会となりました。レンドル師のバイブル・リーディングが終わって招きの時が来ました。小助川先生がつと立ち上がって前に立ち、静かにケズィック・コンベンションの特質を語り、「私たちもみ言葉に従い応答しようではないか」と恵みの座に一同を招かれました。牧師達が進んでその招きに応え、信徒たちもそれに続きました。私も恵みの座に出て静かに祈りながら、これこそケズィック・コンベンションだと、新鮮な感動を覚えました。
 聖会の恵みはすばらしいメッセージだけではありません。そこで、何が起こるかということです。それは、そこに臨在してくださる聖霊のお働きです。小助川先生はご高齢で体調も十分でない中を、会長の責任を担って出席され、全体のために祈り導いてくださることに深い感謝を覚えました。 

2008年2月 9日 (土)

ケズィック・コンベンション(2月10日)

 第二回東北ケズィック・コンベンションが、今夕から二泊三日で茂庭荘で開かれる。昨年は近くの婦人会館と早天のみこの教会で開かれたが、今年は泊まりがけで出来る会場ということで茂庭荘が選ばれた。しかし、委員会は宿泊の世話をしないということで、それは各自が直接申し込むことになったが、連休なので他の宿泊客が多く、宿泊が取れない人もかなり出たようだ。委員会がそのことを早く予想できたら、部屋を確保することもできただろうが、今となっては遅すぎた。来年はこの点を反省して、より良い聖会にすることができるだろう。

 ケズィック・コンベンションは英国では伝統のある大きな聖会で、1865年から英国北方のケズィックという美しい湖沼地帯に天幕が張られて聖会が開かれるようになった。英国はもとより、ヨーロッパ、アメリカからも恵みを求める多くの人々が集まるようになり、英国の聖地の観を呈した。英国やアメリカその他の国々の代表的なきよめの説教者がここでご用をし、また、この聖会から多くの主の器が各地に遣わされていった。日本に来られたバックストン師も、この聖会で献身したと聞いている。

 「この聖会の醍醐味は、バイブル・リーディングと呼ばれる卓越した霊的講解説教にあります。会衆はこの説教に耳を傾けているうちに、いつしか主の聖臨在に触れ、神のみ言葉の深みに与ることが出来ます。そして、ここでのモットーは『みなキリスト・イエスにあって一つ』で、毎年全国で四〇教派以上、三七〇〇名の教職・信徒が、この恵みに与っています。」(東京大会のチラシから引用)

 日本に始められて半世紀近くになるが、箱根で最初の聖会が開かれて以来、今は北海道から沖縄まで10ヶ所ほどで開催されるようになった。遅れていた東北も全国の諸教会の祈りにより、昨年ようやく第一回が開かれ「東北から新しい風が」と期待された。その期待に応えて、先輩のコンベンションに勝る良き聖会を続けていきたいものである。     

2008年2月 2日 (土)

ホーリネス誌について

  「ホーリネス」二月号が届きました。今月号は珍しく「教会と危機管理」の特集で、能登半島地震報告などの自然災害から、より日常的な教会の危機(信徒や牧師に関わること、または不動産に関わること、付属施設のこと等々)、さらには、教会の高齢化に伴う諸問題や、心病む人々への対応等、多くの課題が取り上げられています。ウェスレーも自ら医療に関する本を出版して信徒の健康にも配慮しましたが、今日の日本の教会も噴出する社会問題に信仰をもってどのように対応するかが問われていることを改めて思わされます。

 ところで、皆さんもホ誌をお読みになっておられるでしょう。中島代作師はときどき「ホ誌で教えられたこと」というような題で、祈祷会や夕拝であかしを求めておられました。中島豊師はどうであったでしょう。私は、あまりホ誌のことを言わないので、ホ誌をあかしで取り上げる方は少ないようですが、ホ誌は私たちの群の機関誌であり、小さいながらホーリネス信仰を証しする貴重な雑誌ですから、教会員全員に読んで頂きたいと思っています。

 中島代作師と言えばホ群の諸教会はすぐホ誌を思い出すくらい、先生はホ誌に打ち込んで居られました。先生がホ誌を担当するようになったのは1956(昭和31)年頃からで、小原十三司師が召された1972年に群の規約が改正されてホ誌も文書部で発行されるようになるまで、主筆のように殆どお一人で編集しておられました。私は、文書部の委員に選ばれ、それから香港へ行くまでの12年間、そして帰国して西川口時代の14年間、委員の一人として編集発行に携わりました。数えてみると26年になりますが、そんなに長く編集に関わった人は他にはいないと思います。私は及ばずながら中島師から受け継いだ伝統を大切にしてきたつもりですが、その後、文書部委員長が何人も交代して、新しい局面も拓かれてきました。この時代に、ホ誌の存在は貴重です。どうぞ皆さん、購読してください。   

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