出会い
週報短文を忘れていて、30分でキンロー先生の一文を借りて書き上げたたので、ここには月報の巻頭言を載せることにします。
春は別れと出会いの季節です。今春も若い兄姉たちがこの地を離れて新しい地に旅立っていきました。その地には新しい出会いが待っていることでしょう。私たちもまた、ここで新しい友を迎えることを期待しています。
「人生は出会いで決まる」という言葉がありますが、実際、誰と出会うか、何に出会うかによって私たちの人生が大きく左右されることは間違いありません。皆さんの人生における最大の出会いは何だったでしょうか。
ヨハネ一章には主イエスに出会った最初の弟子達のことが興味深く記されています。彼らにとってそれは決定的な出会いでした。私たちはどうでしょうか。主イエスとの出会いが生涯を決めたと言い得るでしょうか。私たちクリスチャンホームに育った者は、主イエスに出会ったという意識が持ちにくいのですが、多くの場合、まず誰かとの出会いがあって、それが契機となり主イエスとの出会いに至るのが普通であると思います。自分で聖書を読んで主に出会ったという人は少ないでしょう。
「主イエスとの出会い」という場合、それは深められていくものではないでしょうか。例えば、み言葉との出会いと言うことがあります。東京聖書学校の入学試験の面接では、必ず召命感が問われますが、それはみ言葉を握っているか否かが鍵になるでしょう。そのみ言葉の背後に、実は生ける主ご自身がおられるのです。それはみ言葉ばかりではなく、人や出来事との出会いにおいても同様です。背後におられる主ご自身に気づくかどうかということです。いつまでも人を見ているのではなく、その背後に生きて働かれる主イエスご自身を見ることができるようになったとき、それは自立した信仰と言うことが出来るでしょう。
特に若いときならば、本との出会いが大きいはずです。今、ホーリネス誌では「一冊の本」という連載が続いていますが、興味深く読んでいます。私が原稿を依頼されたら何を選ぼうか、パスカルにするか内村鑑三にするか、とにかくその本を手にしなかったら、自分の人生はかなり違っていたという本があるはずです。皆さんの人生の様々な出会いをお聞きしてみたいと思います。

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