歴史の教訓に学ぶ(3月16日)
今年も受難週を迎え、来週はいよいよイースターですが、私は教会の暦よりも年度末の仕事に追われています。本来の姿ではないですが、やむを得ないと思っています。というのは、今年はイースターが早く3月中に来ることと、4月の冒頭にホ群の年会があり、それまでにやらなければならないことが重なったためです。
特に今週は、ホ群の歴史編集に追われました。月曜から学校に一泊して4人の委員で膝つき合わせて作業をしましたが、委員の間でも必ずしも意見が一致しません。戦前の部分は、すでにまとまりました。問題は戦後の歴史ですが、特にいわゆる教団紛争が始まってから、ホ群の分裂に至る約20年間が一番大変です。群の分裂がどんなに大きな痛手であったかは、今になってもその傷が癒えていないことでも分かります。
「神さま、どうしてですか」「どうしてこんなことになるのですか」と、どんなに涙をもって祈られたでしょうか。
しかし、どんなに祈っても知恵を絞って協議をしても、どうしても意見が一つにまとまらず、どんどん分裂の方向に進んでしまったことが、今振り返ると痛いほど分かります。その時は、皆夢中ですから気づかなかったことも多かったでしょうが、今冷静に考えればもっと別な道があったのではと皆思うでしょう。
ホーリネス教会は、分裂を重ねてきたと言われます。宗教改革も分裂でしたから、分裂がみな悪いとは言いませんが、分裂による痛手を思うときに、極力避けなければならないことであることは間違いありません。人間の悲しさは、自分が正しいと信じることを主張しているうちに、サタンに足をすくわれてしまうことです。サタンは内輪もめが大好きだから、教会をそこに追い込んだらしめたものだとほくそ笑んでいるのです。パウロは「サタンのやり口は心得ている」と言っていますが、しかし、そのパウロもサタンの誘惑からいつも守られていたわけではありません。ともあれ、歴史の教訓から学ばなければならないと改めて思わされています。

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