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2008年12月28日 (日)

一年を振り返って(12月28日)

 今年も最後の主日礼拝を迎えました。昨年最後の週報短文にも同じ題で書きましたが、今年も一年をざっと振り返って見たいと思います。
 一昨年はクリストファー・サン師の特伝やラブソナタの集会など、余りにも行事が盛り沢山で心と体の休まる時がなかったという声もあり、その反省に立って、今年は特伝も秋に絞るなど、行事は比較的少なくして来年の百周年に備えました。それでも集会はいろいろありました。それは当教会の会堂の広さや便利さから、諸集会に用いられるからです。教区においても超教派の働きにおいても、センター的役割を果たしています。このことは今後も続くでしょう。それをマイナスと考えず、このような会堂を与えられたことを感謝し喜びとしていきましょう。役員会では毎回、行事や会堂貸し出しについて協議していますが、教会として無理なく受け入れる態勢を整えていくことが肝要と考えます。
 さて、個々の行事や集会について触れることは出来ませんが、特に記憶に残るのは2月のケズィック・コンベンション(茂庭荘)、5月の伝道セミナーと教区総会、6月の森田伝道師の就任式と思いがけない岩手宮城内陸大地震、7月ファミリーキャンプ(蔵王自然の家)、8月夏期聖会(八幡平ロイアルホテル)、応援伝道(酒田暁星教会)、こころの友伝道全国大会(茂庭荘)、9月聖化大会(村上宣道師)、10月教区婦人研修会(金ヨン師)、特伝(村上宣道師)、11月教区の集い(山形学院)、賛美礼拝(宮城学院ハンドベルOG)、12月創立復興記念礼拝・愛餐会とクリスマス諸集会等々。
 1年間の召天者は3名、1年間の受洗者も3名、他に3名の姉妹たちを正会員として迎え入れたのは心強いことでした。司式者としては例年になく婚約式、結婚式が多い年で、赤ちゃんも何人か生まれた希望の年でもありました。万事を益にしてくださる主に感謝して。

2008年12月22日 (月)

バプテスマの恵みに(12月21日)

 きょうの礼拝でO兄が受洗される予定です。今年のクリスマス礼拝は、受洗者が与えられないかと淋しく思っておりましたら、O兄が申し出て下さりうれしく思います。兄弟とは朝の体操仲間です。近くの上杉公園で、毎朝6時から数名で体操をしていますが、私たちもラビを散歩に連れていき、仲間に入れて頂きました。O兄も足がご不自由にも拘わらず、殆ど毎日のように来ておられます。最近は、さすがに30分の体操はきつくなり、途中からの参加ですが、それでもがんばっておられます(冬は個人の家を会場としていますので、兄弟はお休みです)。今年の夏はご一緒に八幡平の東北夏期聖会にも出席されました。奥様とご一緒に花山のファミリーキャンプにも参加されました。これからも良きお交わりができることを祈ります。奥様もご一緒に受洗をと願いましたが、まず兄弟が一足先にということになりました。奥様のためにも、お祈りください。兄弟は薬剤師で、市内でながく薬局を営んでおられました。ご趣味は絵画と音楽で、よく展覧会やコンサートにもお出かけです。

 きょう東京の三軒茶屋教会でU姉が受洗される予定です。U姉は当教会の創立時に、中田重治師に協力して伝道館を建てた伊藤卯三郎兄のお孫さんで、伊藤アイ姉の姪に当たります。父上の恵五郎兄が、藤沢で医者として現役であったとき、突然病で天に召されました。30年も前のことです。不思議なご縁で私が葬儀の司式をさせて頂いたのですが、その時にお目にかかったのが最初でした。母上が藤沢から中野の更生教会に熱心に通って受洗され、その後藤沢教会に転会して教会生活を続けておられましたが、ご高齢になり昨年天に召されました。
 今春、U姉は姉上と当教会をお訪ね下さり、自分も信仰を持って行きたいと語っておられましたが、このクリスマスに受洗に導かれたのは感謝でした。伊藤卯三郎兄らの長い祈りが実を結んだことを覚え御名を崇めます。さらに主の業が前進しますように。

2008年12月14日 (日)

子供の頃のクリスマス(12月14日)

  今年も小学校時代の先生からクリスマスカードが届きました。先生に習ったのは確か3年生の時で、以来年賀状の交換が60年も続いていますが、ある時、お互いにクリスチャンであることが分かって、先生の賀状はクリスマスカードに替わりました。私が牧師になった時にはとても喜んで下さいました。すでに80歳を越えた先生のカードを見ながら、子供時代のクリスマスの思い出がよみがえってきました。

 私の母教会のクリスマスは12月25日の夜と決まっていて、大人も子供も一緒でした。この日のために、高い天井まで届くツリーを立て(天井裏の梁に吊る)、そのデコレーションや会堂正面の壁一杯の聖画、リース等々、その準備には大変な時間と労力を要しました。学生の頃は、毎日、帰りに教会に寄って準備に励みましたが、無理して風邪を引き、クリスマスには寝込んでしまったこともありました。
 当日は始まる前から近所の子どもたちも大勢集まり、会堂は一杯でした。毎年、聖書を題材にした劇があり、その練習にも追われました。スライドなども見ましたが、最後のメインイベント(?)は森保という方のお話でした。それは伊藤馨牧師が何度も話したのをすっかり覚えてしまい、先生に代わって話すのです。その話の数は多くはなかったので、子供の時から何度も同じ話を聞いたのですが、何度聞いても飽きずに面白かったのです。
 プログラムの最後に皆勤賞、精勤賞のプレゼント、そして全員がお菓子やカードを頂いて帰りました。プレゼントは子供も大人も大喜びでした。

 教会の思い出の中で一番記憶に鮮明なのは、何と言っても毎年恒例のこのクリスマスです。私の子供の頃はクリスマス前に雪が積もり、ホワイトクリスマスが多かったと記憶します。夜の雪道を、寒さを吹き飛ばすように帰ったのを覚えています。
 きょうは教会学校の生徒たちと合同の礼拝です。第2部は恒例のページェントです。子どもたちの心に残るクリスマスになることを祈ります。 

2008年12月 7日 (日)

創立・復興記念礼拝を迎えて(12月7日)

  きょうは創立99年復興63年の記念礼拝です。少し算数の勉強をしましょう。99と63は共に9で割り切れますが、9で割ると11と7になります。つまり、今年で戦後の教会の歴史は全体の7/11になったということです。
7/11という数字はちょっと微妙な数です。9年前は創立90年復興54年ですから54/90、すなわち3/5でした。また9年後には創立108年復興72年になりますから2/3になります。共にすっきりした数です。

 そんな数字を並べて、何の意味があるのかと問われそうですが、9年前の1999年から今日までの歩みの中で、当教会にとって大きな出来事は牧師交替でした。前任の中島豊・和子両牧師と前々任の中島代作師・ヤス師の時代を合わせると60年以上になりますが、私たちへの交替は教会にとっても初めての経験ということができます。恐らく教会の皆さんにとっても戸惑いがあったと思います。7/11という数字は、ちょっと微妙な数だと書きましたが、牧師交替による戸惑いを示しているというのが私の勝手な解釈です。9年前には牧師交替などはまだ考えられなかったでしょうし、9年後も私の想像では、次の牧師によって教会は新しく一つにまとまっていると信じます(だから共にすっきりした数)。これらのことが、来年発行予定の記念誌にどのように記されるかが課題の一つです(過去と未来)。

 牧師交替ということは教会にとって危機でもありチャンスでもあります。牧師が交替しても、教会が何も変わらないというのはその教会の伝統の重厚さを示すと同時に、では牧師の交替はどういう意味があったのかという問が逆に残るでしょう。教会には変わってはならない面と、変わらなければならない面との両面があります。その見極めが大事です。当教会に赴任してきたとき、この教会の歴史の重みと伝統の重厚さを感じました。今後もそれは受け継がれていくでしょう。同時に時代に対応する柔軟さも持たねばなりません。皆さんのご意見は?

2008年12月 1日 (月)

牧野一穂先生(11月30日)

  今年の教区の集いは山形学院で行われましたが、充実した良い集会であったと思います。主講師は牧野一穂師で、教団からインドに派遣された信徒宣教師でした。インド中部のヒマラヤに近いアラハバード農業大学で40年間働き、昨年隠退し帰国されました。師は山形大学を卒業しましたが、その頃インドの農業開発のために働いた農業技術者の帰国報告を聞く機会があり、インドの多くの人々は飢えで苦しんでいる、日本の進んだ農業技術援助、協力を必要としているという訴えを聞き、インドに行く決心をされたとのこと。当然、迷いも躊躇もあったでしょうが、み言葉に押し出されるようにインドに飛び込んで行かれたとのことです。

 インドのキリスト教徒は今も昔も2パーセントほどですが、その多くはカーストの一番低い身分のシュードラ(隷民)かアウトカースト(カーストにも入らない)、または少数民族の人々です。師は、農村教会を訪ね、そこで農業開発に携わっている人々と話し合い、特に青年達が農業学校へ行く機会がないことを知り、そういう青年たちをアラハバード農業大学に招き「農村青年指導者研修コース」を作って、彼らの指導に当たったとのことです。夫人の由起子師も先生と共に働き、「農村婦人の人権、地位改善・向上に働く婦人指導者の研修」「女子高等教育の普及と農婦人の識字学級」「幼児・初等教育の普及」等、広く農民の生活向上のために奉仕し、同時に、困難な農村の働きに忍耐を持って取り組むためには聖書の学び・み言葉の支えが不可欠であることを身をもって知ったと語られました。

 若き日から40年もインドで奉仕し、帰国して那須に暮らし、アジア学院の研修生たちとも交わる時を持っておられるようですが、インドと日本の社会の違いを肌で感じておられるでしょう。講演の最後に「日本の教会はラオデキア教会のようで生ぬるい」(黙示録3章)と言われた言葉が印象的でした。先生の働きを継ぐ若者達が起こされますように。

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