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2009年2月25日 (水)

葬儀の日程

2月22日の週報短文は余りにもプライバシーに関わるので、ここには教会の葬儀のことについて一言書きましょう。それは日程のことです。
 葬儀は待ったなしですから、そんなに選択肢はないのですが、今度の葬儀のように金曜の朝に召されたので、土曜、日曜となると、主日礼拝にぶつかることになります。それを避けて、一日延ばして日曜夜と月曜にすれば問題はないですが、今回はご遺族の希望を入れて土、日にしました。その場合、祭壇をどうするかが、次の問題になりますが、今回は礼拝の花を活けてくださった姉妹ですから、沢山の花が祭壇にありました。それは葬儀にはつきものの白い花ばかりでなく、故人の願いもありカラフルな美しい花が沢山でした。それらの花でご遺体を囲むようにして講壇の半分は花とご遺体で占め、真ん中だけはいつもの礼拝のようにしましたが、私も初めてやってみてとても良かったと思います。礼拝を休まなかった故人との最後の礼拝との思いを深くし、故人は一番良い日に召されたと思いました。
 私たちの教会は、幸い講壇が比較的広いので可能であったとも言えますが、工夫次第でどこの教会でもできることではないでしょうか。ご参考までに。

2009年2月14日 (土)

恵まれたコンベンション(2月15日)

 第3回東北ケズィック・コンベンションが終わりました。第1回は近所の県婦人会館で、第2回は昨年茂庭荘で、そして第3回は茂庭荘の予約が取れなくて当教会になったのです。3日間、この限られたスペースでどうだろうかと心配でしたが、幕を開けてみたら人数的にはぴったりでした。全部で170名程の参加で、二日目の午前と午後が130名余の出席、後はかなり余裕がありました。早天聖会も礼拝堂を用いましたが、少ない人数でも落ち着いて良かったと好評でした。牧師たちは、今回礼拝堂で出来たのが一番良かったと言っておりました。

 もう一つの心配はボイラーでした。私は専らボイラーマンに専念しましたが、三日間メインスイッチは切らずに熱効率を高め、循環ポンプ(床暖とパネル)のスイッチを適宜入れたり切ったり、温度調節に努めました。もちろん集会のない時や夜中はお湯を止めてガスの節約を心がけました。暖かくて気持良かったと皆さんに好評でした。

 さて、集会の内容ですが、主講師は英国からエイメス夫妻、大阪から岡田信常師、当地から二人の早天聖会の説教者、岡摂也師と田口章師。ロバート・エイメス師が三回のバイブル・リーディング、エイメス夫人が一回、岡田氏が二回のご用でした。それぞれに、特色あるメッセージで聴き応えがあったと思います。ケズィック・コンベンションのモットーは「みなキリスト・イエスにあって一つ」(ガラテヤ3・28)です。最初のバイブルリーディングで、エルメス師はフィリピ二章から「一つ」ということを強調されました。これは私たちの今年の標語聖句に重なるメッセージでした。岡田信常師も数年前に巡回伝道者として献身されたとのこと、特に二回目の詩編一編からの説教は力強いものでした。全体のメッセージは「主と共に歩む」ということが強調され、心と生活の聖化に焦点が絞られたように感じました。全部の集会の録音がCDになっていますので、希望者は申し出て下さい。          

2009年2月 7日 (土)

安倍豊造先生と仙台(2月1日)

 2月8日の短文をアップして、2月1日のを載せていなかったことに気づいた。順序が逆になりましたが、遅ればせながらアップします。
   
 安倍豊造先生の召天30年記念礼拝で更生教会に行きました。安倍先生は小原十三司先生の良い意味のライバルで、ホーリネス教会の長老格でした。
 安倍先生は、私たちの教会との関係も深い方です。少し古い話になりますが、昭和六年春から二年足らず、先生は仙台で伝道されました。というのは、その年の二月に先生は中田重治監督に辞表を提出して、同僚の山崎亭治師と共に仙台のジャパン・レスキュー・ミッションという宣教団で働きました。当時、同ミッションの聖書学校が仙台にあり、先生はその教授兼生徒監に迎えられ、学生達と共に激しい伝道実践を指導したのです。あちこちで天幕伝道、街頭伝道をしたとのこと、塩釜、富谷、吉岡、北仙台、槻木、富沢、岩切など各地に伝道所を開設し、また伝道応援をしました。
 ところが、レスキュー・ミッションは、昭和7年12月末をもって伝道部を廃止することになりました。そこで先生は、中田監督が頭を下げて「帰ってきて欲しい」という懇請に、ホーリネス教会に復帰したのです。そして、レスキュー・ミッションが開拓した伝道所の中で、富谷などは自然の流れで日本聖教会(ホーリネス教会の分離により改称された)に託されることになりました。ですから、内ヶ崎たまき姉は昭和16年に巡回伝道に来られた安倍豊造先生によって富谷伝道所で受洗しておられます。その翌年にホーリネス系の教会に国家による宗教弾圧が起こり、先輩たちの多くが投獄され、教会は閉鎖されることになりました。
 戦後、信教の自由の時代が来て、ホーリネス系の教会も復興し、伝道を再開しましたが、安倍先生は中島代作先生と親しく、何度も仙台に応援伝道に来られたはずです。私が青年時代にこの教会でお世話になった時にも、安倍先生は夏期聖会の講師として来られ、十八番の「主の祈り」講解や、天与の美声で朗々と聖歌、讃美歌を独唱されました。覚えている方もおられるでしょう。        

記念誌座談会(2月8日)

  先日、記念誌に載せる座談会を行った。参加者は各年齢層の男女に、私も含めて八名、他に司会者二名、記録三名、また、100周年の委員会から数名が陪席した。休憩も含めて三時間以上、じっと聴いているだけというのもつらかったのではないか。
 内容は、当教会の過去・現在・未来を語るということで、内容が抱負でまとまりがつかなくなることを恐れて、委員会では予め論点を絞って参加者に考えてきて頂くことにした。そういう準備があったので、当日は比較的スムースに進行したと思う。司会者の力も大きかった。但し、発言者には一回三分を目途にお願いしたので、十分に語れなかったところもあったであろう。あのことはもっと語りたかったという方もおられるに相違ない。記録が完成したら、参加者全員に読んで頂いて、後でつけ加えて頂くこともよいと思う。皆がそれぞれにつけ加えたら、紙上座談会の色彩が濃くなるかも知れない。 
 さて、座談会を終えての感想を少し述べるならば、やはり未来は難しい。過去・現在から未来を語るということで、今までの歩みを飛び越えて語ることはできない。しかし、悪くすれば伝統に囚われることにもなる。伝統は乗り越えるためにあると言った人があるが、時には思い切った新鮮な発想、夢が語られてもよいと思う。100年の歴史を刻んできた我らの教会だから、急ハンドルは切れないだろうし、何かあれば改革派と保守派がうまくバランスをとっていくと思う。先週の短文に記した安倍豊造師は、私が信仰の冒険をしようとしないのが歯がゆそうだった。自分が若い時は、こんな臆病な伝道ではなかったという自負があったと思う。
 さて、この座談会記録がまとまったところで、もう一度、特に若い人々(自分は若いという気持の人)に集まってもらって、再度、目的を絞って第二回目をしてみるのもどうだろうか。本当は自分も参加したかったと言う方があれば、その時にはぜひ積極的に発言して頂きたい。          

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