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2009年3月30日 (月)

先輩の信仰を受け継ぐ(3月29日)

 2008年度の最後の主日を迎えましたが、今年も松下しん姉の105歳の誕生感謝をすることができることは大きな喜びです。

 前任教会の金田牧師が教会月報を送ってくれましたが、そこに最近召された一人の老姉妹のことを記しておられます。以下は老姉の文章です。
 「…朝の一時間、六時に起きて満点の日は少ないのですが、時間が与えられていること本当に感謝です。教会に連なるお一人びとりを覚えて祈らせて頂くことも感謝です。何年も前にある方から、お祈りを感謝いたしますと言われて、心に恥じたことがありました。愛することの難しさも感じるこの頃です。自分のように友を愛する愛、神さまからのお助けを祈るのみです。新年の西川口だよりの『新年を迎えて』の島先生のお言葉に、《主日には、礼拝をはじめ諸集会が生き生きと守られ、祈祷会では熱心な祈りが捧げられ、皆赦し合い、愛し合い、助け合い、仕え合っている、そういう教会らしい教会として成長していくことが何より大切です》と書かれてありましたが、何度も読み返している毎日です。…」
 この姉妹は四代目のクリスチャンで、現在は姉妹の孫たちが六代目のクリスチャンになっています。日本では珍しいクリスチャンの家系です。娘さんは献身して牧師の夫君と共に教会に仕えておりましたが、先年病で召されました。それは姉妹にとっても大きな痛みでした。
 教会では同年齢の白髪の姉妹たちが他に二人おり、この三人の姉妹たちが祈祷会ではいつも並んで座り、何とも言えない温かい和やかな空気が流れました。この三人が並んで座ると、自然に祈りの空気が出来る感じでした。しかし、一人また一人と天に移されて、最後に残ったこの姉妹も天に帰りました。
 先日、久しぶりに前任の教会に招かれて姉妹たちのことが思い起こされ、懐かしい気持で一杯でした。このようにして教会は先輩たちの信仰を体で受け止めて進むものでしょう。         

2009年3月21日 (土)

在日大韓基督教会(3月22日)

  東北教区の伝道研修会が20日に開かれ、金性済師を講師として在日大韓基督教会の今日までの歩みと課題について学びました。日本と韓国とは過去に不幸な歴史がありますが、在日韓国人と一口に言っても、どのような事情で日本に住むようになったかは一様ではありません。戦前から日本に来ている韓国人と、最近の来訪者とは事情が違います。また、韓国ではキリスト教は盛んですが、戦前から日本の社会に定着してきた在日大韓基督教会は、韓国内の教会とは全く違う状況にあり、伝道は困難です。また、比較的最近は韓国から多くの宣教師が日本に派遣され、次々に韓国教会が建てられていますが、それらの教会とも違っているようです。在日大韓基督教会は日本基督教団と宣教協力を結んでいる関係上、各地の教区総会では教区内の代表者が挨拶に見えます。日本語で上手に挨拶する牧師もあり、やっと日本語が話せるという牧師もあります。それらの先生方の挨拶を毎年聞きながら、余りにも彼らのことを知らずに今日まで来てしまったことを恥ずかしく思いました。チャンスがなかったと言えばそうですが、私たちが今日まで交わりがあった韓国人教会は、在日大韓基督教会以外の教会でした。
 金牧師の話の中に、戦争中の弾圧のことがありました。私たち(ホーリネス教会)は前大戦中に国家の弾圧を受けたことを毎年記念してきましたが、ホーリネス系教会に先立って、在日朝鮮基督教会への弾圧があり、殉教者まで出していたことを知りませんでした。そのような歴史があるならなおのこと、同じ弾圧を受けた教会として彼らに交わりの手を差しのべるべきではなかったかと思います。
 また、韓国ではできなかった教会合同が、日本では早くに実現したという話にも興味を覚えました。
「神の寄留者、寄留者の神」が今回の主題ですが、寄留者は旧約聖書の時代から大きなテーマになっています。それは決して他人事ではなく、多くの日本人が日本社会の中で居場所を失い、寄留者になっているのではないかという指摘もあり、考えさせられました。

2009年3月14日 (土)

アシュラムに招かれて(3月15日)

 更新を忘れていました。先週は、召天されたT兄のことを記しましたので、1週飛ばします。
  
 去る7日、8日、西川口教会アシュラムに招かれて共に恵みに与ることが出来ました。アシュラムはヒンズー語で、アは離れる、シュラムは労働、つまり労働から離れて、グルーと呼ばれる教師の下に冥想に励むというヒンズー教から始まったものですが、インドでは様々なアシュラムが行われてきました。インドに宣教したスタンレー・ジョーンズは、ガンジーのアシュラムに招かれてそれを体験し、これこそキリスト教に必要なものと受け止め、インドでクリスチャン・アシュラムを始めました。それを日本にも紹介し指導してくれたのです。日本でクリスチャン・アシュラムが始まってから半世紀になります。私は1970年、スタンレーが最後の来日の時、伊豆天城山荘で開かれたアシュラムに出席したのが最初でしたが、その後、チイロバ先生こと榎本保郎師との出会いもあり、何度もアシュラムに出席し恵まれてきました。かつては東北でもアシュラムが開かれていましたが、このところあまり聞きません。機会を見てこの教会でも開きたいと願っています。
 クリスチャン・アシュラムの特色は、グルーはイエス・キリストであって、誰も教師にはならない。従って、アシュラムでは講師と言わず、助言者と言います。助言者は説教もしますが、アシュラムの大きな特色は、参加者が自分でみ言葉に聴くという「静聴」を重視します。また、聴いたみ言葉を互いに分かち合い、共に祈ることが肝要です。今回のアシュラムでも2回の静聴の時があり、数名の分団(ファミリーという)で、各自が聴いたみ言葉を分かち合ったのですが、とても恵まれた一時となりました。最後の充満の時(今回は主日礼拝でした)には、皆さんの顔が輝いて、涙を流してみ言葉に聴き入っている方もありました。
 一月余り前にアシュラムの準備会があり、そこで「アシュラムはどれだけ祈って備えたかによって決まる」と申しました。西川口教会の兄姉がその言葉を受け止めて、よく祈って備えたからこそ、恵みも豊かであったと信じます。ハレルヤ。   

2009年3月 2日 (月)

仙台朝祷会(3月1日)

  仙台朝祷会は去る2月25日、第2464回を迎えました。47年以上、一回も休まず毎週開かれてきたとのこと。始めからのメンバーの一人は佐藤利吉兄(以下、佐利さんの愛称で)で、殆どはじめから佐利総本家の事務所や佐利さんの自宅が会場になってきました。私が40数年前に出席した頃は、青葉通りの佐利総本家の2階で行われていました。その頃のメンバーは殆ど天国に行き、佐利さんも98歳になり、ついに自宅で行うことができなくなりました。そこで、当教会が会場になったのです。レギュラーメンバーの半分は当教会員であり、場所から言ってもここが一番便利であることは皆さんの頷くところでしょう。それにしても、ほとんど休まず出席しておられた阿部知子姉は、ここに会場を移した2月18日には公済病院のICUに移され、皆さんに祈られました。会場がここになったことはもちろんご存じでしたが、一度も出席することなく天に移されたのは、ちょっとモーセのようですね。

 青葉荘教会の朝祷会メンバーの元祖は斎藤文蔵兄(潔兄、義兄の父上)です。私も文蔵兄に誘われて出席するようになったのです。内ヶ崎たまき姉もそうだったと聞きました。
 朝祷会の目下の課題は、新しいメンバーが加えられることです。できれば、若い方が一人でも加えられたら皆大喜びするでしょう。佐利さんも出られなくなり、知子姉が欠けたので、誰かがその席を埋めてくださるはずです(すでに埋まりつつある)。
 佐利さんのマンションから教会の集会室に移って、少し感じが変わりました。前は家庭的だったのが、ここでは教会の集会という感じになりました。でも、祈った後には簡単な朝食が出て、交わりの時が持たれます。朝祷会の一つの伝統です。東京では丸の内朝祷会と早稲田朝祷会に招かれた時だけ出席しましたが、仙台に来て仙台朝祷会が一番アットホームな感じがしました。佐利さんの家からは離れましたが、この伝統を残すことはできないでしょうか?

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