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2009年5月24日 (日)

アルダスゲートの経験(5月24日)

 きょうは敬愛する藤本満師を迎えて特別礼拝と記念講演会を開くことを許され感謝です。先生にいつお出でいただこうかとカレンダーを眺めていた時、今年は5月24日が日曜日に当たることがわかり、「この日だ!」と思いました。この日はウェスレーにとっては特別の日です。
 ウェスレーは父方も母方も牧師の家系で、彼もオックスフォード大学を卒業して順調に英国国教会の司祭になり、将来を嘱望される人でした。しかし、彼の内心には平和はなかったのです。自分には大事な何かが欠けていることを痛感し、その願いを満たすために仲間と共にアメリカ新大陸にまで行って懸命に宣教に励んだのですが満たされないまま帰国しました。その年、1738年5月24日、ロンドンのアルダスゲート街で開かれた集会に重い腰を上げて出席したのです。彼の公開日誌でその日の記録を見てみましょう。

 「夕刻、私はひどく気が進まなかったけれども、アルダスゲートの集まりに行ったところ、そこである人がルターの『ロマ書序文』を読んでいた。九時一五分前ごろ、キリストを信じる信仰によって神が人々に働いて起こしたもう変化について彼が述べていた時、私は自分の心があやしくも熱くなるのを覚えた。そしてキリストを、ただひとりの救い主であるキリストを信じた、と感じた。また彼は、私の罪を、私の罪さえも取り去りたもうて、私を罪と死との律法から救って下さったとの確証が、私に与えられた。…」(山口徳夫訳)

 これはウェスレーの生涯における記念すべき神の時でした。後生、人々はこれを「アルダスゲートの経験」と呼んで、多くの人はメソジスト運動の原点がここにあったと考えています。旧メソジスト教会グループの更新伝道会では、毎年この日を記念して特別の集会を開いております。
 それにしてもキリスト教信仰とは微妙なものです。聖霊が私たちの霊と共に働かれるとはどういうことかを深く考えさせられます(ロマ8・16)。 

2009年5月19日 (火)

社会共生のメカニズム(5月17日)

  先週「弱い人と強い人」と題して話したが、弱い人が大事にされる社会が成熟した社会と言うことが出来よう。これに関連して、北海道の浦河町に統合失調症や精神的弱さを持った人々の働く施設「べてるの家」がある。この施設に中心的に長く関わってきたのが向谷地生良氏だ。彼の言葉を以下に紹介したい。

 「蟻の社会は、よく働く蟻と普通の蟻と働かない蟻が、6対3対1の割合で構成されている。働かない蟻を実験的に排除すると、残りの蟻がちゃんと6対3対1に再配分される。それが自然のなりゆきで、蟻の社会では、働かない(働けない)というポジションを持った蟻がいかに大切な存在かを知っているわけです。ところが、私たち人間は、3の人は6になろう、1の人は3になろうと努力してきた社会なのです。望んでなったわけではないけれど、精神障害を体験して限りなく1になってしまった人たちが、実は地域社会、人間という一つの群の中では大切な、必要な存在なのだということを浦河という地域で体験しつつあります。あらゆる生き物の世界では、そのようなダイナミックな共生のメカニズムがあるのに、人間社会だけが失いつつある。知識が豊かで、頭と体がよく働くガンバリ屋だけでゆく社会は、人間そのものをダメにしていく、生態系としては著しくゆがんだ社会だと思います。」
「学校では『明るく、元気で、正しい子』といったスローガンが掲げられ、誰もが正しく生きようと努力する。しかし、正しいことをしようとする人たちの〈正しさ〉の激突はすさまじいものです。多くの場合、内部分裂したり、仲間割れしたりする。…結局は不毛な争いになってしまう。…私は学校でのいじめの問題も、正しい子どもを育てようとした結果生じた、群の中の共食い現象と見る。…」

 「べてるの家」では日高昆布などを売って懸命に障害者が自立しようとしている。関心のある方は、ホームページでご覧頂きたい。      

2009年5月12日 (火)

藤本満師を迎える(5月10日)

 個人のお名前を出して恐縮ですが、教界では著名な方なのでお許しを戴きます。
    
 百周年記念行事の第一弾、イースター・フェスティバルが終わって、ほっと一息ついた感じですが、それはあくまでも第一弾であって、今年は特別集会やコンサートがずっと続きます。特に、5月24日に藤本満師を迎えての特別伝道礼拝と記念講演会は大事な集会です。

 百周年の記念行事について思い巡らした時、最初に頭に浮かんだのが藤本満師でした。百周年には、ぜひ藤本師を迎えようと心に決め、では、何をお願いしようかと考えて「講演会」が最適だと思いました。それは次のような理由です。
 藤本師に初めて親しいお交わりを頂いたのは1993年秋のホ群の教職セミナーの時でした。先生はまだ30代の若さでしたがその講演は素晴らしく、深い印象を与えられました。その後、ウェスレー・メソジスト学会が立ち上げられ、その当初から先生は書記として中心的に奉仕されました。毎年開かれる学会の研究会や総会では、深い洞察と明晰な発言で会をリードしてこられました。また、聖化大会や更新伝道会(旧メソジスト教会のグループ)でも説教や講演を伺いましたが、いつも充実したお話でした。あちこちから聖会講師として招かれ、今年はホ群の近畿夏期聖会からも招かれているようです。近い将来、東北夏期聖会にもお出でいただきたいと願っています。

 先生はアメリカで7~8年、特にウェスレーについて学ばれ、若くして「ウェスレーの神学」という立派な本を出版されました。これは私が東京聖書学校の教科書として愛用し、もう20年近くになるでしょうか。ですから私ばかりでなく、聖書学校の卒業生は皆、先生のお世話になっているわけです。母校のイムマヌエル聖宣神学院ではもちろん、青山学院でも学生たちを教えておられます。

 私たちの教会が宣教2世紀に向かうこの大事な時、神がどのようなビジョンを示して下さるか、先生の講演にしっかり耳を傾けましょう。    

2009年5月 3日 (日)

イースター・フェスティバル(5月3日)

 百周年記念行事の第一弾、イースター・フェスティバルが終わりました。あいにくの雨の日でしたが、集会の始まる頃には雨も上がり、皆さんの出足が妨げられることなく、出席者は400名ほどに達したとのこと。これは前回の集会より150名ほど増えたのですが、日曜日の午後で出席しやすかったという声もありました。

 永井信義師の名司会で会は進められ、岩渕まこと・由美子夫妻の心に沁みる賛美と証し、そして、ヒュー・ブラウン師のメッセージ。元テロリストという売り込みで、果たしてどんな人が話すのかという期待感もありましたが、とても静かな語り口で、意外に思った人も多かったようです。最後の招きの時には、初めの打ち合わせとは異なり、「決心者はその場に立って下さい」という司会者の勧めに応じて、幾人かの人々が起立しました。その人々のところへカウンセラーが近寄って、決心カードに名前を書いてもらうという方式になりました。どういうやり方でも一長一短がありますが、今回のは比較的無理のない方式ではなかったかと思います。

 当教会からも、20名近い兄姉がカウンセラーや会場係として奉仕しました。出席者も、インマヌエル仙台教会に次いで多かったと思います。翌日に早速、委員会が開かれ、感謝と反省の時を持ちました。幾つかの反省材料もありましたが、全体としては祝されたことの感謝が多く述べられました。さて、これをどのように継続していくか、協力教会を如何に増やしていくか、等が今後の課題です。

 委員会の結論は、隔年に今回のような大会を開くことにし、2年後に大会を開く。従って、来春は信徒大会を開く。それまで何回か牧師会を開いて共に祈り、意見交換をしていく予定です。教会同士の交わりも少しずつ出来てきました。これも大事にしていきたいと思っています。

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