« 2009年5月 | トップページ | 2009年7月 »

2009年6月29日 (月)

ベー・チェチョルさんの歌声(6月28日)

 22日に福音主義牧師会が開かれ、20余名の牧師たちが集まった。その日、東京から「いのちのことば社」の役員と一緒に音楽プロデューサーのY氏が見えて、ベー・チェチョルさんのことを紹介された。ベーさんは韓国人で、百年に一人と言われたテノール歌手の逸材だが、2005年に甲状腺癌と判明、手術の結果、彼にとって命とも言うべき大切な声を失った。彼の歌声に感動し惚れ込んでいたY氏は、ベーさんに日本で声帯膜治療の第一人者、京都大学名誉教授のI医師を紹介し、手術を勧めた。ベーさんも決心して手術に臨んだ。それは3年前の春であった。
 手術の結果、日常会話には差し障りないまでになったが、あの希代の美声が戻るまでには至らなかった。最初の手術で、片方の横隔膜が麻痺してしまったからだ。手術後も、ベーさんの懸命のリハビリが続いている。ベーさんの再起への闘いを聞いて、彼を知る人々の間に支援の輪が拡がり、2007年の年末にはNHKドキュメンタリー特集「あの歌声を再び~テノール歌手ベー・チェチョルの挑戦~」が放映され、反響を呼んだ。この度、W氏よりそのDVDを頂き、早速観てみたが、まさに感動のドキュメンタリーだ。彼がI教授の手術を受ける場面も生々しく放映されるが、手術台の上でI教授に「何か歌ってみて下さい」と勧められて、ベーさんは「輝く日を仰ぐ時」を歌った。それは子どもの時から教会で慣れ親しんだ聖歌だった。
 その後も前述の通りドイツで奥さんと共に懸命のリハビリを続けているが、彼の歌声を電話で聞いたY氏は、以前のベーさんとは違う深い感動を受け、彼の舞台復帰を強く願うことになる。そして、一般の聴衆の前ではなく、彼を支援する人々の前で、歌う場面を設定した。彼の歌は菅英三子姉が礼拝でもコンサートでも歌ったマロットの「主の祈り」だった。まさに彼の祈りそのものだったと思う。まだ十分には美声は回復していないが、今年の10月15日には仙台文化文化センターでベーさんのコンサートが予定されている。

2009年6月22日 (月)

一歩を踏み出す(6月21日)

  きょうは菅英三子姉を迎えて楽しみにしていた百周年記念コンサートが開かれる。コンサートには、大勢の方がお出でくださるであろう。地域に開かれた教会として皆さんを心から歓迎したいと思う。
 これからまた、十月の記念礼拝・式典に向けて、特に今夏は記念誌発行のために集中的に準備を進めていくことになる。百周年、百周年と思って記念誌編集や行事を進めてきて、フト思わされたことは、皆が心を合わせて一つのことに取り組む中で、神は私たちに新しい業や気づきを与えてくださるということである。二月の初めに記念誌に載せる座談会を開いたが、それは過去を振り返りつつ未来に向かって新しい展望が開かれるようにという意図があった。しかし、座談会参加者一同にとってそれは決して簡単なテーマではなかったと思う。五月には藤本満師を迎えてウェスレーについての講演をお聴きした。その中にもこの教会への貴重な示唆があった。このようにして手探りではあるが私たちが祈りつつ百周年の歩みを進める中で、神は細いみ声をもって私たちに語り続けておられると気づいた。

 藤本師の講演はウェスレーのアルダスゲートの回心から始められたが、これはメソジスト運動の原点とみなされている。しかし、アルダスゲートの回心から直ちにメソジスト・リバイバルが始まったのではない。アルダスゲートの回心後も、彼はなお内省を重ねて思い悩んでいた。ところが、思いがけない転機が訪れた。それは、やむを得ない事情に迫られてオックスフォードを去り、炭鉱の町ブリストルに行き、そこで強いられて野外伝道を始めた。ここから驚くべきリバイバルが始まったのだ。
 この事実は、私たちにも一つのヒントを与える。それは私たちが躊躇する思いを振り切って一歩を踏み出す時、あのヨルダン川の水がせき止められたように(ヨシュア記三章)、私たちの思いを超えて神が業を進めて下さるということである。大事なことは、信仰を持って一歩を踏み出すことである。

2009年6月15日 (月)

百周年記念誌について(6月14日)

 百周年記念誌編集は大詰めに来ました。先日編集長から原稿ひと揃いを預かり、目を通してみて、今度の記念誌の特色が分かりました。目次を見ると、まず祝辞は教区議長とホ群委員長のお二人だけ。当初、中島豊師からも頂く予定でしたが、自分はあちこちに書いているし、教会に対して客観的に祝辞を書く立場にはないと辞意を表明され、委員会もそれを受け止めました。確かに全体を通読してみて、先生から祝辞を頂くのは適当ではないと思いました。殆どのページに中島代作・豊両牧師の息づかいが感じられるからです。それがこの記念誌の第一の特色と言ってよいでしょう。
 祝辞に続く説教集では、中島代作師以降六人の教職の説教が一編ずつ載ります。次に教会の歴史の部では、八十五周年誌の歴史の部を圧縮し、それ以後のところを若干つけ加えた程度です。この中で特に弾圧の歴史には経験者の証言を加えて十数頁を取っています。これも一つの特色と言えるでしょうか。
 次に、現在の教会を紹介するために、教会学校から始めて地区会、例会、委員会と続きます。この部分は、私たち教会員も教会全体が分かっていないので大変役立ちますが、教会外の人に対しては教会の中心と言うべき礼拝、祈祷会の紹介がないのはどうだろうかと感じました。

 さて、この記念誌の最大の目玉は、皆さんの自己紹介を兼ねた証し集です。短い文ですが、それぞれの個性が出て読み応えがあります。ただ全員の証しはなく、半数ちょっとでしょうか。さらに各自の「愛誦聖句、愛唱讃美歌・聖歌」は一覧表にまとめられています。そして、過日の座談会記録が続きます。最後は資料集で、略年表もまとめられています。写真集はカラーと白黒とに分かれるでしょうが、どれくらい載せられるか、印刷費とも相談してということになるでしょう。間もなく印刷所に原稿を入れることになります。完成を待ちましょう。

2009年6月 6日 (土)

「日ユ同祖論」(6月7日)

 今年はプロテスタント宣教150年の記念の年に当たるが、最近「日本キリスト教宣教史」(中村敏著)が出版された。この本の第一部はザビエル前史であり、景教(ネストリウス派)と日本との関係まで遡って記している。前史の中に「日本人とユダヤ人の同祖論」というのがあり、日本人の中にユダヤ人の血が流れているという主張が取り上げられている。この主張に関しては、かなり多くの人が同調しており、最近でも20冊以上の本が出版されていることを知った。これに関して我らの先輩、中田重治が「聖書より見たる日本」を出版して物議を醸したのは有名だが、より冷静な学問的主張もあるらしい。しかし、著者は日ユ道祖論に対して「大胆な仮説や推論に基づくところが多く、もっと厳密な歴史的検証が必要だ」と結論づけている。同時に「宣教的動機も含めて、その主張には日本キリスト教史研究の上で無視できないものもあり、今後の一層の研究の進展と建設的対話が望まれる」と結んでいる。

 その日ユ道祖論に立って琉球伝道に来たのがベッテルハイムである。彼はハンガリー生まれのユダヤ人であり、医学を修めたが、イギリス人女性と結婚してイギリス国籍を取得した。そして「英国海軍琉球伝道会」の最初の宣教師として1846年家族と共に那覇に上陸した。当時の琉球王国は薩摩藩の支配下にあり、キリスト教は本土と同じく禁教であった。しかし、彼は激しい迫害に屈することなく、8年余り琉球に滞在して宣教活動を行い、改宗者を生み出した。これが日本における最初のプロテスタント宣教であり、横浜や長崎の開港を待って宣教師たちが来日し、宣教を開始した1859年に先立つ13年前のことであった。そうした彼の日本宣教の情熱を支えたのが、前述の日ユ同祖論であった。彼は、琉球に生活して琉球の人々を実際に知るにつれて、いよいよその思いは強くなったという。なお、プロテスタント宣教150年と言う時、ベッテルハイムの琉球伝道は数えられていない。     

2009年6月 1日 (月)

藤本満師の講演から(5月31日)

  藤本満師の礼拝説教と講演がCDに録音されたので、講演をもう一度聴き直した。二度聴いてさらによく分かった。聞き流してしまうのはもったいない内容なので、委員会で相談して何とか活字に残したいと思っている。
 講演を聴いて心に残った二、三のことを以下に記したい。

 今私たちは百周年記念誌を編集しているが、教会の記念誌にもその教会の伝統によって特色が出る。例えば改革長老系の教会では歴史の出来事をできるだけ取り上げて記し、メソジスト系の記念誌では人物に重きを置き、証しが記されるという。確かにそうだ。私たちが発行した記念誌はみな、証しにかなりのページを割いた。青葉荘教会の八十五年誌もそうだが、今度の記念誌には各牧師のプロフィールまで別枠で出る予定である。まさに人物に重きを置いた記念誌になりそうだ。教会の歴史は、その教会を担った人々の生き様だというのがウェスレーの考えだという。だが藤本師は、過去の人物よりも、今を生きる人々に集中する(べし)と言われた。その意味で、教会員の証しが中心だと言ってもよい。

 また講演の中で小グループのことに触れて、ウェスレーはメソジスト会の中に組会等の沢山の小グループを作り、それを管理する卓越した能力を備えていたという。それらの小グループでは、信徒指導者が信徒を牧会する。信徒が信徒を牧会するのがメソジストの勝れた特徴だと言われた。これは私たちの教会の特色でもあると改めて思った。こころの友委員会はもちろん、祈祷会や地区会、各例会にもその特色が現れている。むろん未だ十分ではないが、今後もその特色を伸ばしていきたい。

 さらに教会の交わりはラテン語でコミュニオ(英語のコミュニケーション)と言い「融通する」という意味があるという。一人一人に与えられている賜物や恵みを互いに融通するというのだ。金を融通するより、はるかに豊かな交わりが生まれることは間違いない。今年の教会標語(ロマ書12:5)にぴたりであった。 

« 2009年5月 | トップページ | 2009年7月 »

2009年11月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

最近のトラックバック

無料ブログはココログ