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2009年7月26日 (日)

佐利さんご召天(7月26日)

  佐藤利吉兄(以下佐利さん)が九九歳で召されました。若き日に救世軍で救われ、仙台愛泉教会に所属して長い間キリスト者として良き証しを立てると共に、独学で努力し牧場経営と佐利総本家を起こし全国で認められ、業界では様々な要職を担われました。葬儀においてそれらの一端に触れ驚きました。

 キリスト教関係では宮城学院、山形学院の理事長を長く務め、また、国際ギデオン協会、日本聖書協会、仙台YMCAその他多くの奉仕をされましたが、仙台朝祷会の生みの親の一人で長くご自宅や店をその会場に提供し、46年間、毎週休みなく祈り続けてきた祈りの人でもありました。私が佐利さんに初めて会ったのも朝祷会で、40数年前に青葉通りの佐利総本家の2階で開かれている頃でした。斎藤文蔵さんに声を掛けて頂き出席してみると、諸教会から長老方がずらりと並んでいて、佐利さんは若手の方でした。しかし、時々なさる奨励はピカ一でした。 40年ぶりに仙台に戻ってきたら、朝祷会は佐利さんのマンションで開かれていました。佐利さんも高齢になり毎週出席することも困難になっていましたが、出席できた時は大きな声で短く祈られました。その祈りは単刀直入でむだな言葉はなく、特に朝祷会がこれからも祈りを絶やさず、祈り続けていくようにという切々とした祈りでした。奨励者の声が小さいと、「もっと大きな声で!」と注文が飛びました。耳が遠かったこともありますが、救世軍で救われた元気の良い信仰でしたから、ぼそぼそした話しぶりは気に入らなかったと思います。葬儀の時に、山形学院の北垣校長が、授業で「人はどうして生きるのか」という問が生徒から出され、佐利さんに尋ねたら「神が生きよと言われるから生きるのだ」と答えられたとのこと。また、特に子どもを愛して教会学校の校長を長く務め、「子どもと牛はうそをつかない」との一言にも佐利さんらしさが出ていると思いました。佐利さん、本当に長い間ご苦労様でした。仙台の教会は貴兄のことを忘れません。  

2009年7月20日 (月)

親子一緒の礼拝(7月19日)

  先週は岩手県の錦秋湖で東北教役者会が開かれ、M師、S兄と共に参加した。今回の主講師は鞭木由行師で主題は「礼拝」、特に十戒に照らしてどのように礼拝するのが正しいかという実践的な学びであった。他に、3人の信徒の兄姉の証があり、S兄はそのお一人で、同兄のライフワークとも言うべき思索の結論が語られた。私たちは折にふれてお聴きしているが、初めて聴いた牧師たちも大きなインパクトを与えられたと思う。

 主講師のお話で印象深かったのは、親子一緒の礼拝ということであった。礼拝は本来、親子が一緒に捧げるべきものなのに、近代の主知主義的な礼拝が行われるようになって、子どもは礼拝から追い出された。その結果、子どもたちは教会から離れ、信仰の継承が難しくなっている。鞭木師は、今日でも親子一緒の礼拝は可能な筈だと信じて、その試みを実践し、その成果を見ているとの話であった。 
 特に問題になるのは、説教が子どもには難しいから子どもたちが飽きたり騒いだりしないかということだ。その点では、鞭木師も試行錯誤を重ねた結果、分かったことは、子どもは説教を分からないと決めつけるのは間違いだということ。彼らは驚くほど良く理解しているという。もちろん、牧師の方も配慮と工夫をして、例えば難しい言葉は極力使わない。また、予め質問(クイズ)を書いた用紙を渡しておいて子どもたちに答えてもらう。すると、子どもたちの理解の程度が良く分かるし、的確な答えが返ってくるという。これは子どもばかりでなく、大人にも有効かも知れない。すると、牧師の独りよがりの説教も少なくなるかも知れない。

 このようにして17年間親子一緒の礼拝を続け、子どもたちは成長して信仰告白をし、受洗して、今は青年会のメンバーとして活躍しているという。良き折りに先生の教会をお訪ねして、子どもたちを育てる秘訣を伺いたいと思った。これは信仰の継承という大事な課題にも一つの回答を示している。 

2009年7月15日 (水)

二つの大事な行事(7月12日)

  ファミリーキャンプと東北夏期聖会の締め切りが迫っています。今年は連続してこの二つの大事な集会が開かれるので、どれに参加しようかと迷っている方もあるでしょう。
 ファミリーキャンプと夏期聖会とでは性格が全く違います。ファミリーキャンプは子どもと大人が一つになって教会という神の家族の一員であることを確認し、楽しい交わりをすることが第一の目的です。プログラムを見ると、大人と子ども合同の開会礼拝から始まり、それぞれに分かれて独自の活動をする部分があります。子どもたちは戸外で川遊びその他の楽しい計画があります。その間、大人は室内で学びの時間と、共に賛美したり語り合ったりする交わりの時間があります。これは参加者が主体的に関わることが期待されます。誰かがやってくれるだろうではなく、自分がこのキャンプを作っていくのだという主体性が求められます。

 夏期聖会はホーリネス教会が初めから大事にしてきた伝統ある集会です。ホーリネス信仰のスタンダードは聖会によって保たれてきたといっても過言ではないでしょう。私たちは日本基督教団の教会の一員として教団の信徒であるという自覚に立つと共に、教団が成立する以前からあったホーリネス教会の伝統を重視してホーリネス信仰を大切にしてきました。もちろんホーリネス信仰は何か特殊な信仰ではなく、正統的な聖書信仰です。しかし、意識的にそこに立つ努力をしなければ、合同教会である教団の中で自分たちのアイデンティティは失われていくでしょう。ですから、ホーリネス信仰に立つ牧師・伝道者を育てるために東京聖書学校を運営してきたのです。また、互いに励まし合って、地域の講壇交換とは別に、ホ群の講壇交換も行ってきました。きょうはその一環として中村英之師を新庄より迎えて説教をしていただくのです。新庄では市内にある教団の三つの教会が合同に向かって協議を進めています。これも新しい事態です。御教会を覚えて祈りましょう。

2009年7月 6日 (月)

黙想の大切さ(7月5日)

  7月2日は東京聖書学校に一泊しました。4月より深谷春男師ご夫妻を舎監に迎えて3ヶ月、祈祷会の持ち方が変わりました。今まではチャペルで開かれていましたが、食堂で皆がテーブルを囲んでするようになりました。また、美歌子牧師の司会で全員が一言ずつ証しやみ言葉や感想を語り合います。その後、牧師のメッセージ、祈祷と続きます。
 また、早天祈祷会のやり方も変わりました。学校では十年一日の如く毎朝アパルームを呼んで祈ってきましたが、深谷師の提案で土、日、月はアパルームを用い、火~金は詩編を読み、全員が黙想して、示されたことを一言ずつ語ります。司会の深谷牧師が最後に締めくくりをして、祈りに移ります。夜の祈祷会も早天祈祷会も、全員が口を開き、恵みの分かち合いと祈りを捧げるという風に、みんなが主体的に祈祷会に参加する姿勢を大事にしたいということが深谷牧師の意図と思われます。

 特に、黙想を大事にするところが印象的でした。アパルームも決して悪くはないのですが、食事で言えば出来上がったものを食べるという受け身です。それだけでは、み言葉が心に残らない場合が多いでしょう。しかし、自分でしっかり読んで黙想すると、み言葉が心に留まります。そこが大事なところです。私も久しぶりに黙想に参加して、改めて黙想の大切さを思わされました。これはすぐには身につかず、ある程度の修練を要すると思います。カトリック教会では黙想を大事にする伝統があります。しかし、私たちは説教を聴くことは重視しますが、自分でみ言葉を黙想するところまでいかないのが現実でしょう。そして、一人で黙想を続けることはさらに困難です。ですから、小グループで励まし合って黙想し、それを分かち合うことが大事だと思います。カトリックの修道僧だったマルチン・ルターは黙想の大切さをよく知っていました。ルターの言葉に、「聖徒を造るものが三つある。祈りと黙想と試練である。」心に留めたいと思います。     

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