黙想の大切さ(7月5日)
7月2日は東京聖書学校に一泊しました。4月より深谷春男師ご夫妻を舎監に迎えて3ヶ月、祈祷会の持ち方が変わりました。今まではチャペルで開かれていましたが、食堂で皆がテーブルを囲んでするようになりました。また、美歌子牧師の司会で全員が一言ずつ証しやみ言葉や感想を語り合います。その後、牧師のメッセージ、祈祷と続きます。
また、早天祈祷会のやり方も変わりました。学校では十年一日の如く毎朝アパルームを呼んで祈ってきましたが、深谷師の提案で土、日、月はアパルームを用い、火~金は詩編を読み、全員が黙想して、示されたことを一言ずつ語ります。司会の深谷牧師が最後に締めくくりをして、祈りに移ります。夜の祈祷会も早天祈祷会も、全員が口を開き、恵みの分かち合いと祈りを捧げるという風に、みんなが主体的に祈祷会に参加する姿勢を大事にしたいということが深谷牧師の意図と思われます。
特に、黙想を大事にするところが印象的でした。アパルームも決して悪くはないのですが、食事で言えば出来上がったものを食べるという受け身です。それだけでは、み言葉が心に残らない場合が多いでしょう。しかし、自分でしっかり読んで黙想すると、み言葉が心に留まります。そこが大事なところです。私も久しぶりに黙想に参加して、改めて黙想の大切さを思わされました。これはすぐには身につかず、ある程度の修練を要すると思います。カトリック教会では黙想を大事にする伝統があります。しかし、私たちは説教を聴くことは重視しますが、自分でみ言葉を黙想するところまでいかないのが現実でしょう。そして、一人で黙想を続けることはさらに困難です。ですから、小グループで励まし合って黙想し、それを分かち合うことが大事だと思います。カトリックの修道僧だったマルチン・ルターは黙想の大切さをよく知っていました。ルターの言葉に、「聖徒を造るものが三つある。祈りと黙想と試練である。」心に留めたいと思います。


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