2008年5月13日 (火)

ビジネスマンの視点から 

 多忙で更新を忘れていました。古びた短文でなく、昨日今日の新鮮な報告を載せます。
  
 12日、13日の二日間に亘って仙台圏宣教協力会主催の伝道セミナーが開かれた。講師は、姫井雅夫師と三谷康人氏であった。三谷氏はビジネスマンとして45年のキャリアーを持ち、その視点から現在の日本の教会を見て、伝道に対する助言を与えてくださった。それが私たちには新鮮であった。一方、姫井師は長く総動員伝道の総主事として教派を超えて全国の諸教会を助け、また見てきた方だが、今回はご自身が牧会する教団赤坂教会での試みを率直に分かち合ってくださり、参考になった。赤坂教会も百年を超える歴史を持つ都心の教会として、私たちの教会との共通点も多いと思った。
 特に興味深く感じたのは、お二人がコンビを組んで講演してくださったことで、牧師の視点とビジネスマンの視点の相違点、共通点が見えて、考えさせられるところが多かった。

 三谷氏は、日本の教会の弱点は内向きであること、小さく固まってその枠を破れないことであると言われた。また、教会の使命は伝道であり、その伝道とは教会の外に愛を実践していくことによって可能になると言われた。すなわち、神が私たちに与えておられる使命は、愛と伝道に集約されること、また、私たちが喜びに満たされているときに、伝道は自然に進んでいく。そのためには、私たちが自己完結的な内向きの信者でなく、神中心的な外向きの信者になることが大事だと強調された。
 また、日本の社会が直面している危機(年金や老人医療に象徴される)と、教会の現状から将来を展望して、もっと危機感の自覚が必要ではないかと指摘された。これらのことを、御自分の体験を交え、また豊富な実例を引きながら、説得力ある講演だったが、「ピンチはチャンスである」、今こそ、伝道のチャンスが来ている。共通の使命に立てば、方法は無限にあり、神の意志を実行しようとするなら、神が味方なのだから絶対に成功する。諦めないで挑戦することだと力強く励ましてくださった。 

2008年4月28日 (月)

役員選挙について(4月27日)

 このところ、面白くない短文で恐縮です。昨日のNHK深夜便「こころの時代」の五木寛之さんの話を聞いていたら、書くことは厳しい、身を削るようにして書いているとのお話でした。プロともなると、そういうものかと感じ入りました。生意気を言えば、説教には我々も身を削るように、苦労しています。
しかし、週報短文は、私の趣味のようなものですから、どうぞお許し下さい。以下、昨日の短文の一部をアップします。

 教会総会が終わった。すでに2008年度は始まっているが、総会が終わらないと、新年度がスタートしたという気持にならない。今回の、大きな改革は役員選挙のやり方だった。二月に懇談会を開いて、話し合いもしてきたから、特に驚きはなかったと思うが、このやり方に慣れるまで少し時間がかかりそうだ。
 投票用紙に沢山の名前があるので、選ぶときに迷われたかも知れないが、開票の結果は当選の上位4名まで20票以上が入っているから、有効投票(52)の過半数には達しないが、三分の一以上には達している。これは従来の選挙結果と比べてもそんなに違わない。今回のやり方の妥当性を裏付けてくれたと受け止めている。

 役員を務めると教会の全体が見えてくる。これは役員を経験した人の率直な感想であろう。それは大事なことである。牧師だけではなく、少なくとも教会の主だった人々は教会の全体像を把握していなければならない。また、先輩の役員から教会の伝統を学び、それをまた次の世代に伝えていく責任もある。私たちがこの教会に招かれた4年前から75歳を越えて役員を降りた方は二人、さらにその先輩たちもかつては何年も役員を務めて下さった。そういう先輩たちの信仰をしっかり受け継いでいくことも役員の大事な務めである。これからも、現在の役員から次の世代の兄姉に次第に代わって行くであろう。その交替が無理なくなされていくような役員選挙でなければならない。

2008年4月21日 (月)

讃美歌、聖歌について(4月20日)

 ホーリネス教会は、昔は「リバイバル聖歌」という小さな聖歌集一冊を用いていました。礼拝、祈祷会、伝道会、聖会でも、すべてそれ一冊でした。しかし、1941年に日本キリスト教団に統合されて、教団の集会では讃美歌が用いられるので、次第に讃美歌も歌われるようになりました。
 リバイバル聖歌は、曲数も少なく如何にも不十分なものでしたから、1958年に中田羽後師が編纂して発行されたのが現在私たちが使用している聖歌です。
 ところが、2001年に聖歌が廃刊になりました。それは日本福音連盟から新しく「新聖歌」が発刊されたからです。新聖歌は聖歌の改訂版ではなく、新しい聖歌集と言うべきです。そこで、従来の聖歌に慣れてきた教会としては、新聖歌に変更すべきか否かで迷いました。当教会も変更しないで今まで従来の聖歌を使用してきました。しかし、これはすでに廃刊したものですから、いつまでも使うことには問題があります。
 新聖歌とは別に、日本教会音楽研究会・聖歌の友社から「聖歌」(総合版)という新しい聖歌が2002年に発行されました。これは従来の聖歌を殆ど網羅して、さらに新しい曲を取り入れたものです。従来の聖歌を歌い続けるならば、これに切り換えるのが自然であろうと思います。
 他に、讃美歌のことがあります。従来の讃美歌もなお多くの教会で歌われていますが、教団の教会では、次第に讃美歌21に切り替わってきました。この讃美歌にも実は、問題があります。特に、我々が讃美歌の中で歌い続けてきた聖歌に類する曲は、ほとんど讃美歌21には採用されていません。しかし、従来の讃美歌の歌詞も古く感じられ、若い人々は理解も難しいでしょう。それでも、従来の讃美歌に固執するかどうか(歌詞を替えたくないならそうする他ない)、皆さんのご意見も伺いたいと思います。

2008年4月14日 (月)

新年度の計画(4月13日)

 教会総会が来週に迫り、その準備に追われています。この短文もそれに関連して、一般には面白くないですが、お許しを頂いて掲載することにします。  
 
 教会全体のことを言えば、組織を見直して再編する予定です。各委員会は、全員参加の教会形成を目指して皆さんが自主的に希望の委員会に所属して奉仕していますが、うまく機能していない委員会もあり、委員会の奉仕内容も再確認、再検討する必要があるでしょう。一人で何役もとなると、無理が生じるので、できるだけ重点的に奉仕部門を絞るのがよいと思います。
 昨年度はイベントが多く、恵まれた反面、疲れたという声もあるので、今年度は控え目にします。来年度は創立百周年の記念のイベントが多くなりますので、今年は準備の年として位置づけます。
 特伝は十月に絞り、他に特別礼拝が何度か行われる予定です。また、新しい試みとして、夏に応援伝道を計画しています。酒田暁星教会(山本博之師)を予定しています。
 建物設備関係では、冷暖房が大きな課題になっています。暖房は床暖房とパネルヒーター式で行っていますが、肝心のボイラーが時々不調になります。冷房は部分的に冷やすことは不可能との意見もありますが、業者の説明では、礼拝堂の真ん中付近の数列を冷やすことも不可能ではないとのことです。夏の気温が徐々に上がっているように見受けられるので、部分的にでも冷やすことも検討の余地はあると思います。
 これらのことは、礼拝を少しでもよい環境で捧げたいという願いですが、もちろん重要なのは礼拝の中味です。み言葉と賛美と祈りのなかで、生ける主に出会う礼拝となるように祈りましょう。 

2008年4月 5日 (土)

ホ群年会のひとこま(4月6日)

  ホーリネスの群の年会は、今年は越谷の新しい会場で行われた。初日は強風で武蔵野線が止まり、年会に先立って毎年開かれるセミナーに出席しようとした方々は足止めを食ってしまった。聖書学校も武蔵野線吉川にあるが、同線は風や雨に弱いのが弱点である。
 セミナーは渡辺正男師の礼拝についての講演で、有益であった。

 今年の年会の主題は「ホ群教会の連帯」―福音にふさわしく歩むーで、フィリピ書1、2章から語られた。八束委員長は、「ただ福音にふさわしく歩む」という一事に集中することを奨められたが、翌日の派遣式の聖会で私は、ここ30年余りのホ群の歩み、特に分裂に至った経緯を少し取り上げた。これは私たち五人に託されたホ群の歴史編纂で最大の課題になっているところで、まだ歴史が定まったとは言い難い部分だが、タブーのように誰も触れようとしないことに疑問を感じ、敢えて語らせて頂いた。説教後に幾人かの方から感謝されたが、しかし、説教で取り上げることが適当であったかどうか、特に「それはあなたの主観的な判断ではないか」と率直に言って下さった方もあり、難しさを感じた。自分では客観的に語ったつもりでも、聴く側では、特にその困難な場面を通ってきた者には様々な思いがあり、判断の違いもある。未だに癒やされていないところもある。また、触れて欲しくない所もある。懇談会やセミナーならば、率直な意見交換も出来るが、説教では一方的に語られるので反論できない。それだけに、慎重を要すると改めて思った。
 しかし、困難を承知で、あえて一石を投じたつもりである。あれだけの痛みを経験しながら、何事もなかったように蓋をしておくことは出来ないし、そのために歴史編纂をしてきたといっても過言ではないのだから、他の方々にもまた違った観点から取り上げて欲しいと思っている。特に若い方々はどのように感じたか、聞いてみたい気がする。  

2008年3月30日 (日)

出会い

 週報短文を忘れていて、30分でキンロー先生の一文を借りて書き上げたたので、ここには月報の巻頭言を載せることにします。
  
 春は別れと出会いの季節です。今春も若い兄姉たちがこの地を離れて新しい地に旅立っていきました。その地には新しい出会いが待っていることでしょう。私たちもまた、ここで新しい友を迎えることを期待しています。
 「人生は出会いで決まる」という言葉がありますが、実際、誰と出会うか、何に出会うかによって私たちの人生が大きく左右されることは間違いありません。皆さんの人生における最大の出会いは何だったでしょうか。
 ヨハネ一章には主イエスに出会った最初の弟子達のことが興味深く記されています。彼らにとってそれは決定的な出会いでした。私たちはどうでしょうか。主イエスとの出会いが生涯を決めたと言い得るでしょうか。私たちクリスチャンホームに育った者は、主イエスに出会ったという意識が持ちにくいのですが、多くの場合、まず誰かとの出会いがあって、それが契機となり主イエスとの出会いに至るのが普通であると思います。自分で聖書を読んで主に出会ったという人は少ないでしょう。

 「主イエスとの出会い」という場合、それは深められていくものではないでしょうか。例えば、み言葉との出会いと言うことがあります。東京聖書学校の入学試験の面接では、必ず召命感が問われますが、それはみ言葉を握っているか否かが鍵になるでしょう。そのみ言葉の背後に、実は生ける主ご自身がおられるのです。それはみ言葉ばかりではなく、人や出来事との出会いにおいても同様です。背後におられる主ご自身に気づくかどうかということです。いつまでも人を見ているのではなく、その背後に生きて働かれる主イエスご自身を見ることができるようになったとき、それは自立した信仰と言うことが出来るでしょう。
 特に若いときならば、本との出会いが大きいはずです。今、ホーリネス誌では「一冊の本」という連載が続いていますが、興味深く読んでいます。私が原稿を依頼されたら何を選ぼうか、パスカルにするか内村鑑三にするか、とにかくその本を手にしなかったら、自分の人生はかなり違っていたという本があるはずです。皆さんの人生の様々な出会いをお聞きしてみたいと思います。

2008年3月22日 (土)

東京聖書学校の寮生活(3月23日)

  4月から東京聖書学校で賄いをしてくださる方を求めているのですが、もう1週間しかないのに未だに見つかりません。この短文をみて、応募してくださる方、心当たりを紹介してくださる方が現れることを期待します。

 学生の食事は朝昼夜と三食あるが、昼は弁当を取り、夜は学生が交替で作る。従って賄いさんには朝食のみの準備となるが、朝は早い。7時15分から朝食だが、準備は5時半頃から始まる。今は通いで準備してくださっている方があるが、まだ暗いうちに家を出るのだろう。
 昨春までの4年間は、学校に入学した兄弟の奥様が、「主人が献身して入学したのですから、私もそのつもりで賄いをいたしましょう」と申し出てくださって、兄弟が卒業するまで4年間、学生の朝食を準備してくださった。ところが、姉妹は学ぶことに大変意欲的で、殆ど全科聴講生になり、夫君も顔負けするほど、賄いよりも学びに一生懸命だった。今は、夫君と共に遣わされた教会に仕えておられる。
 賄いさんは学校の職員になるので、給与はあるが、低い。それだけで生活が出来るほどではない。しかし、部屋は寮に準備されているから、例えば幾らかでも年金が下りる人ならば、十分生活は出来るであろう。そして、学習意欲があるなら、学生と同じように勉強することも出来る。
 百聞一見に如かず、一ヶ月でも二ヶ月でも学生と共に生活してみたら、学校生活が良く分かるであろう。そして、学校にも献身者にも親しみが増して、神学生と戦友の意識が生まれるであろう。私も昔、聖書学校の寮に半年間、修養生として置いてもらった。あの経験がなければ、果たして伝道者が務まったかどうか。私のようにCコースで補教師になった人は、短期間でも寮生活をして訓練を受けることは大きなプラスになると信じる。賄いから話が発展したが、拙文を読んでくださった皆さんにも考えて頂きたいし、祈って頂きたい。

2008年3月15日 (土)

歴史の教訓に学ぶ(3月16日)

  今年も受難週を迎え、来週はいよいよイースターですが、私は教会の暦よりも年度末の仕事に追われています。本来の姿ではないですが、やむを得ないと思っています。というのは、今年はイースターが早く3月中に来ることと、4月の冒頭にホ群の年会があり、それまでにやらなければならないことが重なったためです。
 特に今週は、ホ群の歴史編集に追われました。月曜から学校に一泊して4人の委員で膝つき合わせて作業をしましたが、委員の間でも必ずしも意見が一致しません。戦前の部分は、すでにまとまりました。問題は戦後の歴史ですが、特にいわゆる教団紛争が始まってから、ホ群の分裂に至る約20年間が一番大変です。群の分裂がどんなに大きな痛手であったかは、今になってもその傷が癒えていないことでも分かります。
「神さま、どうしてですか」「どうしてこんなことになるのですか」と、どんなに涙をもって祈られたでしょうか。
しかし、どんなに祈っても知恵を絞って協議をしても、どうしても意見が一つにまとまらず、どんどん分裂の方向に進んでしまったことが、今振り返ると痛いほど分かります。その時は、皆夢中ですから気づかなかったことも多かったでしょうが、今冷静に考えればもっと別な道があったのではと皆思うでしょう。
 ホーリネス教会は、分裂を重ねてきたと言われます。宗教改革も分裂でしたから、分裂がみな悪いとは言いませんが、分裂による痛手を思うときに、極力避けなければならないことであることは間違いありません。人間の悲しさは、自分が正しいと信じることを主張しているうちに、サタンに足をすくわれてしまうことです。サタンは内輪もめが大好きだから、教会をそこに追い込んだらしめたものだとほくそ笑んでいるのです。パウロは「サタンのやり口は心得ている」と言っていますが、しかし、そのパウロもサタンの誘惑からいつも守られていたわけではありません。ともあれ、歴史の教訓から学ばなければならないと改めて思わされています。   

2008年3月 9日 (日)

新年度に向けて(3月9日)

 これも私たちの教会の内部の問題なのですが、何かの参考になるかもしれないと期待して載せることにします。 
  
 新年度の教会総会に向けて準備を進めていますが、一年を振り返って今年度一番大きな事は、森田聖子先生を迎えたことでしょう。教職三人体制でチームを組んで進むことになりました。まず半年は助走のようなもので、これからが本番と思っています。
 次に、創立100周年を来年に控えて、今年はまず記念誌の編集に精力的に取り組まねばなりません。委員会の作業も着実に進んでいますが、来年の出版の目処が立ってきたように思います。皆さんの証も、出来るだけ早くまとめてくださるようにお願いいたします。

 建物・設備関係ですが、現在話が出ているのは礼拝堂の冷房設備です。天井が高く広いので、全体を冷やすのは簡単ではありませんが、例えば礼拝堂の前方または後方だけを冷やすということも考えられるでしょう。クーラーは嫌いだとか体質に合わないという方もいますので、かえってその方が良いかも知れません。一部だけを冷やすことが出来るかどうか、専門家によく訊かねばなりませんが、皆さんのご意見、ご希望をお聞かせください。
 100周年記念事業の一つとしてのエレベーター設置はすでに完成して役立っていますが、同時に協議された和室の改造(応接室と伝道師の執務室に分割する)は役員会で否決され、そのままになっています。取り敢えず和室には籐椅子を入れて、応接室にも兼用していますが、何か良いアイデアがあればこの際改修しても良いのではないでしょうか。皆さんのご意見を期待します。

 教会学校と青年会は目下の最大の課題と言ってよいでしょう。もっと子どもたちと教師が欲しい、そして、青年会が自主的に活動して欲しいということは、元青年、元教会学校教師たちの共通の願いです。新年度に期待しましょう。         

2008年3月 6日 (木)

伝道者たる者

 短文を更新していないことに気づきました。今週の週報短文は、私たちの教会内部の問題ですので、違うことをちょっと書かせて頂きます。

 聖書学校の卒業式が終わりました。卒業式は学校の最大イベントと言ってよいでしょう。今年も感激の卒業式でした。聖書学校の使命は、伝道者を教会に送り出すことです。卒業にまつわるいろいろな話が出ましたが、ある人が「オアシス運動」ということを言ったそうです。伝道者は、オアシス運動が出来る人でなければならない、というのです。私は、オアシスと言うから、てっきり人を慰め、休ませ、潤いを与える人のことかと思ったのですが、そうではなかったのです。オは、お早うございます、アは、ありがとう、シは失礼します(だったと思う)、スは済みません、と、誰にでも言える人でなければならない、ということでした。これが言える人を教会に派遣してくださいという、信徒の切なる願いであるというのです。私は、唖然としました。学校を卒業して伝道者になって来る人に、そういうことが言えない人がある、というのです。
 これはまさに信仰以前の問題です。社会人としての常識の問題です。しかし、そういう初歩的常識をわきまえない人が学校から遣わされてくるという現実がある、それに対する強い抗議と受け止めました。それは聖書学校に来る前に、当然家庭や学校で、身につけてくるべき人としてのマナーでしょう。それが身につかないままで学校に来て、そのまま卒業していくということのようです。驚きました。私たちも、注意しなければならないことです。ありがとうも言えない人が、ギリシャ語やヘブル語を勉強するというのも、考えてみると滑稽なことですね。これは聖書学校だけではなく、世の中全体がおかしくなっているということですが、教会やクリスチャンホームも例外ではないということを考えると、これは安閑としておれないと思います。如何でしょうか。

2008年2月24日 (日)

若い兄姉へ(2月24日)

  祈祷会でも卒業や進学、就職を控えた若い兄姉のために心を合わせて祈っています。若いことは未来の可能性に富むことですが、また、人知れず悩むときでもあります。
 先週の週報に小助川先生のことを「ケズィックの恵み」の中で書かせて頂いたが、出店された本屋で同師の書かれた「ひたすら人間らしさを求めて」~牧師の体験による人生論~を買い求めて読んだ。この本の中で師が繰り返し語っておられるのは、若い日に何のために生きるのか、また、人生をどう生きれば良いのかと思い悩んで、高校時代には肺結核に倒れ、大学でまた結核を再発するなど、健康面でもずいぶん試みられたこと、しかし、振り返って、あの若き日の悩みがあったからこそ牧師となって奉仕できたことを感謝しておられる。
「苦しみにあったことは、わたしに良いことです。
これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」(詩編119・71、口語訳)
また、哀歌には、
「若いときに軛を負った人は、幸いを得る。
軛を負わされたなら、黙して独り座っているがよい。塵に口をつけよ、望みを見いだせるかも知れない。」(哀歌3・27、28)
 小助川先生の本は、若い人たちばかりでなく、中年の者にも熟年の者にも、その年齢に応じて味わい深く読むことが出来る。師は、心理学やカウンセリングの勉強もしてこられ、それらの学びからも人の生き方を語っておられるが、余り学問に深入りせず、人間の生き方を問う範囲に留めて、自分で分からないことは分からないと書いておられることも、信頼をもって安心して読むことが出来る。随所に、先生の謙虚なお人柄が滲み出ている。
 若い兄姉には、人生の目標をしっかりと思い定めて、信仰と祈りをもってまっしぐらに突き進んでいただきたい。そのためにも、先輩に謙虚に学ぶ努力をしていただきたいと思う。      

2008年2月17日 (日)

「ケズィック」の恵み(2月17日)

  第二回東北ケズィック・コンベンションが恵みのうちに終わりました。主講師のレンドル先生と黒木安信先生のバイブルリーディングは充実したものでした。出席できなかった兄姉もテープをじっくりと味わってみてくださるようお奨めします。
 2日目の夜、レンドル師は2回目の「神の宮」についてのお話しを終えて、「恵みの座」に私たちを招かれました。しかし、その招き方がやや明確でなかったように感じられました。牧師には、信徒の方を導くために、という招きであったように受け取れました(誤解かも知れない)。結局、前に進んだ人は少なく、私も出そびれました。
 集会が終わってから、会長の小助川先生が牧師達を集めて言われるのに、このままこの聖会が終わって良いだろうか。ケズィックでは「いかなる身分も立場もなく」(ケズィックの主旨)等しく神に取り扱われるところであるはずだ。恵みの座にも牧師が率先して進み出て、信徒がそれに続くというのが本来の姿ではないか。もう一度、最後の聖会でレンドル師にお招きを願おうではないか、とのお話しでした。牧師達も皆、それに同意しました。
 最後の聖会となりました。レンドル師のバイブル・リーディングが終わって招きの時が来ました。小助川先生がつと立ち上がって前に立ち、静かにケズィック・コンベンションの特質を語り、「私たちもみ言葉に従い応答しようではないか」と恵みの座に一同を招かれました。牧師達が進んでその招きに応え、信徒たちもそれに続きました。私も恵みの座に出て静かに祈りながら、これこそケズィック・コンベンションだと、新鮮な感動を覚えました。
 聖会の恵みはすばらしいメッセージだけではありません。そこで、何が起こるかということです。それは、そこに臨在してくださる聖霊のお働きです。小助川先生はご高齢で体調も十分でない中を、会長の責任を担って出席され、全体のために祈り導いてくださることに深い感謝を覚えました。 

2008年2月 9日 (土)

ケズィック・コンベンション(2月10日)

 第二回東北ケズィック・コンベンションが、今夕から二泊三日で茂庭荘で開かれる。昨年は近くの婦人会館と早天のみこの教会で開かれたが、今年は泊まりがけで出来る会場ということで茂庭荘が選ばれた。しかし、委員会は宿泊の世話をしないということで、それは各自が直接申し込むことになったが、連休なので他の宿泊客が多く、宿泊が取れない人もかなり出たようだ。委員会がそのことを早く予想できたら、部屋を確保することもできただろうが、今となっては遅すぎた。来年はこの点を反省して、より良い聖会にすることができるだろう。

 ケズィック・コンベンションは英国では伝統のある大きな聖会で、1865年から英国北方のケズィックという美しい湖沼地帯に天幕が張られて聖会が開かれるようになった。英国はもとより、ヨーロッパ、アメリカからも恵みを求める多くの人々が集まるようになり、英国の聖地の観を呈した。英国やアメリカその他の国々の代表的なきよめの説教者がここでご用をし、また、この聖会から多くの主の器が各地に遣わされていった。日本に来られたバックストン師も、この聖会で献身したと聞いている。

 「この聖会の醍醐味は、バイブル・リーディングと呼ばれる卓越した霊的講解説教にあります。会衆はこの説教に耳を傾けているうちに、いつしか主の聖臨在に触れ、神のみ言葉の深みに与ることが出来ます。そして、ここでのモットーは『みなキリスト・イエスにあって一つ』で、毎年全国で四〇教派以上、三七〇〇名の教職・信徒が、この恵みに与っています。」(東京大会のチラシから引用)

 日本に始められて半世紀近くになるが、箱根で最初の聖会が開かれて以来、今は北海道から沖縄まで10ヶ所ほどで開催されるようになった。遅れていた東北も全国の諸教会の祈りにより、昨年ようやく第一回が開かれ「東北から新しい風が」と期待された。その期待に応えて、先輩のコンベンションに勝る良き聖会を続けていきたいものである。     

2008年2月 2日 (土)

ホーリネス誌について

  「ホーリネス」二月号が届きました。今月号は珍しく「教会と危機管理」の特集で、能登半島地震報告などの自然災害から、より日常的な教会の危機(信徒や牧師に関わること、または不動産に関わること、付属施設のこと等々)、さらには、教会の高齢化に伴う諸問題や、心病む人々への対応等、多くの課題が取り上げられています。ウェスレーも自ら医療に関する本を出版して信徒の健康にも配慮しましたが、今日の日本の教会も噴出する社会問題に信仰をもってどのように対応するかが問われていることを改めて思わされます。

 ところで、皆さんもホ誌をお読みになっておられるでしょう。中島代作師はときどき「ホ誌で教えられたこと」というような題で、祈祷会や夕拝であかしを求めておられました。中島豊師はどうであったでしょう。私は、あまりホ誌のことを言わないので、ホ誌をあかしで取り上げる方は少ないようですが、ホ誌は私たちの群の機関誌であり、小さいながらホーリネス信仰を証しする貴重な雑誌ですから、教会員全員に読んで頂きたいと思っています。

 中島代作師と言えばホ群の諸教会はすぐホ誌を思い出すくらい、先生はホ誌に打ち込んで居られました。先生がホ誌を担当するようになったのは1956(昭和31)年頃からで、小原十三司師が召された1972年に群の規約が改正されてホ誌も文書部で発行されるようになるまで、主筆のように殆どお一人で編集しておられました。私は、文書部の委員に選ばれ、それから香港へ行くまでの12年間、そして帰国して西川口時代の14年間、委員の一人として編集発行に携わりました。数えてみると26年になりますが、そんなに長く編集に関わった人は他にはいないと思います。私は及ばずながら中島師から受け継いだ伝統を大切にしてきたつもりですが、その後、文書部委員長が何人も交代して、新しい局面も拓かれてきました。この時代に、ホ誌の存在は貴重です。どうぞ皆さん、購読してください。   

2008年1月26日 (土)

「聖歌」「讃美歌」について

 27日の週報短文は、公開するのを遠慮して書きかえてみたが、これも誰かから「意義あり」と言われそうな文章になってしまった。一つの私見としてお許しを願うことにしよう。

  先日、東京聖書学校に和田健治師が訪ねて見えた。同師は聖歌の指導者として著名な方だが、お会いするのは久しぶりである。私たちが現在用いている「聖歌」は、中田羽後師によって編纂されたが、それ以前には「リバイバル聖歌」という小さな歌集を用いていた。羽後師は生涯をかけて宗教音楽を研究し、「聖歌」の発刊に努められた。これは今日まで「讃美歌」と同じくらいに日本の教会で広く愛用されてきた。
 ところが、2001年に「新聖歌」が発刊され、これまでの「聖歌」は廃刊されることになった。今日は、書店で求めることは出来ない。ところが、和田健治師は「聖歌」の重要性を以前から主張され、御自分が主催する聖歌の友社から新しい「聖歌」(総合版)を出版された。従って、今日は「新聖歌」を用いる教会があり、また、従来の「聖歌」または新しい「聖歌(総合版)」を用いる教会があり、ちょっとややこしいことになってきた。聖歌ばかりでなく、讃美歌も讃美歌ⅠとⅡに加えて、新しく「讃美歌21」が出版されたので、教会はどの讃美歌を用いるか迷うところがあり、教会の讃美歌、聖歌は混乱しているといっても過言ではない。今は過渡期だからと簡単に片づけられない点がある。
 聖書の翻訳もいろいろあるのだから、讃美歌、聖歌も種々あってもよいという意見もあるが、讃美歌、聖歌は皆で声を合わせて歌うものだから、静かに目を通す聖書とはわけが違うのだ。
 和田師は、讃美歌、聖歌の混乱で、教会が分裂することを危惧しておられた。しかし、「新聖歌」に対しては、どうしても言わなければならないお考え(批判)を持って居られる。しかし、なぜ中田羽後師からも「後をよろしく」と言われたという和田健治師が「新聖歌」の編纂委員に入らなかったのであろうか。編纂委員の方にもお訊きしてみたいものだ。それが今日の混乱の原因の一つになっている。事情を知らない者が、外野席からこんな事を言うのは軽率かも知れないが、我々日本人の島国根性というか、考えの狭さが残念でならない。

2008年1月19日 (土)

人の気質と地域性(1月20日)

  かれこれ40年近く前になろうか、イザヤ・ベンダサンという人が「日本人とユダヤ人」という本を出版して、ベストセラーになった。一体、この著者は何者だろうと、ミステリーのように騒がれた。ユダヤ人という一般の日本人から見ると遠く隔たっていると感じられる宗教的民族と日本人を対照させることにより、日本人の国民性を際だたせようという試みだったように思う。また、土居健郎の「甘えの構造」も日本人の精神性を「甘え」という角度から捉えて、この本もずいぶん読まれた。
 日本人とはいかなる人種か、これを統治するにはどうしたらよいかという問に答えたのが、ルース・ベネディクト女史の「菊と刀」で、これも戦後の一時期ベストセラーになったと聞いている。これらはいずれもキリスト教と深い関係があり、我々の信仰を反省する上で参考になると思う。
 その他、特にキリスト教とは関わりなく、日本人とは何者かという自らのアイデンティティー(自己意識)を問う本は巷に沢山ある。こういう問題に関心を持っている方も居られるに違いない。
 さて、どうしてこんなことを書くかというと、最近あることを感じさせられたからだ。一口に日本人と言っても、かなり地域性、県民性がある。何故そういう地域性や県民性が生まれるのか興味があるが、最近とんぼ返りながら旭川に行って、改めて道産子(北海道で生まれ育った人)気質を思い出した。人が好く楽天的で、開放的、開拓精神に富む等が挙げられよう。
 同じ北国でも、東北人はかなり違う。堅実でねばり強いが、容易に他人に心を開かない。だから、なかなか友達ができない。キリスト教信仰に対しても慎重だが、一旦信仰に入ったら滅多なことでは信仰を捨てないとT牧師から聞いた。これは大方の日本人とはかなり違い、東北人気質の一つと言えるだろう。まだ仙台気質がわかったとは言えないが、保守的で変化を嫌うのは東北人一般の特性ではないか。皆さんのお考えもお聞きしてみたいものだ。 

2008年1月12日 (土)

冬の旭川へ(1月13日)

  先週はお許しを願って、静江牧師と二人で北海道の義兄の病気見舞いに行って参りました。義兄は今、旭川の病院に入院しております。仙台空港から旭川への直行便がないことと、出来るだけ安い費用で行きたいと考え、羽田からのツアーに申し込みました。一泊二日で通常の航空券の半額以下です。但し、航空便は指定されるので、早朝羽田発、帰路は夜10時過ぎ羽田着で、往復とも東京に一泊せねばなりません。幸い、静江の姉が世田谷におりますので、二晩世話になりました。
 八日の委員会を終えて、夕方の新幹線で東京へ、姉の家に直行しました。久しぶりに甥の子どもたちにも会いましたが、幼子の成長には目を見張るものがあります。
 翌早朝、妹が車で羽田まで送ってくれるというので五時半過ぎに家を出て、羽田まで小一時間です。旭川まで一飛びですが、旭川は小雪がちらつき、羽田との温度差が20度近くあります。病院に直行、兄の病状が心配でしたが、思ったより元気そうで安心しました。姉がつききりで看病し、気を張って疲れている様子でしたが、病人のアレコレの注文に応じています。余り長居も出来ないので適当に座をはずし、また、姉から詳しい病状を聞き、個室でしたので共に祈り賛美して午後早めに辞去しました。
 ホテルはJR旭川駅から少し離れたところで、外の寒さに比べて室内は暖かく快適でした。夜、久しぶりに「しばれる」寒さの中を歩きましたが、冷気が身に染みました。
 翌日は夕まで時間が空いたので、ツアーについている旭山動物園を見に行くことにしました。五年ほど前から全国的に有名になり、特に寒さを吹き飛ばすペンギンの可愛らしい散歩やアザラシ、北極熊のダイナミックな泳ぎを身近に見ることができます。
 次に、動物園からタクシーで三浦綾子文学記念館を見に行きました。これも以前からの念願が果たせて感謝でした。そして、予定どおりの最終便で羽田に戻り、世田谷に一泊、翌日は東京聖書学校の授業を終えて無事帰仙しました。お祈りを感謝します。

2007年12月30日 (日)

一年を振り返って(12月30日)

 今年も最後の主日礼拝を迎えました。一年を振り返って、今年はどんな年だったでしょうか。
 先日の祈祷会で、何人かの方から恵みの分かち合いがありました。ある方は、次々と追いまくられるようで多忙な一年だったと語られました。私も、同様の思いがないわけではありません。しかし、振り返ってみて充実した一年だったと感謝します。主な出来事を拾ってみると、二月中旬には第一回東北ケズィック・コンベンションが開かれました。三月は東京聖書学校卒業式、八名の兄姉が卒業したのも近年にないことでした。四、五月は教会総会、教区総会が開かれ、六月には潮義男師を講師として特伝が開かれました。七月は、錦秋湖での福音主義牧師研修会と東京で教職アシュラムに参加を許され、私にとっては充電の時でした。七月末、ファミリーキャンプ(花山)、八月初旬東北夏期聖会(八幡平)、聖会には聖書学校のキャラバン隊も合流して良き証しを聞きました。九月は聖書学校の退修会、公開講座があり、当教会では敬老祝福愛餐会、朝祷会東北ブロック大会、宮城聖化大会が開かれました。
 10月には前からの念願であった伝道師招聘が適って森田聖子師を迎え、また、札幌の母教会での大切なご用に招かれ、特に一年余り牧師会で祈って備えてきたクリストファー・サン師を迎えての特伝が開かれました。月末には教区教師研修会の講師をピンチヒッターで務めました。
 11月には召天者合同記念礼拝・記念会、また、半年以上準備が積み重ねられて「ラブ・ソナタ」と関連集会が開かれました。12月はアドベントに入って、まず教会復興六二周年記念礼拝・愛餐会、続いてクリスマス諸集会が毎週行われました。
 以上、教会と牧師個人の一年をミックスして振り返ってみましたが、多忙の中にも恵まれた一年だったと思います。今年は、渡辺静江、青木惇子、三浦誠の三兄姉を天に送り淋しさを覚えましたが、クリスマスには三名の受洗者を与えられたことも大きな恵みでした。さらに主の恵みを慕い求めて新年に向かいましょう。

2007年12月16日 (日)

聖誕劇(ページェント)(12月16日)

  きょうは恒例のクリスマスページェントだ。毎年、教会学校との合同礼拝に続いて子どもも大人も共にページェントを主に捧げることがこの教会の伝統になっている。今年のページェントはどうだろうか。

 先週は、珍しく映画を見に行った。「マリア」というアメリカ映画。アメリカでは評判になったと聞く。原題は「降誕」とでも訳せようか、まさに我々のページェントを映像で描いたもの。マリアを中心に、ヨセフとの葛藤、村人のうわさ、ヘロデのあくどさやローマ帝国の圧政などがよく描かれている。東方の博士たちにもかなりの比重を置いている。しかし、全体に聖書に忠実で、脚色に無理がなく、降誕物語に親しんでいる私たちには、いろいろ気づかされ、考えさせられることが多い。特に、当時のガリラヤの民衆が如何に貧しかったかも、これほどとは考えていなかった。ローマに税を納め得るか否かは正に死活問題で、金がない人が娘を取られたり、土地を没収されたりする悲惨な状況であった。羊飼いなどは、貧しいために生涯独身で暮らさなければならない。ヨセフとマリアが住民登録をするためにナザレからベツレヘムへ行く、その二百キロほどの行程は身重のマリアにとっては並大抵ではなかった。ついにベツレヘムへ着いて、貧しい一人の羊飼いと話す場面は印象的である。羊飼いは、マリアに「だれでも神から賜物を戴いている」と、マリアのお腹の子どもを指して言う。「あなたは?」と問うマリアに「何も」と答えて、「神の救いが与えられるという希望だけ」と答える。「希望が与えられている」、そこに彼の生きる望みがある。
 このような貧しい羊飼いたちに、イエス・キリストの降誕の報せが告げられ、みどりごの主イエスの最初の礼拝者になる。その場面も美しい。そこに東方の博士たちもやってくる。それは私たちのページェントと同じである。教会学校の子どもたちが観たらどんな風に思うだろうかとふと考えた。   

2007年12月 9日 (日)

アドベント第二主日(12月9日)

  クリスマスは主を賛美するときでもありますが、きょうはまさに賛美の一日になります。礼拝では、宮城学院ハンドベルクワイヤOG会の皆さんを迎えて、賛美礼拝を捧げることが出来ることは大きな喜びです。ハンドベルの響きの美しさをじっくり味わって頂きたいと思います。いつかは私たちの教会でもハンドベルクワイヤができたら幸いですね。六月に招かれた初雁教会のハンドベルもすばらしかった。一教会でもあのように出来るのですから、私たちもきっと出来ると信じています。
 午後には、第三回目を迎えた宮城中地区牧師聖歌隊のチャリティコンサートです。今春は、中地区九教会のうち三教会の牧師交替がありました。それでメンバーもかなり替わり、新しい先生方は牧師聖歌隊に慣れるだけでも大変だったと思います。この聖歌隊の特色は女性が少ないと言うことです。普通の混声コーラスは男性が少なく、合唱祭などに行っても、圧倒的に女声コーラスが多い。混声も男声は少ないのが普通です。しかし、我らの牧師聖歌隊は、男性が女性の倍ほどいます。そこで、本来は女声パートのアルトを二人の男性が歌います。これが聴きものです。全体に練習不足は否めませんが、祈りをもって精一杯やります。その成果をぜひお聴き頂きたいと願っています。
 チャリティコンサートの目的は、一つは先の中越沖地震と能登半島地震の救援と、「友子プロジェクト」のためです。去る三月に青年学生センター主催のインドへの研修旅行で、スタッフの一人であった渡利友子姉が思いがけない交通事故に遭い召天されました。そのことが契機となって、インドの女子教育のために始められたのが「友子プロジェクト」です。今回のチャリティコンサートが、これらのことのために役立つことを期待しています。
 今夕のエマオ夕礼拝でも大いに賛美がなされるでしょう。このアドベントの期間、諸教会で主を賛美する声が響きますように。        

2007年12月 2日 (日)

復興記念礼拝を迎えて(12月2日)

  今年も戦後の復興62周年の記念礼拝を迎え、この機会にもう一度教会の「八十五年記念誌」を読んだ。良くできていると思った。戦後60余年の歩みの中で、教会としての大きな節目は、主任牧師が中島代作師から中島豊師に代わったときである。記念誌には次のように記されている。

 中島豊師は、次のような伝道牧会方針を持った。
○当教会の特色であるホーリネス信仰、前任牧師の特色ある伝道方針(CS分校、家族伝道、一人が一人を)を継承する。
○牧会については、それまで時折開催していた役員会を毎月開き、伝道他一切の行事を役員会で協議しつつ行う。
○会員は役員に要望を出し、役員会で協議して慎重に決めていくなど全員参加の教会形成に努める。
○前任牧師が消極的であった特別伝道集会を積極的に開催する。

 以上のような伝道牧会方針により、礼拝出席その他、教勢が順調に伸びていったことが記念誌に記されている。一言コメントすれば、中島豊師は、前任の代作師の方針の重要な点(ホーリネス信仰等)を継承しつつも、それまで牧師のワンマン体制に近かった伝道牧会を「全員参加型」に改めたということが大きな転換であったと言えるであろう。
 この変化は大きい。ホーリネス教会は、元来監督政治であったから、牧師の権限が大きかった。代作先生も強いリーダーシップを持って教会を引っ張っていくタイプであった。しかし、豊師になって、より民主的に皆の声を聞きながら進めていく方針に転換し祝福されたと言うことであろう。
 先日、オンヌリ教会のことを副牧師から聞き、ハ・ヨンジョ牧師がこの十年間で大きく変わったのもそれと共通するところがあると思う。ハ牧師が強烈な説教で独りで引っ張っていく型を改め、聖霊充満の「愛の教会」になり、信徒が皆で愛し合い伝道していく中で、教会は飛躍的に成長したと話された。   

2007年11月24日 (土)

ハ・ヨンジョ師に学ぶ(11月25日)

  韓国オンヌリ教会のハ・ヨンジョ先生のお話を3回聞く機会に恵まれた。週3回の人工透析を続け、その外にも体のあちこちに故障を抱えながら、一日3回もメッセージをすること自体が驚きである。私は10年ほど前に先生のメッセージを聞いたことがあるが、その時とはかなり違う印象を受けた。それは、説教が自然体で身近になったことである。
 先生の著書も少し読んでみたが、まさに身を削るようにして説教をしてこられたことがよく分かった。「説教は礼拝の心臓である」と先生は言われる。説教により、教会は立ちもし倒れもする。説教の足りないところを他の何かで補うことはできないのである。
 説教のために、先生は黙想を大事にしておられる。説教は黙想から生まれてくると言う。朝毎の黙想から与えられたメッセージを講壇から語る。注解書は妨害になると大胆なことを言う。固定観念を植え付けられるからだという。中島代作先生もかつて同様のことを言っておられた。注解書は説教を書き上げた後で、自分の解釈をチェックするために読む程度でよいと言っておられた。それはベテランの牧師の言い得ることかもしれない。

 ハ牧師は牧会の姿勢についても語っておられたが、柔軟で自由な発想に教えられるところが多かった。心に残った言葉をいくつか紹介しよう。
「教会を骨董品にしてはならない。」
「長老は失敗を嫌う。だから、長老の考えが支配的になると、教会は面白くなくなる。」
「牧師は、オーケストラで言えば指揮者、スポーツで言えば監督である。戦うのは信徒である。」
「教会は、信徒が興奮するビジョンを持つべきだ。そして大人から子どもまで、そのビジョンを共有するのだ。」
「神に出会うときに、人間は変わる。礼拝は、神に出会うところである。」

五万人の信徒、四万五千人の礼拝出席の教会を牧会する中で語られた言葉である。     

2007年11月21日 (水)

祈りは聞かれる(11月18日)

 ジョージミューラーのことをご存じだろうか。ただ神様だけを当てにして、万を数える孤児たちを育てた。しかも、ミューラーの場合、孤児院の経営はいわゆる福祉の働きではなく、子供たちに神の愛を伝え、神の愛を身をもって実践する伝道の働きであった。彼が祈りをもって蒔いた種がどれほどの豊かな実を結んだかを思うときに、神の御名を崇める。
 晩年は、娘夫婦に孤児院を託して世界伝道に出発し、九十歳近くまで何度もアメリカをはじめオーストラリアやアジアにも足を延ばし、日本を訪れたときにも彼の証は人々に大きな感動を与え、若き石井十次が孤児の救済に立ち上がる直接の契機となった。
 1859年に英国にリバイバルが起こったが、その発端はひとりのアイルランドの青年がミューラーの本を読んで感動し「私も祈ることにしよう」と祈り始めた。まず主にある祈りの友を求めて祈るうちに、信仰を持ったばかりの青年が与えられて、ふたりは心を合わせて祈った。「さらに祈りの友を与えたまえ」と祈って、二人の青年が加えられた。四人は金曜日の夜に村の小学校の一室を借りて祈り続けた。その年、ひとりの農家の青年が救われて祈祷会のメンバーは五人になり、さらに徐々に人数は増えていった。彼らは、集会ごとに聖書を読み、祈り、みことばについて感想を述べ合った。そのメンバーのひとりが以前住んでいた町へ行って、その祈祷会のことを友人たちに話すと、彼らはその人たちに会ってみたいというので、数人が町を訪ねて教会で集会を開くことになった。集まった者たちの中には彼らを嘲る者もあったが、多くの者はぜひもう一度来てほしいと頼み、二週間後に同じ顔ぶれで町を訪問して二度目の集会を開いた。この時、聖霊が力強く働き、多くの人々が救われた。このリバイバルの火がアイルランドからイングランド、スコットランド、ヨーロッパ全土にも広がっていったのだ。
 去るラブソナタの全体祈祷会で、この話をして共に祈った。               

2007年11月 3日 (土)

「ウェスレーに学ぶ」(11月4日)

  今年の東北教区教職研修会は福島地区の担当で、磐梯高原リゾート・イン「ぼなり」で開かれました。地元の方々にはよく知られた保養地(温泉)とのこと。福島から国道115号線で土湯を通り抜け、ひと山越えたところにあります。途中の紅葉が見事でした。いつか見た山形の紅葉は赤が目に染みましたが、福島の紅葉は黄色がきれいです。
 研修会は26日午後から始まり、今年のテーマは「説教と牧会―ウェスレーに学ぶ」で、実は私が講師になりました。本当は別の講師が予定されていたのですが都合がつかなくなり、ピンチヒッターで誰か教区内にいないかということで私に回ってきたのです。宣教部委員長のS師から電話があったとき、もし私がS師の立場なら困るだろうと思って引き受けました。テーマは自由でよいというので、聖書学校で普段学生たちと学んでいるウェスレーにさせてもらいました。
 しかし、牧師たちの前で話すのは勇気を要します。以前に西東京教区の研修会で「祈り」について話したことがありますが、この時も大いに緊張しました。
 今回は2回の講演で、1回目はウェスレーの生涯をざっと話してから説教を取り上げ、2回目は教会観と牧会を話す予定でした。ところが、略年譜に従って生涯を話すのに時間を費やし、説教についてはわずか30分になってしまいました。でも、2回の講演とも質疑応答の時間が十分ありましたので、講演で話せなかったことを補うことが出来ました。質問も多くあり、先生方が真剣に聴いて下さったことがよく分かり感謝でした。後で、若い牧師から「神学校では宗教改革者の話は沢山聞いたが、ウェスレーのことは初めて聞いたように思う」と言われ、幾分でも役立ったかとうれしく思いました。もちろん研修会は、ウェスレーのことが問題なのではなく、我々の説教や牧会にどう活かすかということです。今回はそのために、ウェスレーを通して一石を投じたということです。今後も、このような学びが共に出来たらうれしいと思います。    

2007年10月28日 (日)

意味あるハプニング(10月28日)

  一年余りの準備をもって開かれたキリスト教大会は恵みのうちに終わった。教会としても、秋の特伝として取り組み、多くの方々のご奉仕を頂き感謝に堪えない。この伝道会を通して、直接間接の収穫があったが、協力教会の牧師達が心を一つにして祈り、準備に当たることが出来たことも大きな収穫であった。それによって、我らの信頼関係が深められたことを感じる。
 去る22日に実行委員会が開かれ、クリス(トファー)師も出席して、感謝や反省が語られた。その席上、ちょっとしたハプニングがあった。それは、実行委員長の田中師が会を進めておられたが、クリスは自分の考えで今後の伝道の継続を話した。すると、田中師が突然それを遮って、英語で彼を諭しはじめた。それは、この度の伝道会における彼のとった態度に対する忠告であった。クリスはまだ日本人のこと、特に東北人の気質を知らない。伝道会の前に田中師は個人的に色々クリスにアドバイスをし、会の全体的な進め方についてもよく打ち合わせておいた。ところが、伝道会が始まってみると、クリスにバトンが渡されてからは彼のペースで進み、時間もかなり超過した。最後の招きは大切だし、特にクリスはそれを使命と心得ているが、「過ぎたるは及ばざるが如し」の言葉の通り、せっかく祈って誘ってきた家族や求道者がつまずいたという事実もあった。伝道は主の戦いだから、そう言うこともあり得るが、この度はどうだったであろうか。クリスが田中師の忠告に従っていれば、あるいはそれを避け得たかも知れない。田中師は、今後もクリスが自分の考えで進むのであれば、今後の協力関係は難しいとまで言われた。クリスもそれを謙虚に受け止め、皆で感謝の祈りをもって会を閉じることが出来た。翌日、仙台を離れる前に、クリスは実行委員の牧師達一人一人に電話をして、私にも「アリガトウ」を繰り返していた。後日また、彼の爽やかな笑顔を見ることができるだろう。今後、この伝道を主がどのように導いてくださるか、主の導きに期待している。 

2007年10月15日 (月)

慌ただしい一週間(10月14日)

  森田聖子先生を迎えました。きょうは就任式と歓迎会です。ここに至るまでいろいろありましたが、神さまが万事を益にして下さったと信じます。

 先週は一週間、新聞を見る暇もありませんでした。六日土曜の朝、仙台駅から初めてアクセス鉄道で仙台空港へ、千歳に飛んで特急で旭川に直行しました。東京聖書学校に入学を希望している兄弟と、その父上に会うためでした。父上は一人で農業をしておられます。そのご自宅でしばらく話しました。帰り際に書斎に案内されて、一回り大きなパソコンの画面を開いて、今進めているインターネットの英文の聖書研究を見せてもらいました。父上が献身したら良いのにと思いました。旭川駅まで車で送って頂きましたが、旭岳の山麓はきれいに紅葉していました。特急で札幌に戻り、ホテルに投宿。
 七日の主日早朝、近所の大通公園を散歩、中心の三越の辺りは昔と全く様変わり。早めに懐かしい方々の待つ母教会(札幌新生教会)へ。皆、高齢になられたのに驚きました。講壇に立つのは拾数年ぶりです。午前は証しの礼拝。午後は札幌宣教交友会(SSK)主催の伝道会。15人ほどの青年達が揃いのTシャツでギターやドラムで賛美、驚きました。さらに、中高と大学の友人達五人が出席してくれたのに感激して、私も思わず熱っぽく「神にはできる」と福音書から語りました。その夕、兄姉達がホテルで夕食の席を設けてくれましたが、兄姉四人とそのつれ合いと(欠ける者も出てきた)いつまでこういう会を持てるだろうかと感慨深いものがありました。翌日は、SSK主催の聖会でしたが、午前と午後の二回の聖会も、母教会の礼拝堂はほぼ一杯で、特に若い人が多いのには驚きました。ロマ書八章から話しましたが、ちょっと難しかったかもしれません。いきなり、ロマ書のピークから語り出した感じで、やはり一章から学んで行くのが本当でしょう。夕方千歳まで兄に車で送ってもらって羽田に飛び、市川のホテルに着いたのは夜10時頃でした。(続)

特伝のために祈ろう(10月7日)

  10月を迎えました。いよいよクリストファー・サンと岩淵まことご夫妻を迎える「仙台圏キリスト教大会」も近づきました。5日(金)夜には協力教会の合同祈祷会が開かれ、委員長の田中敬康師から奨励を頂きましたが、信仰を鼓舞される力強いメッセージでした。マルコ九章から「信じる者には何でもできる」という主のお言葉、また、「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできない」ということを新しく教えられて感謝しました。そして出席者一同、心を合わせて祈りました。まず講師のために、すべての奉仕者のために、そして、あの青年文化センターのシアターホールが満たされるように、決心者が起こされるように、仙台圏の教会が一つとされるように、祈りました。
 現在協力教会は13教会です。これに協賛教会が数教会起こされていますが、まだ、仙台圏の教会全体から見たら、ほんの一握りの教会です。委員長の田中先生が、仙台は超教派の集会が難しいところだと以前に語っておられました。そういう土地柄なのかもしれません。しかし、この度のクリストファー・サン師の伝道会、また、11月のラブソナタの集会の準備が進む中で、皆で力を合わせて宣教に励もうという機運が高まってきました。
 本来のキリストの教会は一つなのですから、これらの集会が突破口になって、心を合わせて伝道と奉仕に励む教会でありたいと願わされました。
 まず、10月19日、20日の大会が祝されるように、皆で祈り、家族や友人を誘って出席しましょう。出席することが第一の奉仕、誰かを誘うことが第二の奉仕です。クリストファー・サン師も多大の犠牲を払って私たちのために奉仕して下さるのですから、私たちも師の熱意に応えて少なくとも祈ってこの大会を支えましょう。先の二つの奉仕の前にあるのが、祈りの奉仕です。祈りの栞を用いて、また、大会前の集中祈祷にも参加して下さい。祈りが鍵であると祈祷会で教えられたことを感謝します。

2007年10月 3日 (水)

恵みの九月(9月30日)

  九月も終わりを迎えた。きょう、西間木一衛先生のみ言葉の取り次ぎをもって、この月を締めくくることが出来ることを感謝する。「数えてみよ、主の恵み」の聖歌のように、数々の恵みを頂いた一ヶ月であった。月の初めには東京聖書学校の退修会が日光「オリーブの里」で開かれ、学生、教師と共に恵みの時を持った。続いて吉川での公開講座にはホーリネス教団の重鎮、小林和夫師を迎え、ウェスレーについての充実した講演を伺った。
 九日は敬老祝福礼拝、愛餐会。今年も松下しん姉をはじめご高齢の兄姉と共に良き時を持たせて頂いた。14日には聖書学校の長年の願いであった「信徒夜間講座」が赤羽教会でついに開講し、開講式には50名近い方々が駆けつけてくださった。受講者は25名ほどが与えられ、毎週金曜夜、講座は快調に進んでいるとお聞きしている。
 17日は朝祷会東北ブロック大会。仙台朝祷会が中心になり、盛岡や郡山から、また連合会長の米田昭三郎兄も関西から駆けつけてくださり、大変恵まれた大会だったと報告された。
 私はその日、箱根に開かれた関東アシュラムに参加し、恵み溢れる三日間を過ごすことを許された。特にフィリピ書をじっくり読み、祈ることが出来たことは大きな感謝であった。
 24日は第一九回宮城聖化大会が開かれ、中島秀一師より「キリストの血」について旧約、新約よりみ言葉が取り次がれ一同恵まれた。
 最後に思いがけず、札幌の母教会の昔の仲間が聖書学校を訪ねてくれて、4人で時の過ぎるのを忘れて話し込んだ。もう母教会を離れて五〇年になろうとしているが、それぞれがおかれた場所でその地の教会によく奉仕している話をじっくり聞かせて頂いた。一人は東久留米の教団の教会、一人は佐倉の改革派の教会、そしてもう一人は西宮の福音ルーテル教会、教派は異なってもキリストにおいて一つ、母教会で培われた信仰が今も生きている。感謝。 

2007年9月22日 (土)

アシュラムに参加して(9月23日)

  関東アシュラムに招かれて箱根に行ってきた。このところ何年も、千石原に近い山崎パンの箱根山荘で開かれている。山崎パンの社長は熱心なクリスチャンで、今回ご本人は参加できなかったが、奥さんとお姉さんはアシュラムの常連で、今回も出席して熱心に祈っておられた。
 アシュラムについて、そのすべてをこの短文に記すことは出来ないが、私の信仰は教会の礼拝その他と共に、アシュラムで養われたと思っている。アシュラムは一言で言えば祈りの集会であるが、この世の一切から離れて、み言葉と祈りと信徒の交わりに集中する。それは一日だけの短いアシュラムもあるが、2泊3日は欲しいと思う。スタンレー・ジョーンズが日本にアシュラムを紹介したのは半世紀も前になるが、彼の指導するアシュラムは日程がもっと長かった。しかし、忙しい日本の社会では難しい。
 アシュラムの中心は、各自がみ言葉に聴くということである。時間を取ってじっくりと聖書に聴く。そして、示されたみ言葉を共に分かち合う。説教もあるが、それが中心ではない。私も2回の説教を命じられたが、説教者はあくまでも聖霊ご自身の導きに従い、祈りのうちに示されたみ言葉を語る。今回はフィリピ書に聴こうということで、私は2章、3章から語らせて頂いたが、アシュラムにおいて示されたことは、何冊の本を読むよりも意義深かったと思っている。
 今回の主題は、今年の青葉荘教会の聖句そのままに「キリスト・イエスの心」とさせていただいた。そして、アシュラムで思ったことは、創立百周年を迎える私たちの教会が、まずアシュラムを開いて、みんなで「キリスト・イエスの心」を求めて祈るべきではなかろうか、ということである。それは「祈りの教会」である青葉荘教会にとって最も相応しいことではなかろうか。確かにアシュラムは、この教会に向いていると思う。これらのことを役員会その他でも話し合っていきたいと願っている。 

2007年9月15日 (土)

信徒夜間講座(9月16日)

  この度、赤羽教会の新会堂を会場に東京聖書学校の信徒夜間講座を開くことが出来た。これは、以前から教授会で話し合ってきたことであり、深谷先生はじめ赤羽教会の全面的な理解と協力を得て開講の運びに至ったことはまことに感謝である。
 東京聖書学校が淀橋教会に付属していた頃、信徒伝道学校という名で夜間講座が開かれ、私などは駆け出しの伝道者であったが狩り出されて、何かを担当させて頂いた。それは自分にとって貴重な学びになったと記憶している。その後、聖書学校は淀橋から東久留米に独立の校舎を得て移転したが、それと相前後して、ホ群も学校も教団紛争の渦に巻き込まれていった。それはやむを得ない面もあったが、もし、中央委員会がホ群を紛争に巻き込ませず、毅然として独自の道を行き、信徒伝道学校で信徒を養うような地道な努力を続けていたら、今日のホ群は今とはずいぶん違っていたのではないか。今さらそんなことを言っても仕方ないが、リーダーがどういう考えを持って群を導いていくかは大事なことである。先週は安倍晋三首相の突然の辞任で驚かされたが、一国をリードする者の責任の重大さを改めて思わざるを得ない。 

 信徒夜間講座の開講式において、私は開講講演として「ジョン・ウェスレーの生涯と信仰」と題して拙い講演をさせていただいたが、実は、ウェスレーのメソジスト運動と信徒夜間講座とはつながっている。それは、メソジスト運動も信徒に負うところが大きかった。英国国教会から白眼視されたメソジストたちは、ウェスレー等によって指導された信徒伝道者を中心に働きが進められた。ウェスレーは自ら先頭に立って伝道に励むと共に、信徒伝道者の育成に力を入れた。この伝統はメソジスト教会に受け継がれ、昔は「勧士」という制度があり、勧士の資格がある信徒が、説教や奨励をして伝道が力強く進められた。ホーリネス教会も一時はこの制度を取り入れたことがある。信徒が牧師と共に伝道の最前線を行くことは、いつの時代にも求められていることである。 

2007年9月 9日 (日)

退修会・公開講座(9月9日)

  今年の東京聖書学校退修会は、昨年に引き続き栃木県の「オリーブの里」で開かれた。昨年との大きな違いは、学生数が半減したことである。
 テキストは新訳の「キリスト者の完全」である。ウェスレーの代表作であり、私たちのホーリネス信仰の原点とも言って良い本だが、なかなか骨が折れる。藤本満師の新訳で読みやすくなったとは言え、やはり簡単ではない。発表者もそれなりに工夫して下さったが、皆苦労の跡が伺えた。その中で、一番若手のS師の発表が光っていた。「牧師会でもう一度発表して下さい」とお願いしてきたが、まず牧師が理解を深める必要があると思う。
 
 木曜日の公開講座はホーリネス教団東京聖書学院の元院長、小林和夫師を迎えて、「ホーリネスの歴史的考察とその要点」という充実した講演を伺うことが出来た。小林師は2,3年前に軽い脳梗塞で倒れ、幸い復帰して広くご用に励んで居られるが、無理は出来ないお体である。しかし、ホーリネス一筋の貴重な学究であり、その総決算とも言うべきウェスレー神学の簡潔な紹介は、さすがと思った。
 「お役に立てればいつでもまた参りますよ」と、昼食会の最後にご挨拶してくださったので、できればもう一度じっくり伺ってみたいものである。師はFEBCのラジオ放送にレギュラー出演しておられるので、その説教は電波を通して聴くことが出来るが、今回の講演を伺って、説教者としても第一人者であることを改めて感じた。誰しもが認める、力強い説教者だ。     

2007年8月25日 (土)

ゆったり夏休み(8月26日)

   夏休みを頂いて、21日から古川・栗駒方面へ出掛けました。主目的は40年ぶりの栗駒登山です。古川には静江牧師の甥の伴侶の実家があり、以前から訪ねてみたいと思っていました。今、細君が子供を連れて実家に戻っているので、今を逃してはと思って訪ねました。すっかり歓待されて恐縮。
午後は栗駒に向かいましたが、駒ノ湯に直行するのは早過ぎるので、世界谷地という那須の湿地帯に似た所を歩きましたが、お花は殆ど咲いておらず、もう薄の季節を迎えていました。

 翌日は栗駒登山を予定しましたが、あいにくの雨、いわかがみ平まで車で行ってみましたがやはり無理、近くをドライブしても雨の中ではどうにもならず、宿に戻って高校野球の決勝戦をテレビ観戦することにしました(テレビはどうにか映る程度の山あいです)。劇的な逆転劇に、高校野球ならではのスリルを味わいました。後はのんびり温泉に浸り休養。

 翌朝は雨も上がり、天気予報でも登れそうです。またいわかがみ平まで車で上って、そこから二人で石畳の登山道を登りました。最後が少しきつかったが2時間かからず順調なペース。山頂は快晴とは言えないまでも、お目当ての360度の展望を楽しみました。降りは登りよりも時間がかかったが、何とか無事に下山できて感謝。そのまま厳美渓経由で猊鼻渓まで車を走らせ、のんびりした川下りを楽しみました。少し遅くなったので、その日は一関の「かんぽの宿」に一泊。夏休み最後の家族連れで賑わっていました。ここで東北夏期聖会はどうか?

 最終日は北上川にそって南下するドライブを楽しみました。川は濁っていたが滔々と流れ、啄木の歌や宮沢賢治のことも思い出される。そのまま行くと石巻まで下ってしまうので川と別れ伊豆沼で蓮の花を見て、後は高速で戻りました。4日間ラビをお世話くださった斉藤基家に寄り、二人と一匹で帰宅。旅行中も毎朝二人で教会の無事を祈りましたが、私たちも皆さんの祈りに支えられ、感謝、感謝。

2007年8月18日 (土)

祈りは必ず聴かれるか?(8月19日)

  母教会の日曜学校・青年会時代の友人M兄が、一年ぶりに奥様と来仙された。昨年は私たちの夏休みに来仙し、一緒に遠刈田にI師を訪ねて楽しい時を持ったのも記憶に新しい。しかし、彼はその後癌が判明して手術を受け、今はすっかり回復して日常の生活に特に支障はないという。今回もM夫妻と私たち二人と四人で楽しく語り合ったが、最近彼がエッセイ風にまとめた「聴かれた祈り、聴かれない祈り」という小冊子を持参してくれた。一読して彼が深く考えておられることに感銘を受けた。
 その直接の契機は、母上(九四歳)が自宅で転んで頭を打ち、意識をなくされたことである。医者からは、怪我の状態から意識を回復することは難しいと言われたそうだが、教会の皆さんに祈って頂いたら、その日に奇跡的に一時的ながら意識を回復したとのこと、M夫妻が母上のところに駆けつけた日にも、二人を認めた母上は顔を輝かせて何度も「ありがとう」と言い、手を握ると握り返すのがはっきり分かった。しかし、その日からまた意識がなくなって、肉親が見舞っても反応はない。このことに関して、M兄はこう書いておられる。

「私たちの願い、望みは際限がありません。一時でも母が意識を回復してくれたことを主の憐れみと心から感謝して受け止めましたが、更にまたもう一度と願い求めてしまいます。しかし、その祈りはまだ聞き入れられません。祈りとはそもそも何でしょう?祈りは必ず聴かれるでしょうか?……」

 こういう問題意識を持って遠藤周作の「沈黙」や内村鑑三の「ヨブ記」、伊藤馨牧師の「獄中記」その他を手がかりに祈りについての考察を進めていく。
 母上が転倒して二ヶ月が過ぎ、今また意識が回復して「医者もびっくりの奇蹟の回復」の途上にあるという。神に不可能なしと、聖書は繰り返して教えているが、それはすべての祈りが聴かれるということではない。どんなに考えても、信仰の世界には、私たちには分からない部分が残る。    

2007年8月13日 (月)

第34回東北夏期聖会(8月12日)

  今年の東北夏期聖会は昨年に引き続いて八幡平ハイツで開かれた。今年は東京聖書学校のキャラバン伝道隊4名を迎えた。聖書学校は地方教会とは比較的交わりが薄いので、学生たちにとっても教会にとっても貴重な交わりの時になったと思う。
 4名のうち2名は4年生で、実は彼らが1年生の時にも東北キャラバンのメンバーとして私たちの教会でも奉仕してもらった。しかし、今回の聖会での彼らのあかしを聴いて、3年間の成長ぶりをうれしく思った。聖会に参加された兄姉も異口同音に彼らのあかしが良かったと評価して下さった。
 早天聖会も入れて5回の聖会と閉会礼拝、さらに分団と閉会礼拝が今回の聖会の内容だが、一泊二日(正味24時間余り)の短い日程では聖会が休みなく続くのもやむを得ない。今回は「テモテの手紙Ⅰ」を地元の牧師たちが分担してメッセージした。この手紙は一読すれば良く分かるように、極めて実践的な教えに満ちている。その中からどこに焦点を絞るかに説教者は苦労したであろう。いつもの聖会のように「きよめ」があまり語られなかったと言う声も聞こえたが、見方を変えればこの手紙全体がきよめられた生活の勧めなのである。これを私は「実践的きよめ」と呼んだが、早天聖会の短い説教だったので、その意図が愛兄姉に伝わったかどうかは疑わしい。私自身は、田中寛也師の「祈り」(2章)のメッセージに教えられるところが多かった。他の方々は如何であったろうか。その一部は、次号の「いこい」にも報告されると伺っているので、それを待つことにしたい。
 来年の聖会についても牧師たちで相談したが、次回は講師を他から招きたいと話し合った。日程は今年と同じ頃になるはずなので、今から楽しみにして、この教会からももっと多くの兄姉で参加して恵まれたいと思う。聖会はホーリネス教会の始めからの伝統である。私たちもこれを大事にして、確実に次世代にバトンタッチしていきたいものである。 

2007年8月 8日 (水)

楽しかったファミリーキャンプ(8月5日)

 夏の諸行事が続いていますが、どうやら終わりに近づきました。
 先週の金曜日から出掛けて、週報短文のアップが遅れました。おゆるし下さい。

 今年第2回となったファミリーキャンプは恵みのうちに終わった。天候がはっきりせず、夜に予定したキャンプファイアーも出来なかった。その代わりに、室内でろうそくを沢山灯して静かな礼拝の時と楽しいゲームや交わりの時を持つことが出来た。
 二日目の子どもたちの沢遊びもできるかどうか心配したが、みんな元気一杯で出掛けて川で泳いだり遊んだり、子どもたちは大いに楽しんだようだ。
 老人組は車で近くの温湯(ぬるゆ)温泉にでかけ、ゆっくり温泉に浸り、また、休憩室では話に花が咲いた。
 大人の語り合いは、今回は「青年伝道」と「老人の牧会」の二つに絞って、初めに発題をして頂き、それをもとに二グループに分かれて話し合った。時間が足りなかったが、それなりの良い語り合いができたと思う。私の出た青年伝道のグループは、それぞれ一言ずつ全員が発言して大変有益であった。

 改めてファミリーキャンプの目的は何だろうかと考えてみると、子供と大人が一緒になって神の家族であることを確認することではなかろうか。大人だけの修養会ならば、もう少し突っ込んだ話し合いや学びの時が持てるだろう。それはそれでもちろん意味がある。しかし、ファミリーキャンプには、そこにはない良さがある。みんなが童心に返って子どもたちと遊び、交わりを持つことによって、忘れかけていた家族の味を思い出したのではないだろうか。最後の発表と報告の時も、大人も子供も一緒になってそれぞれが何をしたかを聞き合い、とても良かったと思う。子どもたちの司会もなかなかしっかりしていて感心させられた。
 朝の礼拝では、M兄からノアの虹の話を聴いた。開会礼拝では、静江牧師のチャーリーオレンジに思わず「可愛い!」という声も挙がった。他の団体の子どもたちと一緒の食堂は賑やかだったが、みんなで一緒に頂く食事は特別においしかった。夜もぐっすり休めて快適だった。来年がまた楽しみだ!  

2007年7月29日 (日)

何か新しいこと(7月29日)

    
かつてあったことは、これからもあり
かつて起こったことは、これからも起こる。
 太陽の下、新しいものは何ひとつない。
 見よ、これこそ新しい、と言ってみても
 それもまた、永遠の昔からあり
 この時代の前にもあった。
        (コヘレトの言葉一・9、10)
 昔の賢者は、太陽の下、新しいものは何ひとつない、と言うのです。高いところから見ると、或いは、そうなのかなと思います。しかし、私たちは限られた身ですから、ひとりで知ること、経験することはごく僅かです。私たちにとっては、日毎のできごとがみな新しいとも言えるのです。
 夏を迎えて、子どもたちも夏休みに入りましたが、この夏、何かひとつでも新しい経験、新しい出会い、新しい取り組みをしてみたいとは思いませんか。そのような祈りをもって暑い日々を過ごしましょう。   
 きょうから今年も花山へキャンプに出掛けますが、昨年にはなかった何か新しいことを経験したいものです。来週は、また八幡平での夏期聖会ですが、「いつものように」ということも大事には違いないですが、今年は今年としての新しさを求めて参加したいと思います。神さまは、必ずそのような恵みを備えていてくださると信じます。
 私は、毎日朝夕に犬(ラビ)を連れて散歩をしていますが、殆ど同じコースを歩きます。ところが、ラビは毎日新しい道を行くかのように、喜々として何か新しい発見はないか、何か面白いものはないか(おいしいものは、かもしれない)と探しながら歩きます。よくも飽きないものと感心します。私はラビを見ていると、とかくマンネリに陥りやすい自らを反省します。聖書を開いても、そんな期待感を持って読んでいるだろうか、ただ習慣的に目を通しているだけではないかと反省します。生きる限り、新しい発見はあるはずだし、感動もあるに違いないと期待します。皆さんは如何でしょうか?  

2007年7月22日 (日)

教職アシュラム(7月22日)

  第32回教職アシュラムに初めて参加しました。以前から一度出てみたいと願っていましたが、その機会を得なかったのです。しかし、今回は私にとって一番出やすい日程でした。会場は練馬にあるカトリック(イエズス会)の「黙想の家」です。以前にも聖書学校の退修会(リトリート)で使わせて頂きました。しかし、H師は「あそこはもう御免だ」と、一度だけで敬遠されてしまいました。何故かと言えば、とにかく沈黙を守らなければならない事です。食堂でも沈黙です。6人ほどがテーブルに着きますが、黙々として食べます。廊下で会っても会釈だけです。私は気に入ったのですが、全体には好評とは言えなかったかも知れません。
 今回は全体で16名、こぢんまりしたアシュラムでした。しかし、沖縄から東北まで全国から集まりました。特に台風が通り過ぎたばかりの沖縄からよく出席されたと思います。中越沖大地震で交通が途絶えたため欠席の教師もありました。
 全体の責任を持たれたのは、各地のアシュラムを指導してこられた村瀬俊夫師です。久しぶりに師にお目にかかりましたが、すばらしいメッセージを語って下さいました。村瀬師のお話の中にイエズス会の創設者イグナチウス・ロヨラの事が出て、彼が提唱した「霊操」は「体操」に対する言葉であると初めて知りました。昨年スペイン旅行でロヨラが立てこもって祈りに専念した洞窟教会も見てきましたので、グッドタイミングでした。そこで、朝起きたらまず「霊操」をやろうと決心しました。6時からは毎朝公園で30分間、仲間と体操に励んでいますが、最近はラビ(犬)のために体操も思うようにできません。それよりも、朝の祈りの祭壇が崩れがちです。(最近は目覚めたら階下に降りる前に、まず静江と二人で祈ることにしています。)形はどうあれ、まず「霊操」だと思いました。体操よりも霊操が先だということです。この一つを学んだだけでも、アシュラムに参加して良かったと感謝しました。 

2007年7月16日 (月)

東北伝道会議(7月15日)

   先週の月~水、岩手県と秋田県の県境に近い錦秋湖で開かれた東北伝道会議に出席した。これはもともと、東北・奥羽で伝道する牧師たちが年1回集まり、お互いの伝道牧会の課題を出し合い祈り合う時が持たれるようになったのが始まりとのことで、今年は第40回となり、記念の年なので信徒の方も招いて伝道会議にしようと言うことになった。伝道会議としては第2回目で、第1回は17年ほど前に開かれたとのこと。

 今回は、信徒の方は数名の参加に留まったが、とてもよい証や報告をして下さった。そのお一人は盛岡のM医師で、御自分の救いの証から始めて、病院における現在の立場での伝道、また、「小さな命を守る会」の働き、ターミナルケアについて等、誠実なお人柄が滲み出るお話しだった。また、青森から来られたS兄は、ギデオン協会の働きについて、普段は耳にしない裏話などを交えて話された。
 分科会では、①幼児教育者の立場から、②市議会議員として、③おいしいメロンを栽培する方法、④揺りかごから墓場まで広く事業を経営する事業家、という4つの立場からの信徒の発題(もう一つは牧師の教誨事業)があり、それぞれ関心のあるところに出て語り合った。ここでも信徒の皆さんのそれぞれの働きと証が光っていた。

 集会は全体に明るく、賛美が力強く、東北の片田舎で地味ながら恵み溢れる集会が持たれていることに強い印象を受けた。今までは、東京とか大都市の集会に慣れてきたが、そういう集会とは一味違う温かい交わりに心打たれた。
 少し難儀したのは宿泊で、2段ベッドの寝室は狭すぎる。いくら質素にとはいえ、今の時代にどうかと思われた。もう少し施設を改善したら、もっと多くの団体に用いられるだろう。近くに鄙びた温泉もあり、合間にゆっくり体を温めることもできた。往復の車中での語り合いも楽しかった。ようやく自分も東北の牧師に少しばかり近づけた気がした。  

2007年7月 8日 (日)

ファミリーキャンプの課題(7月8日)

  ファミリーキャンプが近づいてきました。子どもたちと合同